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レトロスペクティブ・アプリケーション

作者: 高階 アリス

この小説はSF小説合同誌「暗黒定数式 The Dark constexpr Vol.2」に掲載された短編「レトロスペクティブ・アプリケーション」と同一の内容です。

 チリンチリンというアラートが思考に響く。休憩時間のアナウンスだ。

 キースはポッドのアームに検査キットを収納させて一息つくと、安息ミームをぐっと意識に流し込んだ。

 働き詰めでこわばった思考がゆっくりとほぐされてゆく。

 出勤するやお決まりのルーチンワーク。空間作業用パワードポッドとリンク、外部モジュールの点検、手元のレーザーバーナーで溶接。そして安息ミーム。この繰り返しがキースの毎日だった。

 人類が自らの意識をソフトウェア化してから何千年という時が過ぎた現代。しかし末端労働者の生活は、今は無き地球で先祖がコカの葉を噛みながら農作業に勤しんでいたころと本質的には変わらない。

 セントラルの連中め、また給料を下げやがって。キースは端末に表示された今週の暫定給料――ランクC市民リソース税が天引き済――を安息ミームのダウンロード料で割ってみて、ため息をついた。

『第4リージョン「リュン=キン」が開放されます!』

『自然と平和のリージョン、リュン=キン。新開発の第四世代現実による豊かな自然表現。異星人の支配領域から到達困難な宙域。たくさんの未開発の資源惑星』

 開きっぱなしにされバラエティ番組を映していたはずのテレビ・ウィンドウは、代わりに政府広報を映していた。

『リュン=キン・リージョン開放に伴い、一時中止されていた子市民の申請受付を再開します。また、リソース凍結者にリソースの再割り当てが行われる予定です』

 テレビ・ウィンドウをぼんやり観ながら、キースは安息ミームに完全に浸る。

『移住推進キャンペーン! エンタイト・リージョンもしくはテルミナ・リージョンからリュン=キン・リージョンに移住されました市民の皆様は、市民ランクに応じてリソース税が優遇されます』

 キースはデルフィ・リージョンの資源惑星デューターで働いているため、対象外だ。

『お問い合わせは……』

 俺には関係のないことだ。キースは完全に興味を失い、テレビ・ウィンドウを閉じてORCクライアントを起動する。

[実験番号3042の……えっと55、失礼、開始まで残り200カウント]

[モニター各員は計測機器の最終チェックを]

[アルマは何をやっているんだ、もうe軸干渉フェーズに入っているんだぞ!]

[失礼上官、あの、"おトイレ"をしておりまして……]

[排泄は後でよろしい! お前はオペレータだろ!]

 e軸航法を専門とする技術試験サイト"デューター・ファイブ"での所内ORCは、実験中は原則オープンだ。なんでも安全のためらしいが、そのおかげで、キースのような末端作業員でも研究員どものくだらない会話を聞くことができる。

 何が"おトイレ"だ、上流階級め。

 キースの独り言に返事をするかのように、コーンという甲高いアラートが響く。休息は終わり、ということだ。広がる安息ミームの余韻を味わいつつ、もそもそと検査キットと溶接機をアームで掴み直す。

 キースは入出港デーモンに隔壁を開けさせ、スラスターをふかして外装を眺め回す。

 デブリか、ひどく裂けたもんだ。パワードポッドの身体をそちらに流し、補修用パネルをかぶせ、溶接機を乱暴に押し当ててトリガーを引く。

[カウントダウン、50、49、48、47、46……]

 キースは末端作業員なので、今日行われる実験が何なのかは正確には知らない。

 現代のe軸航法はe軸プラス方向への移動が主で、マイナス方向はまだ探査が進んでいない。偉そうなセントラル直属の監督官によると、そのマイナス方向を探査するのだ、それ以上知る必要はないだろ、とのことである。

[29、28、27、26、25……]

[オペレータは干渉電圧を規程値まで調整せよ]

[XYZ軸乖離フェーズに入る]

 さすがに30カウント前になるとバカげた会話は聴けなくなり、代わりにわけのわからない専門用語で溢れる。こうなるとキースにとってはただの雑音でしかなく、聴き入るのをやめて溶接に集中する。

[重力指向針をeマイナス300に合わせ]

[15、14、13、12、11……]

[重力子投入]

 キースのパワードポッドのカメラは、サイトから2恒星マイルほど離れた実験用宇宙港ポート・セブンのあたりがひどく歪んで見えるのを捉えた。なんでも、重力子をぶつけて空間に穴を開けるのでこうなるのだそうだ。

 その中心にあるであろう小型の探査船には、圧縮された探査員の意識が直接搭載されている。酔狂な奴らだ。

[5、4、3、2、1……]



 轟音。

 激しいアラート。

 視界が一変していた。

 細かいディテールで示されていた観測機器が、単純な線による簡易表示に切り替わり、オペレータ室の頭上にあった青空は、今や「SAFE MODE」という文字が輪になって回っているだけだ。

 これはフェイルセーフ現実、つまり……

「で、デルフィ・セントラルとの接続消失ですっ!」

[演算リソースが約300分の1まで低下! おそらくローカルの分です!]

[一体何があった!]

 アルマは簡易ポリゴンで描画された自分の両手を眺め、とにかく落ち着かねばと安息ミームを投入しようとした。

 が、セントラルとの接続がないためダウンロードできず、ため息をついた。

 仕方なく観測ウィンドウを開く。これも簡易表示になっていてわかりにくい。

「ど、どうやら実験ポートで爆発のようで!」

[放射線は観測できるか! あれは小型核分裂炉を積んでいる!]

「は、はい! 観測できませんっ!」

 頑張って大声を張り上げる。

[そうか、そうなると原因がわからん……]

[SYSTEM: 演算リソースの低下、最低で1081意識インスタンスのスリープが必要です]

 システムが演算リソースの低下を訴えて赤色ダイアログをいくつも出すのを横目で見ながら、アルマはありもしない額の汗を拭う。

[下級作業員はどうなっている!?]

[医療部です! 外装部で活動していた数名が強制リンク解除、解脱症状でハングアップしています!]

 次々と流れるチャットログを尻目に、アルマはマニュアルを開いた。書いてある通りに、セントラルとの接続回復ウィザードを走らせる。

 しかし、何度試しても対処不能とだけ書かれた簡易ダイアログが出るだけだ。なんでよ!

[ポッドは回収できるか!]

[全損です! 入出港デーモンも第二隔壁までの損傷を報告しています!]

[SYSTEM: フラグが非勤務中の意識インスタンスをスリープしました]

[ええい! セントラルとの接続はなぜ回復しないのだ!]

「せ、接続回復ウィザードが機能しません……」

 思わずか弱くなった彼女の声を心配する者はいない。

[素粒子の干渉で量子ルータのもつれが壊れたか……動けるクルーはエネルゲイアに至急船を飛ばせ!]

[貨物モジュールがあるやつだぞ!]

 セントラルとの接続がなくては、他の恒星系との連絡すらできなくなってしまう。その場合は同じ恒星系の工業惑星からセントラルと接続された量子ルータを貰ってくるのだ、と習ったことを思い出す。

[貨物ジェット、損傷が少ないポート・スリーから出します!]

[アクセラレータ、レディ。発進どうぞ]

 今や事態は彼女抜きで動き出していた。呆然とするアルマは、ピピッという鋭い通知音に反応して顔を上げた。

 上官からの個人チャットだ。

[アルマ、実験は失敗だ。オペレータの任務は一時停止だ。初めてなのに、すまないな]

[あ、上官……いえ、大丈夫です]

 上官がわざわざ個人チャットをしてくるなんて。アルマは首を傾げる。

[あまり良い事態とは言えん、セントラルとの同期が切れて演算リソースが不足していてな……]

「そ、そのようですね」

[一人でも多くスリープに入って欲しいのだ、もちろん君も]

「え!?あたしだって……あ、そうですよね、わかりました……」

 実際のところアルマにできることはもう何もない。それはわかってるけど……

 本当にすまん、と言い残して、上官の苦虫を噛み潰したような声が途絶えると、「GOING TO SLEEP IN 10 COUNTS」と書かれた簡易ダイアログが目の前に現れる。

 これは悪い夢よ。目が覚めた時には全部終わっていてくれる。

 減っていくカウントを見つめながら、アルマはそう思った。



「どうして俺なんだ」

 キースが初めて「はい」と「大丈夫です」と「ありがとうございます」以外の言葉を発したのは、医療部のリカバリー・システムで意識を取り戻してからきっかり10分後だった。

「質問は後で。ええっと、どこまで話したかしら」

「デルフィ・セントラルの方向から重力波の干渉があったんだろ」

「ええ、そうでした」

 彼のベッドのそばに立っているのは、セントラル上層部のスーツを着た女だ。彼女は5分ほど前にキースの病室に押しかけてくると、ハングアップ症状から回復したばかりのキースに仕事の依頼を持ちかけたのだ。

「つまりはあんたらの仕業じゃないのか」

 彼女はため息をつく。

「そのほうがずっと後処理は楽でしょうね。調査の結果、デルフィ・セントラルの制御プログラムが勝手に防衛用の重力波ビーム砲を発射したことがわかったの」

「とんだ欠陥品だな、その制御プログラムとやらを書き換えることはできないのか」

「それができないのよ」

 ふんぞり返ったいつものセントラルの監督官とは違い、容姿端麗な彼女と会話するのは悪くない。偉そうなのは相変わらずだが。

「プログラムへのアクセスに何らかのプロテクトがかけられていて、私たちはその上で動くソフトウェアに過ぎないでしょ? こちらから中身を覗いたり書き換えたりすることができないのよ」

「それってつまり、打つ手なしってことじゃないのか」

「このままではね」

 彼女は手元にウィンドウを出し、どこかの実験施設とそこで行われたらしき実験データを表示させ、キースの方へ流した。あちこちが黒塗りで検閲されていて、実験は失敗したということがかろうじて読み取れる程度だ。

「これを見てちょうだい。あの後すぐに同じ内容の実験を無人で行ったのだけど、干渉を受けて見事に失敗したわ」

「検閲まみれでよく分からんが、その制御プログラムを俺になんとかさせようっていう魂胆だな。俺にソフトウェア周りのことなんてさっぱりわからんし、そもそも実験をやめればいいだけじゃないのか」

「そういうわけにもいかないわ。例の異星人は襲撃にe軸マイナス方向を使ったワープを使っているらしいのは知ってるでしょう?」

「いいや、全然知らなかったね」

「あらそう? 今回の実験は彼らのワープの原理を解明するためのものだったのよ。このままじゃエンタイト・リージョンが落とされるわ」

 またもや検閲だらけの実験データを写したウィンドウがキースの目の前に現れた。今度は例のデューター・ファイブでのものだ。地図に見覚えがなければさっきのと全く同じに見えるほどだ。

「要するに、あんたは俺が末端の作業員ということも知らずに頼みに来たって訳だな」

 キースは思わず呆れ顔をする。

「説明はおしまいか? そろそろ質問してもいいよな」

「ええ、まあ、いいわ」

「まず、どうして俺なんだ。次に、その仕事やらをして俺に何の得がある。最後に、このままじゃ打つ手がないって言ったが、俺を使ってどうするつもりなんだ」

 彼女は一息つくと、真面目な顔つきに戻った。

「一つ目について。異星人についての国家機密に関わる可能性があるため、できるだけ現地の人間のみで処理するように、というセントラル上層部の決定がありました」

「ほう」

「そして任務の性質上、長時間にわたるリンクに日常的に慣れている必要があります」

「それなら俺じゃなくても、研究所の奴らか他の作業員でリンクできるやつがいるだろう」

「リンクに慣れてて無事だった人は全員事故の後処理やら他惑星への連絡船やらにまわされてるのよ」

「そういうものか」

 そうは言うが、単に俺が都合のいい人間だったってことだろうな。

「二つ目。任務が成功した場合、あなたをランクB市民に昇格します」

「それだけか、そんなことよりまず給料を上げろ」

「あなたねえ、政府広報見なかったの? リュン=キン開放でリソース凍結者が戻ってくるのよ? あなたみたいな単純労働者なんてすぐ有り余るし、給料なんて上がるわけないでしょう」

 ちくしょう、テレビをちゃんと観とくんだったな。キースには返す言葉がなかった。

「最後に三つ目。現在、制御プログラムが格納されているユニットの物理的コピーを作成中です。もちろんハードウェアだけでは動かないわけで、あなたには制御プログラムのソースコードを盗んできてもらいます」

「どこにだ? プロテクトがかかってるんじゃないのか」

 彼女はしばらくキースを見つめた後、にっこりとして言った。

「過去の地球に、よ」



 2033年、東京――

「助けてくれえええええ! もう働きたくないんだあああああああ!」 

 ソフトウェア開発企業が林立する渋谷では、今日もシステムエンジニアの悲痛な叫びが響き渡る。

 それは人工汎用知能プログラミングを得意とする株式会社コードアルファも例外ではなく……

「はあ…… はあ…… もう残業は嫌だ……」

 裏口から飛び出して路地裏に逃げ込み、息を切らす彼の名前は高島総一郎。彼の週の労働時間は60時間を軽く越えている。

 彼がこうにまで過酷な労働環境に置かれているのは、プロジェクトのスケジュールのせいだ。

 人工汎用知能を搭載した世界初の太陽系外極長距離探査機「つばめ2号」。人類の移住に適した惑星を探すために開発されている「つばめ2号」は人々の期待を背負いつつ、発射を2か月後に控えていた。にもかわらず、人工汎用知能「つくよみ」の自己進化アルゴリズムの不具合を修正できていないのだ。

 いざという時は地球から強制的に命令を送ることができるように設計されているとはいえ、プログラムが暴走して任務失敗の危機に陥るというような事態は絶対に避けなければならなかった。

「帰りたい…… 家に帰ろう……」

 総一郎は帰りたい帰りたいとうめきながら、渋谷駅への道をふらふらと歩いていく。道行く人が彼のことを怪訝な目で見るが、彼はすでにそんなことを気にしていられる精神状態ではない。

 ハチ公の前で幸せそうにしているカップル。原宿帰りらしき若い女の集団。渋谷という街のすべての要素が彼の精神を圧迫していた。

 帰ることのみを考えてホームまで辿り着いた総一郎だったが、列車が到着するにはまだ時間があった。彼は初めて家に帰る以外のことを考えた。

「あと二ヶ月でか…… 間に合うわけ、ないよな……」

 まもなく、三番線に、電車が参ります、黄色い線まで下がって、お待ちください……

「……死ぬか」

 彼の不穏な様子に、ちょっ、おじさん、と呼びかける中学生の声は、彼の耳には入らなかった。

 警笛の音が聞こえる。

 次の瞬間、彼の視界、彼の思考そのものが真っ白に塗りつぶされた。



 やたらと騒がしい。

「おじさん、おじさん、大丈夫ですか?」

 キースが目を開けると、逆さになった少年の顔が見えた。いや、ひっくり返っているのはキースの方のようだ。

「え……?」

「おじさん、死ぬとかなんとか言って飛び込んじゃうかと思ったら、急に倒れちゃうんだもん。大丈夫ですか?」

 身をもたげると、サラリーマンスーツや21世紀スタイルなどの昔風の格好をした人たちが自分を心配そうに見下ろして囲んでいるのが見える。

「お、俺は……」

 いや、俺は過去の地球に来たわけで、つまり彼らは昔の人類そのものだ。

「立てます? 大丈夫です?」

 事態を飲み込んだキースは、一呼吸ついてセリフを読み上げた。

「ありがとう、俺はもう大丈夫です」



 予行練習で頭に叩き込んだ通りに階段を降り、服のくぼみに入っているカード端末をゲート状の装置にかざし、通過する。手近な直方体型の建造物の裏に回り、しばらく待つと、頭の中に雑音が響き始め、思わずこめかみを押さえる。

[……聞こえますか? 応答せよ。聞こえますか?]

「こちらキース、無事着いたようだ。そっちはデルフィのお偉いさんか」

[考えるだけで大丈夫です。それと、あたしはデューター・ファイブのオペレータのアルマです。今回の任務のサポートを務めます]

(ああ、"おトイレ"さんね)

[や、やめてください!]

 明らかにうろたえた声が返って来た。以前はORCで一方的に聴くだけだった声が、今自分と会話をしている、というのはなんとも妙だ、とキースは思った。

(本当にここは過去の地球なのか、この身体はどこから持ってきたんだ)

[はい、でも、あなた自体はデューター・ファイブの実験室にいます。それと、その身体は現地の人間のもので、あなたはそれにリモートでリンクしています]

(過去で機械でもないのにリンクできるのか)

[あたしにも詳しい仕組みはよくわかりません]

 話しながらキースは辺りを見回す。ポリゴンによって構成される第三世代現実に慣れたキースにとって、過去の地球の景色は情報量が多すぎた。まず、物体のディテールがとても細かい。目の前にある壁に近づけば近づくほど表面の細かい模様が目に入り、壁から目を離して反対側を向くと、遠くの方の物まではっきりと見える。

(まあいい、俺はこれから何をすればいい)

 キースは景色を眺めすぎて軽く吐き気を催し、すぐに壁の方に向き直って返事をした。今度は絶え間ない騒音が彼を襲う。

 どうにも落ち着かない。

[その身体の持ち主はコードアルファという会社のプログラマーで、名前はタカシマ・ソウイチロウです。制御プログラムの情報によると、この年代にその会社で開発されたはずです]

(それを盗むわけだな)

 じっと壁を見つめているキースを往来の人々が怪訝な目で見ている。

[そうなります。まずはタカシマ・ソウイチロウ氏になりすましてしばらく働いて、情報を集めよ、とのことです]

(わかった、また連絡する)

[頑張ってくださいね]

 通信が切れ、しばらくアルマの声の余韻を楽しんでいたキースの頭に、別の声が飛び込んできた。

[キース? 着いたのね?]

(なんだ、あんたか)

 げっ、例の女だ。

[なんだとは失礼ね。いい? 過去での行動についての注意点のおさらいよ]

(覚えてるさ。その時代にない考え方と方法を使ってはならない、だろ?)

[一番肝心な、現代の私たちから見て結果がわかっている物事の原因は変えてはいけない、を忘れてるじゃない!]

(あーあー、そうだな、すまんすまん)

 彼女のキンキン声と周囲の騒音が協力し、キースの聴覚を圧迫する。現代に戻ったら、デルフィ・セントラル定例アンケートのご意見欄は「過去に飛ぶ時の通信にボリューム調整機能を付けろ」で決まりだ。

[万が一のことがあったら、すまんじゃ済まされないわよ]

(でも、ソースコードを盗むだけだから何も変えたりする必要ないだろ)

[過去に行く時の規則なの! 私今から忙しいから、ちゃんとやるのよ]

(はいはい)

 ガミガミ声でいきなり通信してきたと思ったら、いきなり切ってきやがった。アルマとは大違いだ。

 しかし、「タカシマ・ソウイチロウ」って、昔の人の名前はやたら長くて覚えにくそうだ。



 エンタイト・リージョン、コロモッゾ軍事港。リージョン間を接続するワープゲート星系にほど近いところにある。税金の無駄だと批判されていたこの基地は、異星人の襲来により今や反撃の最大の拠点となっていた。

[DAEMON: 入港申請、テルミナ・リージョン海軍のNDD-144Cが十二隻、NCV-71S2が二隻です]

「第七戦闘艦隊の出港が終わり次第許可」

[DAEMON: 了解]

 異星人。彼らはエンタイト・リージョンに突然現れた。こちらからの一切の通信を受け付けず、攻撃を仕掛けてくる目的は未だにわかっていない。しかし、攻撃する惑星の選び方を考慮すると、彼らはどうやらデルフィ・リージョンを目指しているようだった。

 e軸方向の歪みを維持するのに必要なエネルギーは距離に応じて指数関数的に増加するため、e軸航法でリージョン間をまたぐ程の長距離を移動することは事実上できない。逆に、ワープゲートを突破されればデルフィ・リージョンの防衛はおぼつかなくなるだろう。

「他のリージョンに救援を要請するなんて、戦況はだいぶ厳しいようね」

「はい、すでにエンタイトの星系の30%が敵に落とされました」

 横腹に連合マークを付けた駆逐艦や空母が次々とワープアウトしてくるのを窓から眺めながら、デルフィ・セントラル高等捜査官ソフィーは現地司令官に問いかけた。

「あと何ヶ月持ちそうなの?」

「よくて6ヶ月かと……」

 編隊を組んで次々と発進していく艦船の数々に司令の暗い表情が重なり、ソフィーは昔の小説に書かれていた「集団で自殺する動物」のことをふと連想した。


 株式会社コードアルファ。時刻は現在午前1時。終電はとっくになくなっていた。

 ちくしょう、なんでこの時代の人はこんなに長く働けるんだ……。しかも、この身体はあまり使い過ぎると節々が痛んだり、動作が重くなったりしてよくない。

[キースさん、大丈夫……?]

(ああ、なんとか……)

 アルマとは始めの頃は事務連絡くらいでしか話さなかったが、最近はなんでもない話をよくするようになっていた。お互い長い時間働きっぱなしだし、気が合うのだろう。

[あんまり無理しないでくださいね。あたしはもう交代だから、おやすみなさい……]

(ああ、おやすみなさい)

 こんなに長時間働くなら、交代制でもいいはずだ。やってられん。キースは勝手に休憩することにした。

「あの大企業オレンジがFPL汚染で訴訟?」

「へぇー……」

 キースがデスクで仕事をしている風を装っていると、同僚たちが何やら話しているのが耳に入った。

「そのなんとか汚染というのは何なんだ」

「おいおい高島、そんなことも知らないでプログラマやってたのか?」

「……?」

 同僚の一人はしたり顔をして続ける。

「FPLっていうのはフリー・プログラミング・ライセンスの略でな、こいつでライセンスされたコードが入ってるソフトウェアを配布する時には必ずソースコードを公開しないといけないんだが」

「オレンジはコード非公開の製品にそのコードを組み入れて配っちゃったもんだから、もともとのコードの作者から訴えられてるってわけだ」

「そうなのか」

 変な風習もあったものだ。

「まあ、うちの場合は宇宙の果てに飛ばしちまうから、配布もくそもないけどな」

「あのさ、高島最近おとなしくないか? あれだけいつも働きたくない働きたくないって言ってたのに、残業でおかしくなっちまったのか?」

「ははは……」

 それにしても、肉体的な疲労というものが存在しないキースたちの時代より、この時代の労働環境のほうがよっぽど悪いのではないだろうか、とキースは不安になった。



 連邦政府専用シャトルのふかふかのシート(新開発の第四世代現実の成せる技だ)に身を沈め、ソフィーは航行支援コンピュータにデルフィ・セントラルに戻るように指示した。

[SYSTEM: オートパイロット設定完了]

 メッセージと共に航路図がウィンドウに表示され、予想到着時刻を彼女に伝えた。

 彼女が自ら前線基地に赴いたのには理由があった。例の事件の後改めて制御ユニットを調べたところ、異星人のものと思われる小型の機器が取り付いているのが見つかったのだ。それを取り外したところ、攻撃は起こらなくなった。

 ソフィーはワープゲートに直接出向き、大量のログをチェックした。その結果、大規模な侵攻が始まる前に、貨物船に紛れ込んで機器が侵入していたことがわかったのだ。さらに、デルフィ・セントラルのセキュリティ・ゲートもお咎め無しで通過していた。

 検知していたにも関わらず、なぜ制御プログラムは異星人の物体を排除しなかったのか。そもそも、なぜ異星人が人類のコンピュータをクラックできたのか。謎は深まるばかりだった。

(あれの分析が終わるのとキースが何かをつかむのと、どっちが先かしら。どちらにせよ、今は待つしかないわね)

[お客さん、順番を守って……あ、政府の方でしたか、失礼しました]

 ワープゲートの順番待ちの列を政府特権でパスし、ブースターを吹かして突入する。シャトルは人工ワームホールをコンマ数秒で通過し、星系地図は一瞬でデルフィ・リージョンのものに切り替わった。

[GATE_ADMIN: ようこそ、デルフィ・リージョンへ]

 通信デーモンがリージョンの移動を検知して作動し、デューター・ファイブからの新着通知をソフィーに伝えた。

[捜査官さん、アルマです。キースさんから報告があるそうですので、戻ったらORCでお伝え下さい]

(あまり待つ必要はなかったようね)

「私です。今戻ったわ、キースに繋いでちょうだい」

 数秒の間を置いて、ORCに返答があった。

[了解です]

[こちらキース。悪い知らせと悪い知らせがあるが、どちらから聞きたい?]

「両方悪い知らせじゃない」

 思わずため息をつく。大事なときにふざけないで欲しいわ。

「どっちでもいいから早く報告しなさい」

[じゃあまず一つ目だが、こいつは外宇宙を探査するような人工衛星の制御プログラムで、セントラルみたいなでっかいシステムを制御するものじゃない]

「でもあのプログラムは確かにその年代にその会社で開発されたはずよ、データにもそう書いてある」

[そうだ、それが二つ目なんだが]

 ふざけているようなキースの声が急に真面目になる。

[研究員の連中にプログラムを見てもらったんだが、こいつは自分で自分を書き換えるようにできているらしい。つまり、あんたが見たいソースコードは今はまだこの世に存在してないってことだ]

「な……」

 ソフィーは言葉を失う。

[なんで人工衛星の制御プログラムが今デルフィ・セントラルでよろしくやってるのかはわからん。しかし今の俺にできることがなにもないことは保証する]

[SYSTEM: e-ドライブ、アクティブ。デューター衛星軌道にジャンプアウトします]

 システム音声に呼ばれてソフィーが我に返ると、航行支援コンピュータはすでに自動でe軸航行を開始しており、すさまじい速度で流れる星の奔流が窓ごしに彼女の瞳を照らしていた。

「とにかく、もう着くから、その今の時点でのソースコードを見せなさい」

 数億宇宙マイルの彼方にいる司令のように、彼女の表情もまた暗い。



 報告を終えたキースは、会社を抜けだして代々木公園でのんびりしていた。すると例の上層部の女がもうデューター・ファイブに戻ってきたらしく、焦っているらしき彼女の声が耳に入ってきた。

[どう、何か新しいことはわかった?]

[はい。どうやら、非常時のために外部からプログラムを制御できるような仕組みがあるみたいです]

 地球で高島総一郎として暮らしはじめて数ヶ月。キースは地球の景色にもすっかり慣れ、木の緑や透明な水(透明という色があることをキースは地球に来て初めて知った)、空の青など、第三世代現実で暮らしていては到底味わえない様々な色彩を楽しむまでになっていた。

[異星人はそれを利用したというの……?]

[どうやら、そのようです]

 向こうは大変なことになっているようだが、ソフトウェア周りのことはすべて研究員任せにしているため、キースの心中は実に穏やかだ。

[本格的に打つ手なし、かしらね……]

 この仕事が終わったら俺は帰らなきゃならない。地球での体験を一つ一つ思い出していたキースは、少し前に聞いたある話に引っかかりを感じた。

「なあ、捜査官さんよ」

[何かしら? まさか突破口が見つかったわけじゃないでしょうね]

「そのまさかだ」

[あんた、規則は覚えてるでしょうね。結果がわかってるものの原因は変えちゃだめなのよ?]

「じゃあ、この時点の制御プログラムにちょっと細工をするのは?」

[えっ……? 確かに、そのプログラムが自己進化でどうなるかは予測不能だし、今の中身はプロテクトでわからないわね……。でも、何をするつもりなの?]

 キースは一呼吸おいて、にやりとして言った。

「この間、FPL汚染っていうものの話を聞いたんだが……」



 連邦政府首脳会議は混乱の渦の中にあった。デルフィ・セントラルの捜査官の報告によると、セントラルの制御プログラムにバックドアが発見され、異星人によるクラックを許していたことが明らかになったのだ。

 そもそも制御プログラムは旧人類の長距離探査機に搭載されていたものが自律進化したものだったが、旧人類がプログラムの暴走を防ぐために外部から強制的に動作を操れる仕組みが備わっており、異星人はそれを使ったとのことだ。

 良いニュースもあった。過去に戻ってソースコードを奪取し、ユニットを丸ごと置き換える作戦は成功を収め、異星人のワープへの対抗策を練ることができるようになった。

 しかし、なぜ異星人がそのバックドアの存在を知っていたのか。人類と異星人の間に何らかのつながりがあることは明白だが、彼らがこちらからの通信に一切応答しないのは奇妙だ。

 もしかしたら、相手側こそが真の人類の末裔で、彼らにとって我々は正体不明の人類の敵なのではないのか……。誰もがうっすらそう思ったが、口に出したものはいなかった。



[実験番号3174-02、開始まで残り200カウント]

[モニター各員は計測機器の最終チェックを]

「これより、e軸干渉フェーズに入ります」

 デューター・ファイブでは、e軸-方向のワープの原理解明と、ワープを検知できるシステムの開発のために実験が行われていた。アルマは同じようにオペレータとして働いている。

[カウントダウン、50、49、48、47、46……]

 オペレータの仕事にはまだ自信はないけれど、いざという時でもどうにかなったことを思うと、気がいくらか楽になる。

[29、28、27、26、25……]

[オペレータは干渉電圧を規程値まで調整せよ]

「XYZ軸乖離フェーズに入ります」

 キースさんはあの後新しい仕事が見つかったみたいで、遠くに行ってしまったけど、今でもメールでやり取りをしている。捜査官さんはこき下ろしてたけど、彼結構いい人なんじゃないかしら。

 そんなことを考えながら、操作ウィンドウを目の前に表示させ、ダイヤルを回して電圧を調整する。前の事故で簡易ポリゴンになってしまった観測機器は今は細かいディテールで表示されていて、すべてが正常に動いていることを示していた。

[重力指向針をeマイナス300に合わせ]

[15、14、13、12、11……]

「重力子投入」

 あたし、ちゃんとやっていける。そんな気がした。

[5、4、3、2、1……]



[まもなく当シャトルはワープゲートを通過し、リュン=キン・セントラルに到着いたします。新規転入者の皆様はセントラルにて市民登録を行い、居住惑星へのシャトルに乗り換えて頂くようお願いいたします]

 キースは制御プログラム暴走事件の解決に貢献した功績によりBランク市民へと昇格され、リュン=キンで新たな職を得た。資源惑星で働いていた経験を買われ、新しい資源惑星の開発事業の顧問に抜擢されたのだ。

[ただいまリュン=キン・セントラルの旅客ターミナルに到着いたしました。お手回り品に注意して……]

 給料もいい。安息ミームもダウンロードし放題。キースは新しい生活への期待とともに一歩を踏み出した。



「なんだ、第四世代現実と言っても、地球の景色に比べたら大したことないじゃないか」

(以下は「暗黒定数式」に掲載した著者あとがきです)


 高階 アリスです。お話を書くのは初めてです。

 私は妄想が大好きで、些細な単語にも長ったらしい設定がついているのですが、妄想はたいていの人が好き(この本を読んでるみなさんは特に)だと思うので、「安息ミーム」の話だけします。

 安息ミームは一種の電子ドラッグです。最初は向精神アニメとかにしようとしましたが、データ量が大きく、即効性に欠け(30分はちょっと長すぎますね)、未来人の誰も彼もが萌えアニメで心を癒しているのはちょっと嫌だったので、別のアプローチを取ることにしました。

 「ミーム」というのはリチャード・ドーキンスが作ったことばで、大まかには、人から人へ、こころからこころへ伝達し、まるで遺伝子をもつ生物のように、進化したり淘汰されたりする情報のことです。人々はミームに踊らされて、大盛りラーメンを食べたくなったり、モンティ・パイソンを観たくなったりするわけですが、「知るだけで気持ちが落ち着き、心が穏やかになる情報」というものがもしあったら、と考えてみます。それが「安息ミーム」です。

 ミームは人々の間で拡散することで急激に進化します。キースたちの間で安息ミームが拡散・進化する過程は、向精神アニメがツイッターなどを通じて急速にオタク人口に膾炙するようになるのと非常に似ています。

 しかし、アニメに難民が発生するように、安息ミームも時間が経つとその影響と感染性を急激に失います。美少女がじゃれ合うアニメは人間文化の中では具体的な部類ですが、安息ミームは「穏やかな気持ちになる」という高度に抽象的な概念を扱っているため、なおさらです。

 そのため、定期的に新しいものをダウンロードする必要があります。アルマが落ち着こうと安息ミームを投入しようとしたシーンがありましたが、なぜ前にダウンロードしたものを使わないのかというと、それは最早効き目がないからなのです。

 著者あとがきのつもりが*うっかり*新型の電子ドラッグの紹介になってしまいましたが、私のおはなしを面白いとかわくわくするとか思っていただければ、それより嬉しいことはありません。

 お話を書くのはとっても大変で、また書くかどうかはちょっとわかりませんが、色々考えながら書くのはとても楽しかったです。また、他のみなさんの書いたお話を読むのもとても楽しみです。最後にボレロ村上さん、こんな楽しい企画に誘ってくださって、本当にありがとうございました。

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