第8話『セレン村』
少し歩いた先に見えてきたのは、木の柵で囲まれた如何にもド田舎って感じの村落だった。
入口らしい門の傍には「セレン村へようこそ!」と書かれた看板が立て掛けてある。あまり活気があるようには見えないが、ここは何かの観光地なのだろうか。
位置的に言えば人間が嫌っている魔族領に最も近い村だ。案外それを逆手に商売でもしてるのかもしれない。度胸試しだとかホラースポットみたいに宣伝して。
「……え?」
「ん?」
色々と不安を感じながら村の中に入ってみると、近くにいた村人に酷く驚かれた。
そいつは栗色の瞳をした女で、その目を大きく見開きながら俺達に視線を向けている。
外見的には俺と同じくらいの年か? 何でこの女は俺達を見て固まってんだろ?
これはアレか? 何か話し掛けた方が良いのかな、挨拶とか。でも急に話し掛けたせいで変に警戒されたらどうしよう? あ、駄目だ。俺も固まってる。
アリスも戸惑っているようで、俺と目の前の女の顔を何度も交互に見ていた。
「……た、旅人さん?」
先に口を開いたのは女の方だった。
俺は尋ねられた問いを頭の中で三回ほど復唱し、ようやく意味を呑み込めた辺りで頷く。
別に旅人で間違ってないよな? それとも迷子とか言った方が良かったか?
「……」
「……」
お互いに沈黙。これじゃ話が進まない。かと言って誰も口を開こうとしない。……何なんだこれ。誰か助けろ。
俺の祈りが届いたのか、この場にもう一人の村人が近づいてきた。
その人は恰幅の良さそうなおばさんで、沈黙を保った女と同じ栗色の髪と瞳をしている。その外見の共通点から、俺はこの二人が親子なんだと察した。
「どうしたんだい、マリー? そんなところに突っ立ってないでさっさと仕事に戻りなさいな……って、あれ?」
「……どうも」
目が合ってしまったので仕方なく会釈をしておく。
するとおばさんは喜色満面の笑みを浮かべてズカズカと俺達に歩み寄ってきた。
や、やめろ! 俺に近付くんじゃねえ!? ひぃいいいい!?
怯えていると思われないよう、俺はポーカーフェイスを保ち続ける。しかしアリスの方は完全に涙目で俺の背中に隠れてしまった。……人を盾にするなんてずるいぞ!
「あらあらまあまあ! こんな辺鄙な村にまさか客人が訪れてくれるなんてねぇ! 二人で来たのかい? まだ子供じゃないか、親御さんはいないのかい?」
おばさんはやけに大きな声で俺達の頭を乱暴に撫でてくる。そしてその声に釣られて村人達が次々と俺達の下に現れ始めた。……どうなってんだよこれはぁ!?
「うっほぉ! 余所者が来るなんて、王国の兵士様や勇者様以外じゃ始めてじゃね!? というか妹さんの方、すっげえ美人だな!」
「何だ何だ? 似てない兄妹だな。何処から来たんだ?」
「……訳ありって感じだな。皆、あんまり詳しく聞いてやるな」
「だけどやっぱり珍しいよね。こんな魔族領に近い場所に軍人でもない人が来るなんてさ」
俺達はあっという間に村の大人達に囲まれてしまった。
とりあえず、現在激しく混乱中。どうしてこうなったのかさっぱり分からない。
会話の端々から俺達に強く関心を示しているのは分かったが、何も群がることはないだろう。この状況、普通なら逃げるぞ。泣きながら全力で逃げるぞ。
いっそのことここにいる奴ら全員ぶっ殺してやろうか? そんな考えまで浮かび始めた時、村長っぽい爺さんがこの場に現れた。
「これこれ。そんなにはしゃぐでない。小さき旅人達が怯えておるじゃろうが」
爺さんの言葉は効果覿面だったようで、村人達は俺達に軽い謝罪をしながら離れてくれた。……助かった。
「すまなかったの、お前さん達。この者達も悪気はないんじゃ。もし良ければお詫びを兼ねて家に招きたいのじゃが……どうじゃな?」
「……」
爺さんからの唐突な提案は俺を訝しがらせるには十分だった。
だってそうだろ。俺だったら知らない人間を家に招待しようなんて考えない。絶対にだ。
「セイヤ、どうしようか?」
「どうしようか……ってお前、怖いからってそんなに密着すんな!」
さっきから背中に柔らかい感触があると思ったらこのせいか。……中々悪くないじゃねーか。
一度意識すると自然に顔が熱くなって困る。それなのに俺の意識とは別に感覚の全神経が背中に集中するんだから、男子ってある意味不思議な生き物だな。
ハッ!? 騙されるな俺! 俺は身をもって体験した筈だ。この肉の双丘はその気になれば人を殺せるということを!
「嫌だもん! 離れないもん!」
「幼児退行すんなよ。また俺を窒息させるつもりか?」
「窒息?」
「あ、いや、こっちの話だ……」
まあそれはともかく、爺さんの提案をこの場で断るわけにはいかないだろう。正直爺さんの提案は全く信じられないし、むしろ警戒している。だけど最も人との干渉を避ける方法としては、これが最善だと思う。下手に気分を悪くさせて村にいられなくなるのも面倒だしな。
ま、最悪の場合は全部ぶっ壊して逃げればいい。そう考えれば少しだけ心に余裕が持てる。
俺が爺さんの提案に同意すると、爺さんは元々細い瞳を弓形に曲げて嬉しそうに微笑んだ。
「うむ。では早速我が家へ行きましょうかの」
こうして俺とアリスは爺さんの後ろに付いて行き、村で一番大きな家の中に上げてもらった。
*****
「さて、まずは自己紹介をしておこうかの。わしはここ、セレン村の村長をしておるフェンメルという者ですじゃ」
「俺は誠也です」
「わ、私はアリスです」
フェンメルさんは俺達の名前を聞くと、嬉しそうに微笑みながら何度も頷いていた。その様子はまるで大好きな孫を相手にする祖父さんのようだ。少なくとも敵意は見られない。
「村人達の様子に二人とも驚いたじゃろう? じゃが、どうか許してやって欲しい。この村は魔族領に近い為、軍人以外の人間は怖がって滅多に訪れんのじゃ」
「……なるほど。そんな状況で俺達がやって来たから、皆あんな風に驚いていたのか」
「こ、怖かった」
アリスはテーブルの下でさり気なく俺の手を握っている。あんなに多くの人に囲まれたのは流石に堪えたようだ。
それにしても、俺も随分懐かれたもんだな。村人達がアリスを妹だって勘違いしたのも分かる気がする。
そんな俺達を微笑ましく眺めていたフェンメルさんが、ふと思い出したように尋ねてきた。
「それにしてもお前さん達、どうしてこんな村にやって来たんじゃ?」
「それは……」
まあ当然の質問だよな。何の目的も無しにこんな村に来るなんて不自然すぎる。
さて、誤魔化せなかった時にどう答えるべきか。
そもそも村に入って誰かとこんな話をするつもりなんてなかったから、模範的な言い訳なんて考えてなかったぜ。
俺が返答に困っていると、フェンメルさんはすぐに「失言じゃった。今のは気にせんでくれ」と言って自分の質問を取り下げてくれた。どうやら余計な詮索をするつもりはないらしい。
「この村は若者が少ないからのう。お前さん達のような子供が遊びに来てくれただけでも村の皆は大喜びじゃ。特にマリーが一番喜んでおるじゃろうて」
「マリーって誰?」
「私も知らない」
「ははは。お前さん達の傍に可愛い女の子がおったじゃろう? あの子がマリーじゃよ」
可愛い女の子って言われると、まあ、最初に目が合ったあの女だろうな。他は全員おっさんとおばさんだったし。
俺が一人で納得していると、アリスが隣で不安そうに俺を見つめていた。
……もしかしてまだマリーが誰なのか分かってないんだろうか。それとも俺の理解力を疑っている? どうでもいいけど、そんな目で見られると俺まで不安になるからやめてくれないかな。
「……で? 何でそのマリーって女の子の話が出てきたんですか?」
「うむ。実はあの子の家は一応、外から来た者を泊める宿屋としての役目を持っておってな。お前さん達もきっとあの子の世話になるじゃろうと思ったんじゃ。それに……同世代の子がこの村にはおらんからのう」
フェンメルさん曰く、マリーは同世代の友人がいない為にずっと寂しい思いをしてきたらしい。故に外から来た人の世話をするのが楽しみなんだそうだ。
ところが仕事でやって来た兵士達の多くは年上。おまけに魔族領に突入することでピリピリしている者が殆どであった為、まともに会話することもできなかったらしい。
だからこそ俺達がこの村にやって来たことは彼女にとってとても喜ばしい出来事だったようなのだ。
「寂しいのは……嫌だよね」
「アリス……」
アリスはフェンメルさんの話を聞いて目に涙を浮かべていた。
それも仕方ない。彼女は一夜にして家族を失い、その後一人で時を過ごしてきたのだから。何かしら共感できる部分があったんだろう。
ただ、俺としては自分から誰かと接触するのは避けたいところなんだよなぁ。というか、できればもう誰とも話したくない。むしろ速く一人になりたいと思ってしまう。
「私、マリーちゃんとお友達になる!」
「ええぇ?」
「セイヤ、そんな露骨に嫌な顔しちゃ駄目だよ!」
「……むう」
やれやれ。せっかくアリスが元気になってきたのに、水を差すのは無粋だよな。仕方ない。どうせ今日はその子の宿に泊まるつもりなんだし、話しかけられた分にはしっかり応えてやるとしますか。
そこまで考えて、俺はこの旅が最初から破綻していることにようやく気付いた。
……旅費がない。