閑話3 少年はうつむき、死神は手を差し伸べる
――僕は普通じゃない。
「お前は悪魔の子だ!」
母の手が、皿が、本が、様々なものが武器となって、四方八方からシュヴァルトに向かい来る。シュヴァルトは何故だか、どこから来るかは分かっていた。そのため、半分ぐらいは避ける。前に全ての攻撃を避けたら、さらに苛立ちを増した母に、数分殴り続けたられたことをシュヴァルトは、忘れるはずもなかった。
――あれはもう嫌だ。もう、何もかも嫌だ、普通になりたい。
「未来なんて見えなければ良かったのに」
――そう、全ては、僕の「普通じゃない部分」が悪い。
ついにこの日が来てしまった。親に捨てられてしまうこの日が。いつしか視えた未来。その日が来た。気持ち悪いと言われ続けた左目を伸ばし続けた前髪で隠す。せめて誰か、心やさしい人に拾われるように。でも、町行く人は、薄汚く、傷だらけのシュヴァルトに冷たい目を一度向けて、そそくさと離れていく。
「僕は、もう終わりかな……」
――きっとこのまま、誰にも必要とされることなく、死んでいくんだ。死神のお迎えが来るんだ。
シュヴァルトは覚悟を決めた。
「そんなことはない」
明るい声がした。伏せていた顔を上げると、そこには、シュヴァルトと同じくらいの年をした少年が立っていた。しかし、身なりは全く違う。執事らしき人も一緒にいることから、どこかの貴族だろうか、とシュヴァルトは推測した。
――一体何故、そんな人が僕なんかに声をかけてくる?
「君、僕と同じくらいだよね? 良かったら、俺の家に来ないかい?」
――違う、貴族じゃない。ピカピカした薄い紫色の眼。優しそうな目をした、死神……。
「僕の魂を狩りに来たの?」
――僕は、もう死んでしまうんだ、きっと。
シュヴァルトは過去を思い返したが、なにも良い事は無かった。
「あはは、違う違う、言葉通りさ」
「ぼ、坊っちゃん、コレを拾われるのですか」
「そうだ、早くしろ」
シュヴァルトは何が何だか良く分からずにいたが、優しい不思議な死神に拾われた。陽気に笑った顔が眩しくて、眩しすぎて、逆に怖い。どんなに怖い顔をした母さんよりも怖い、というのが少年に対するシュヴァルトの第一印象だった。一体僕はこの後、どうなってしまうのだろう。そんなシュヴァルトの不安をよそに、こんな時に限って、未来は視えてくれなかった。
死神の少年に連れて行かれた場所はまるで、おとぎ話の世界に出てくるような大きなお城だった。
「ここが俺の家。君も今日からここに住むんだ」
いえ。シュヴァルトは頭の中で繰り返してみたが、すぐに理解できなかった。
「一体、君は……?」
「僕はロレンス。死天王の一人だ」
ロレンス、それはシュヴァルトでも聞いたことのある名前だった。アラフィスタ率いる死天王。自身と同じくらいの少年が、死天王のメンバーだという事実に、シュヴァルトは恐怖を感じた。
「君の名は?」
「ぼ、僕はシュヴァルト。シュヴァルト・ローエン」
「シュヴァルトは何歳だ?」
「分からない。誕生日とか祝ってもらったこと、無いから」
「じゃ、俺らは今日から双子の兄弟だ!」
こうして僕には、死神の兄弟ができた。人間のこの僕に。とても不思議な気分だった。
ロレンスはシュヴァルトに、部屋を与え、新しい服を与え、暖かくておいしいご飯を与えた。それは、まるで、シュヴァルトの望んでいた「普通」の生活だった。でも、違った。ロレンスでもシュヴァルトに日常を与えることはできなかった。魂を狩ってきたときのロレンスの服は、返り血で染まっていた。
ロレンスもシュヴァルトも成長すると、シュヴァルトは与えてもらうだけの生活が、とても申し訳なく思うようになった。
「ロレンス、僕に仕事を下さい。与えてもらうのは、仕事で最後にします」
「シュヴァルト、兄弟に敬語なんて、使うな。ましてや、俺らは双子だ」
そう言って、ロレンスは陽気に笑った。
「いつまでも、もらってばかりで……」
「分かったよ。じゃ、その伸ばしぱっなしの前髪を短くして、顔が全部ちゃんと見られるようになったら考えるよ。兄弟なのに、ちゃんと、顔を見たことが無いなんて、悲しいだろう?」
今度はニヤリ、と笑って、ロレンスは言った。まだきちんと話したことは無いけれど、きっとなにもかも分かっている上で言っている、とシュヴァルトは感じた。
「僕の左目は気持ち悪い。自分でも吐き気がしてくる」
「良いじゃないか。個性があって。死神の目の色は皆同じ紫色なんだよ?」
ロレンスに言われてから、前髪を切るまでに、半年もかかった。鏡に映るシュヴァルトの左目。まるで、ビー玉がはめ込まれているかのように、無機質な目。透明だが、この世のものは、なにもかも映してはいない。映すものは「未来」。
――ロレンスに嫌われてしまえば、僕の人生は終わりを迎える。
シュヴァルトは結局、その左目をロレンスに見せることはなかった。何日も、鍵をかけて部屋に閉じこもって、おなかがすいて、飢え死にするかと思ったその瞬間に、ロレンスは魔法を使って無理やり部屋に入ってきた。とっさに、シュヴァルトは顔を伏せた。
「ごめん、僕は、悪いことを言ってしまった。そんなに嫌だったなんて、知らなかった……」
ロレンスは、ただただ静かに涙を流して、静かに泣いた。シュヴァルトは、どうしていいかわからず、ただその場に座りこんで、男にしては小さなその肩をロレンスに貸していた。静かな時間が流れていた。
シュヴァルトは、その時一回きりしか見たことがない。ロレンスが泣いた瞬間を……。
「いけない。どうやらいつの間にか寝ていたようですね」
――懐かしい日の夢を随分長い事見ていた。あの日から、大分月日は過ぎたというのに、時は流れたというのに。それなのに、僕は何一つ変わらない。全く成長できていない。
シュヴァルトは、自身の前髪に触れた。
その前髪はまだ長いままだ。