出会い
学校に着くと、彼女の机の周りは2人の友人が占拠していた。
「諸星理香様おっはよー」
「おはよう」
当の本人は、頭を抱えて唸りたくなるほどの待ち伏せっぷりに、そう易々《やすやす》と挨拶をする気にはなれない。
もう帰ってしまっていいだろうか? 昨日の件でからかわれるのは目に見えていて、2人は清清しいほど満面の笑み。
なにを言いたいか――いや、なにを聞きたいか。
「2人ともおはよう……」
ささっ。こちらへどうぞ。と椅子を引いて着席するよう、促されては座るわけにもいかず、カバンを机のフックに掛けると促されるまま着席。
罠に引っ掛かった小動物かのように縮こまる理香に、2人の友人は容赦なしに気になることを聞いてくる。
「昨日の先輩とのデートはどうだったのか、ご報告願いたい所存でござる」
「そうそう。理香だけ卑怯だよね」
高校3年、大学受験の季節にデートに行く余裕があるのは、理香は志望校にほぼ確実に入れるという自信があったからで、その先輩が好きだとか変な気持ちは一切持ち合わせてはいない。
「告白されてお断り致しました。以上」
2人は「どうしてよっ!」って、顔を近づけるも理香は引く様子を見せない。
「うわーチョーカワウィーンだけど! 俺さ、大学でサーフィンやっててさ……。まずチャラい。そして、日本語の不自由な上に肉体関係しか興味ない。そんなのこっちからごめんだわ」
モノマネを披露しながら皮肉を言える彼女に、友人は大爆笑だ。
お腹を抱えて笑い出す2人に「笑い事じゃないわよ」と溜め息を1つ。
白馬に乗った王子様を期待しているわけでもない。戦場に向かう兵士なんてのも嫌だ。乙女チックな恋愛に興味はないが、普通に恋はしてみたいとは人並みに思う。
どちらかと言えば年上がいいなぁ。とか、年下はさすがに……って、感じる年頃の少女には、すぐ先の未来には気づくはずもなく、今日も平常運転で進んでいく日常に胸なんて躍るはずもない。
「まぁ、今回は運がなかったってことで」
「その不運を押し付けたのあんたなんだけど?」
………………。
「それでね、今日はコロン変えてみたんだけど」
「話逸らした」
「逸らしたね」
閑話休題されたけど、この話題を引きずるのもめんどくさいと踏んだのか、無駄な突っ込みは控え、ファッションの話へと話題は変換された。
学校から帰宅。玄関に入ってすぐに姉は鉢合わせした理香に「おはえり」と、欠伸をかみ殺しながら言ってくる。「ただいま」と靴を脱いで自分の部屋に行こうと階段に足を掛けたとき
「お。忘れてた」
と、姉がなにか思いついたように「ねぇ理香」と呼び止める。
「なにか用事? 買い物だったら行かないから」
「そんなんじゃないって。いやさ、今日から予備校行くことになってるから」
「お姉ちゃん大学卒業してるよね?」
「そりゃぁ医者だからね。あんたが行くの」
姉の職業は医者。平日の4時だっていうのに、家にいるのは夜勤明けだからで自宅警備員だからではない。
さっきも言ったが、理香は志望校に合格するのは確実な状況。その事実は姉も知っているはずなのだが、予備校に行けと言うのには裏の事情があると、すぐにわかる。
叩けばどれだけの埃が出てくるだろう。
叩く前から埃で視界がほとんど失っていてもおかくしくない。どこぞのお国のようなもんだ。
「もうお金は支払い済ませてあるから。お母さんも了承済み。文句は再来年にでも聞いてあげるから」
そいじゃぁって、理香の肩に手を置いてウインクしてから、自室に戻ろうとしたが、肩に手を置いたのが失敗だったようで、姉を逃がすまいと手首を捕まえて抵抗を試みる。
「そこに私の気持ちが入ってないんだけど」
「うーん。未成年の理香には親の了承があれば、ほとんどまかり通るんだけど?」
それにっと言葉を付け加える。
「患者さんだった人が、そこで教師をしててね。困ってたからつい……ねっ!」
根も値も音もない。
ただあるのは、困った人をほっておけない性格の姉ならではの理由。
流れは完全に姉に傾いるのだ、理香は肩を少し下げて飽きれて物も言えない。さらに追撃と言わんばかりに
「場所は白羽だからね」
「電車で3つも先の駅じゃない!」
理香の家から駅までは10分ほど歩かないといけない距離にあり、自転車で白羽に行くには40分はかかってしまうのだ。
中途半端な距離なので、余計に行く気を無くしてしまっていたのは事実。
このまま行かないという手もあるが、さすがに姉の顔を潰せない。律儀な性格をしてるなぁって、産まれて何度思ったことか。
「これパンフレット。17時30分からスタート。よろしくね」
ズボンとお腹の間に挟まっていたパンフレットなので、生暖かい。それに湿ってる……。
寝てる間も入れていたらそうなるよ。
気にした様子もないまま、階段を上っていく姉を見送って、部屋に戻ろうとしていた理香だったが、リビングでお茶でも飲もうと上りかけていた足をリビングに向けて歩き出す。
冷蔵庫の前に着いて、お茶を取り出してコップに移し、お茶を冷蔵庫に戻したときに時計が視界に入る。そして、時刻が16時30分を少し回っているのを見て、一気にお茶を飲み干すと「お姉ちゃんのバカ!」って叫んで急いで支度に取り掛かるのであった。
30分でなにを支度できるかと問われれば、私服に着替えるぐらいしかできない。
急いで着替えた結果が、白のブラウスに薄紫のニットプルオーバーを合わせて、襟と袖に白いボアがアクセントになっている薄いベージュのショートコートを羽織る。下にパンツを合わせていたが、鏡の前で10分ほど熟考し、ドット柄キュロットに変更して納得すると、残り時間は30分しかなかった。
カバンを掴んで、手櫛で髪を整えながらドアを勢いよく開け放ち、階段をドタバタ颯爽と駆け下り、お気に入りのスニーカーを装着し、夕日が意気揚々と存在をアピールしているのを背に、駅へと全力ダッシュ。
中学時代は帰宅部の理香の速力は言うまでもなく遅い。
それでも彼女なりにがんばった甲斐あって、駆け込み乗車にはなったものの、ギリギリで電車に間に合う幸先の良い結果。
肩で息をしながら座席が空いていないかと探してみるけど、空いている座席はなく、だからと言って混み合っているとも言えない。隣の車両も覗いてみるが満席のようで、電車に乗れただけでもラッキーと思うべきかと吊り革に手をかけようとしたときだ。
「よければ座ってください」
理香と同じぐらいの歳だろう少年が理香に席を譲ろうと立ち上がっていた。
「いえいえ……」
息が上がって、それ以上の言葉が出てこない理香。
それを見て少年はクスっと笑い「自分は大丈夫ですから」と、彼は一歩だけ横にずれて吊り革を掴む。
そこまでされて拒否できる人間がいれば、恥しらずか年寄りだと自覚の無いおばあちゃんか。
「それではお言葉に甘えて」
と彼の座っていた座席へと着席する。
理香はふぅって一度だけ深呼吸をして息を整える。
まだ4月の終わりだというのに、今日は暖かくて少し汗ばんでしまった。
彼女は彼を横目で観察する。
窓の外の景色をひたすら見続けている少年。それを見て「こういう人なら……」って小声ながら言ってしまった自分に、何バカなこと言っているんだと自制したが、目的の駅まで彼を見続けてしまっていたのは、語るまでもないことなのかもしれない。
車内アナウンスで理香の降りる駅が告げられる。
たったの三駅を移動する間に、満員近い車内は戦場と化していた。
降りる人間がいれば残る人間がいる。そしてここの駅は残る人間のほうが多い。
降りる人間は残る人間に対して「すみません」や「道を空けてもらえますか」と攻撃をしても退いてくれるは極わずか。
戦場に赴く少女は『ふぅ』ではなく『ハァ』っとナーバスな気持ちを溜め息に乗せてみたけど状況は変わらない。
理香が立ち上がるとすぐさま、40ぐらいのおばさんがうむ言わさずに椅子取りゲームの勝者となって、でっかいお尻を捻り込む。
「すみません。次降ります」
満員に近い人々は聞いていても身動きが取りづらく、女性に関しては胸囲の格差社会をどうにも、男性陣に知られるのは嫌らしく、人が通れる道を作るには至らない。
すぐ近くの中年のおっさんが理香の体を見て、若くてプロポーションの良い獲物だと見定め、わざと少し通りにくくしている。まるで事故による接触を望んでいるように。
「すみませーん。ちょっと失礼しますね!」
男性特有の大きな手が理香の手首を掴むと、グィっと引き寄せられる。中年のおっさんがシメシメっと顔の表情が崩壊していくのだが、中年のおっさんの間に理香とは違う体格の良い背中が割って、理香の肩を掴み、一気にドアの方へと力が込められる。
「ドアが閉まります。ご注意ください」
無事に彼女は戦場を脱出することに成功し、新鮮な外の空気を肺へと送り込む。
「あ、ありがとうございます」
そして照れとお礼。
「いや、僕の方こそ手を掴んだり、肩を引っ張ったりしちゃってごめん」
彼も理香を無理やり、引っ張ったことに罪悪感があったようで、謝罪の言葉が繰り出される。
「いえいえ、助かりました」
と小さくお辞儀をして
「すみません。時間がありませんのでこれで失礼します」
彼も「気をつけて」と理香を見送る。
そして、また駆け足で改札ヘ向かい、折れ曲がった切符を挿入し、すぐの予備校に入ったのが予定時刻の五分前というギリギリだった。姉のせいにしておくのが自我を保つ秘訣。
事務所に向かって、姉の知り合いの男性と挨拶を交わすと、早速、説明を軽くされて教室へと案内された。
話を聞けば、春期講習は昨日から受講が始まっていて、本当は昨日からの予定だったのだが、姉が忘れていたのが原因で今日からになったと聞かされて「すみません」と理香が謝罪する始末。
そして、開始前の教室に案内されると生徒が疎らにいる中
「「あっ」」
と、最後尾の窓際の男の子とハウリング。
「高坂君と知り合いだったりする?」
「いえ、電車が一緒だっただけで」
と説明すると「顔見知りですか」それならちょうど良いと言わんばかりに「後は授業が始まるまで、仲良く会話でも」と事務所に帰っていく。
投げやりにされた理香は、突っ立っていても仕方ないと教室に入るも、疎ら過ぎてどこに座ったらいいのか戸惑う彼女に、彼は「隣、空いてるからどうぞ」と教えてくれたので、素直に従うことにした。
「高坂君ってそこまで手が早かったんだ」
綺麗に染められた金色の髪。両サイドをゴムで縛られているサイドテールが特徴で、大きな瞳と少し小さめの身長が可愛らしさを、さらに強調している少女。
「そんなことないって」
2人は仲良さそうにクスクス笑いながら、談笑しているのを見てムスっとしている理香。
どうして気を悪くしたことに気づいてはいないけど。
「まぁ、この2人はいつも、こんな感じだから」
理香の背後から棒読みに近いトーンで声が聞こえ、びっくりして後ろに振り向く。けど、誰もいなかったと視界を下に移動させると黒い髪の……頭があった。
「そうでごわすな」
そして、隣に大男である。
二百センチはありそうほどの巨体が、百四十センチほどの少女の横に立っていると、ホラー映画にありそうな展開を想像してしまう。
四方八方から声を掛けられて、どうしたモノかと理香が困惑していると
「姉貴たちは自己紹介ってのを知らないのかよ」
と今度は金髪の男の子がどこからか現れた。
なんとなくだが、金髪の少女と少年の顔立ちが少し似ているように感じる彼女だったが、すぐに疑問が正解だという事実を知ることとなる。
「それじゃ、あたしからね。藤野千佳、白羽高校3年」
ブイっとピースサイン。
「その兄貴の藤野圭祐、いつでも彼女募集中だぜ」
「あんたはどうでもいいのよ。時間もないし、次は麻衣ね」
2人は双子の兄妹であるにも関わらず、妹のほうが性格的な面で勝っているため、兄の圭祐は使いっ走りにされることの方が多い。
「私、草壁麻衣。栖鳳学院3年」
ブイブイっと棒読みに近い口調の子がダブルピースをすると、なにかを企んでいるかのように思えてしまう。
そして、栖鳳学院と言えば名門大学の合格者を大量に輩出する、進学校では名門中の名門である。
「わしは大文字辰巳でごわす。麻衣とは彼氏、彼女の関係でごわす」
ブイブイと巨漢の大男がダブルピースは意味があろうとなかろうと恐怖しか発しない。
「最後は僕、高坂空輝。光ヶ丘高校の3年。よろしくね」
ふんわりとした空輝の笑顔に、酔いしれてしまいそうだと理香の感性が悲鳴をあげている。
ダメ……見ちゃダメよ。なんて可愛らしく現実逃避。
見事に玉砕。
ちょっとした出来事が彼女の心を鷲掴みにするも、その気持ちを押し殺そうと必死になるけど、そう簡単には消えてはくれない。
「てか、あなたも自己紹介ぐらいしてくれないと、こっちはどう呼べばいいかもわかんないんだけど」
華麗に自己紹介を忘れて、のぼせている理香は顔を真っ赤にして
「諸星理香……桜花高校3年……です」
詰まりながらも無事に自己紹介を成功させ、5人から「よろしく」と祝福された。そして、すぐに講師の人がやってきて、賑やかだった教室が一気に静寂へと早変わり。
各自、急いで机に座って講義を聴く体勢に入る。
理香も慌てて用意しようとカバンの中から筆記用具を取り出そうと、チャックを開けたら……財布とスマホしか入っていないのに、なにを用意する気だろうか。
服装にこだわり過ぎて、筆記用具など完全に忘れて来ているのを、今になって気づく……。
その体勢で数秒は固まっていただろう。
理香の異変に気づいた空輝、カバンを覗き込んで固まっているので、ある程度の予測に基き、いつも使っているシャーペンに、カッターナイフで半分にした消しゴムを用意する。キチンと手が汚れないように、消しゴムのケースも切って装着。気の利く空輝ならではの親切だと言える。
そしてルーズリーフを数枚。
「諸星さん。よかったら使って」
小さな声で理香に話しかけ机に置き、彼女の返事も待たずに空輝は黒板へと視線を向けた。
恥ずかしいやら、嬉しいやらで気持ちが高ぶっている理香は、お礼の言葉も言えず小さなお辞儀をするのが精一杯。
それを千佳と麻衣は面白そうに、秘密をゲットしたように、これからは面白くなるという悪巧みに胸を躍らせながら、授業に集中もせず2人は手紙の交換をして時間を消化させるのであった。