事故
今日も学校が終われば予備校に向かう予定だった理香。
予定だった。と過去形なのは、6時間目が終わってすぐに事件が起きたのである。
授業も終わってカバンに教科書を詰め込んでいるときだった。
「あれ。誰の彼氏だろう」
クラスの女子が正門のほうを見ながら、近くにいる友人の問いかけに、理香だけが嫌な予感をしていた。
理香ちゃんラブリー大作戦と叫んでいた千佳の姿が、脳内再生されている。
「でもさ、めっちゃかっこいいよ。黒髪男子って真面目で清潔なイメージあるから好感持てるよね」
「バイクに座ってるのが似合うのもいいよね。どんな子が後ろに乗るんだろうね」
バイクに座っている。それを聞いただけでちょっとした安心感が理香に流れ込んだ。
空輝はバイクを乗っている姿を、誰にも見せていなかっただけなのだが。
ただ理香も気になったので、余裕の素振りで席を立って窓際から正門を見ると……。
空輝がバイクに座っている。
見間違いではないかと凝視してみるけど、見知った顔がいきなり変わることはない。
余裕が焦りに変わる瞬間というのは、比較的わかりやすくて、周囲の同級生が理香の変化を少なからず読み取っていた。
「理香? もしかして知り合いだったりする?」
すぐ側に来ていた友人にも気づかないほど動揺していた。
どうしよう……。
さすがに知り合いじゃないとは言えない。
だけど、ここまで騒ぎになってしまっては、知り合いですとは言いにくいのも事実で……。
周りは「ちょっと声掛けてみる?」とかナンパしようとしていたりするから、余計に放っておけない。
理香は2つの選択肢に迷っている。
1つ、みんなが帰った後にひっそりと落ち合う。
2つ、HRが終わったら急いで空輝の所まで走って、急いで消える。
1つ目のほうは比較的、理香には被害は少ないが、空輝には甚大な被害が予想される。
2つ目、今はどちらにも被害はないけど、後になって彼女に帰ってくるのは回避できないだろう。
友人達の尋問が。
苦悩し、苦渋の選択を迫られている理香を知らない担任は、HRの開始を告げるために教室へとやってくる。
「席について」
と、窓にへばり付いている生徒を席に戻すと、必要事項をツラツラとお経のように唱え始めるが、理香だけは早く終わって! と願うのに必死で内容は右から左へと抜けていく。
ただ、解散だけは聞き逃さずに、全速力で正門へと走りだす。
友人達が理香を呼び止めるが、そんな悠長なことは聞いていられないとスカートが翻るのも気にせず、生徒達の間を駆け抜けていく。
すでにいくつかのクラスが終わっていて、昇降口は帰宅する生徒でごった返しになっていた。
そんな状況でも「ごめんなさい!」と、大きな声を出して無理にでも靴を履き替える。
後ろから友人達が理香の異変に気づいて、面白半分、心配半分で追いかけてきている。
それでも理香は友人よりも空輝を選んだ。
運動場を走る彼女に見惚れる者が居れば、カップルで腕を組んで帰宅する者もいる。
そんなに走るのは得意ではない理香だが、今日だけはチーターのような素早い身のこなしとスピードで、空輝の前に着くまでに2分とかからなかった。
「おつかれさま」
膝に手をついて、ゼェゼェ言っている理香を物珍しく見ている空輝。
「そ……そんな……ことは……いい……の」
いち早く、この場を後にしたい気持ちでいっぱいな彼女だが、どう説明すればいいのかと考えれば考える程、ドツボにはまるのである。
「りぃいいいいいいいいかぁああああああああああ」
友人の叫び声が理香の鼓膜を震わせ、鬼気迫る勢いで走ってくる姿。
それを見て空輝は、乗ってきたバイクのキーを回した。
ブレーキレバーを握って、セルスイッチを押すとブォオオオンっと澄んだ気持ちのいい低音サウンド。
友人たちの方を見ていた理香にしてみれば、大きな音がした。というだけで振り返り、いきなり視界が変化して戸惑いを隠せない。
一瞬、暗くなったと思ったらギュっと頬にクッションのサンドイッチをされたら、誰でもビックリするだろう。
空輝が理香にヘルメットを装着させたのである。
ただ、さすがに顎紐をする余裕はないので、空輝も急いで自分もヘルメットを装着する。
「いいよ。乗って」
乗ってと言われても、タンデムをしたことがない理香はどうすればいいのかと。
もう目の前にまで迫っている友人達に捕まってしまったら、空輝との関係を問い詰められる尋問が待っている。と思ったら、後ろのシートに座って、思いっきり彼の背中に抱きついていた。
今度は空輝がびっくりする番である。
はっきり言って、女の子とタンデムするのは気が引けていた。
もし、転倒したり事故を起こしてしまったら。という不安からだ。
だが、別の問題も浮上してくるのは想定外としか言えない。
理香の柔らかい胸の感触が背中に伝わってくるなど、不埒な想像をしていなかった。
もちろん理香は下着を付けている。
だが、下着を付けていようが柔らかいんだから言い訳のしようがない。
「早く行って!」
後ろに乗っている彼女が叫んだおかげで、空輝は正気を取り戻す。
すでに野次馬が周りを取り囲むようにしていたので、アクセルを回してレッドゾーンまで回転数を上げれる。
けたたましい爆音に近くにいた生徒たちは、蜘蛛の子が散るように距離を取ったおかげで、バイク一台分の隙間ができた。
それを見逃すことなく、バイクを発進させた。
十分ほどして、空輝はバイクを止めた。
「諸星さん。もう大丈夫だよ」
優しく声を掛けてあげると、ギュツ! っと体を硬直させていた理香は、恐る恐ると言った感じで空輝の体から離れていく。
1つ先の駅まで来たようで、さすがに理香と同じ制服を来た人物はいない。
空輝もここまで来れば大丈夫だろうと思って、ここを選んだ。
「あ……ありがとう」
恥じらいながらお礼をいう理香。
それを見て可愛いと思ってしまった空輝。
ドキンっと心が弾む。
二人して赤面してしまっているのを見ると、駅から出てくるサラリーマンや主婦が初々しくて、嫉妬の眼差しや懐かしむような眼差しを浴びせていく。
「ど、どうする」
空輝はこのまま、千佳との待ち合わせにいくかどうかを聞いたのに対して。
「どうするって……」
理香はこのまま二人でどこかに行くか? と聞いているように取ったのだ。
赤面を通り越して、真紅にまで顔を赤くした。
「大丈夫? もしかして酔っちゃった? もしかして臭う? それ、いつも使ってるヘルメットだから……」
「ううん! 大丈夫」
確かに、少し汗の匂いはするけど、嫌ってほどはなかった。むしろ、これが空輝の匂いだと思ったら……。
もう、理香の理性がおかしくなっていると言っても過言ではない。恋をするとはそういうモノ。
「それじゃあ、このまま向かうね」
と理香のヘルメットの顎紐をしっかりと締めると、バイクに跨る。
理香も空輝の指示にしたがってバイクに跨り、どこに連れて行ってくれるのかと、心踊らせるのであった。
「やっほぉー」
悪い意味で期待を裏切られた理香。
現在は予備校のすぐ近くの大手ファストフード店の二階のテーブル席に、いつもメンバーが揃っていた。
「諸星さんは飲み物、なにがいい?」
空輝が気を利かせて、理香の分の飲み物を買ってこようとしたが「私はいい」と、拒否した。
麻衣が隣にどうぞ。と、小さな手で固定されているソファー席を軽く叩く。
それに従うように、隣に腰を下ろす。
ジュースでも買いに行ったのか、空輝の姿が見えない。
「千佳……後で覚えておいて」
女性陣にだけ聞こえるようにボソリと呟く。
「だって、本当に行くとは思わなかったんだもん」
やっぱり主犯格は千佳であった。
実際のやりとりを完結に言えば、千佳が空輝に電話したところから遡る「今日、学校休みなんだよね?」と千佳が聞くと「うん。休みだよ」と答え、「理香のお迎えお願いしていいかな?」と、そして、バイクで理香の高校までお迎えに上がった。
「と、いう流れになったわけ」
「そんな流れにしないで……」
はぁ……ため息が出てしまう。
明日、学校でなんて言い訳をしようか。
やっぱり無難に親戚としておくほうがいいかな? それとも友達とでも……。
どっちもどっちのような気もする。
理香の思考はすでに明日を見ていた。
すでに不在着信を20件を超えて、友人達には明日、説明するとだけメールを打っておくほうがいいかと、スマホを取り出して、メールを起動した。
顔文字も絵文字もない、そっけないメールを数人の友人に送りつけた時に空輝が戻ってきた。
「これ、ミルクティーだけどよければ」
理香の前にMサイズのカップが置かれる。
「ありがとう……あ、お金」
「いいよ。僕のおごりで」
再度、お礼を言うとニコっと微笑み、圭佑と辰巳が座っているソファーへと座った。
「俺達にはなにもないのかよ」
「そうでごわす」
圭佑と辰巳はお腹を空かせていた。
麻衣と辰巳はカップルなので別にいいが、圭佑はなぜか千佳の荷物持ちをさせられるハメに。
千佳と麻衣の学校は午前中で授業が終わるので、買い物に行く約束をしていた。そして暇そうだった圭佑を拉致して荷物持ちにしたてあげたのだ。
「さすがに二人にはないかな」
と、苦笑いしながら男子は男子で、女子は女子で予備校が始まるまでトークを楽しんだ。
予備校が終わって、また同じファストフード店で、今度は勉強会をすることになった。
千佳と圭佑の模試の点数が極端に悪すぎたために。
麻衣と辰巳は最難関を受験するだけあって、全国でも上位に食い込んでおり、空輝と理香は平均よりも上に入っている。
「どうか! 私達、姉弟を見捨てないで下さい!!」
あんたも頭下げんのよ!? っと、右手で圭佑の頭をテーブルに叩きつける。
頭でも割れるかというぐらいの勢いだったが、脳みそが少ない代わりに頭蓋骨が分厚いため、被害は軽い出血だけのようだ。
四人は顔を合わせる。
ここまでお願いをされては無碍に出来るはずもなく、今日の復習からみんなでやっていくことした。
数学は麻衣。英語は理香、国語は空輝と辰巳。と分担をしてじっくりと教えていくが、さすがに終電は逃せないということで、今日は解散することに。
日が変わろうとしている中、理香だけが逆方向の電車に乗るということで、空輝が家まで送っていくことになった。
「ごめんなさい」
理香は1人で帰れると断りを入れたのだが、女の子の一人歩きは危険だと、空輝が折れなかったのである。
千佳、麻衣、辰巳、圭佑とは改札で別れて、理香と空輝は二人っきり。
「それにしても、あの二人は大丈夫なのかな」
空輝が心配するのも無理はない。
先ほどの復習だって、数時間前にやったことなのに間違いの嵐だった。
「麻衣に聞いたんだけど、D判定の嵐だったらしいよ」
普通、志望校ぐらいはB判定は欲しい。だけど、この二人はD判定。
さすが双子。と、でも言うべきか知能まで遺伝していると言うか。
「二人してD判定っていうのも血の繋がりを感じるよ」
「そうだね」
こうして、お喋りをしている時間が刻一刻と過ぎ去っていってしまうのが、理香には悲しい。
予備校では毎日会っているけど、そこには千佳、麻衣、辰巳、圭佑がいて、千佳みたいにガンガン前に行くタイプではない理香は、振られれば喋るが、後は聞く専門になっている。
だから、このような時間が来ないかな。と、何度も思ったことがあった。
それが今、現実になっている。
この時間が続かないかな。
ホームでクスクス笑いながら、お喋りをしている二人はカップルように、肩が触れ合うまで距離が近づいている。
自然に近づいていたのは、二人が惹かれ合っている証拠。
だけど、神はそんな二人に試練を与えるのである。
電車が到着して乗り込む二人。
二人と四人を乗せた電車は、この先に待ち受ける未来を予想していたかのように走りだす。
ゆっくりと加速していくはずが、急発進により車内が大きく揺れる。理香と空輝の体もそれにつられて大きく揺れるが、空輝が理香を庇うようにして、抱き寄せたため、二人は怪我をすることはなかった。
「乱暴な運転だなぁ」
空輝は不満の言葉を言って「怪我はない」っと、自分の胸にうずくまっている理香に声を掛ける。
「うん。大丈夫」
身体的には問題はないが、精神的によくない状況。
彼の手が彼女の肩を引き寄せ、顔は吸い寄せられるようにたくましい胸板に触れ、鼓膜は彼の心臓の音を伝えてくる。
トクン……トクン……
規則正しい鼓動が、理香を冷静にさせてくれた。
「ありがとう。もう大丈夫」
彼の手から開放された理香だったが、とある四人を目撃して顔を真っ赤にして硬直する。
空輝の背後、一両、隣に千佳と麻衣がべったりとガラスにへばり付いて、二人を観察していたのだ。
なんでいるのよ!
そう言いたくもなったが、目の前に空輝がいる現状で、声帯を振るわせるわけにもいかず、グッと喉の奥へと気持ちを抑えこむ。
鼓膜を震わせていた心音が途絶えて、彼の匂いが遠のいていき、少し悲しくなる。
もし、千佳と麻衣がいなければ、降りる駅までずっと、そのままだったかもしれない。
理香は鞄をかけ直したとき、ふと、異変に気づいた。
外の景色がものすごい勢いで変わっていくのである。
予備校の帰りは必ず乗るこの路線。
いつもと速度が違いすぎるのである。
嫌な予感しかしなかった。
理香の体が小刻みに震えだし、変な汗が溢れ出してくる。
電車の中はきちんと冷房を効かせてくれているのだが、暑さによるものでは決してない。
震えだした理香を見て、空輝が「どうしたの?」っと優しく問いかけてきてくれた。
瞬間だった。
ギィイイイイイイ!
金属と金属がこすれ合う甲高い音が車内に響いた。
理香の体が宙に舞い、すぐ近くの座席の手すりが待ってました! っと言わんばかりに、理香の頭が飛んでいくのである。
――っ!
だが、それを拒む者がいた。
理香の手を掴み、引き寄せた。
車内が大きく揺れてバランス感覚がない状態だったにも関わらず……だ!!
飛びつくように引き寄せ、体を反転させて抱きとめる。
ボウリングのピンのように弾け飛んだ。
ものすごい衝撃に二人は意識を失った。
前から三両目まで。
それが脱線して横転した車両の数。
ちょうど、三両目に乗っていた理香と空輝。
運命と不運は常に隣り合わせで、それを回避する方法は存在しない。
次に彼女が目覚めたのは、彼が抜けたメンバーが集まっている病室だった。




