第6話『二人の指針』
「――何だ!?」
セラは自分と同等……もしくはそれ以上の魔力を感じて腰の剣を抜きそうになった。
思わず間近で発せられたと錯覚するほどの密度。それほどまでに危険な魔力をセラは敏感に感じ取ったのだ。
「ん? どっかしたの? 勇者様」
「フレム、あんたの気配察知って獣並みじゃなかったの? 何で分かんないの? 馬鹿なの?」
「おい馬鹿って言うな! クソッ、何でこんな性悪女が生き残ってんだよ!」
「……フレム、アリエ。無駄な争いはやめなさい」
セラに窘められた二人はお互い不満そうに顔を背けた。
それを見てセラは盛大に溜息を吐く。
(こんな状態で……何故この二人はこんなに元気なのですか?)
セラは改めて自分達の姿を見直した。
赤い髪が特徴の槍を抱えた少年、フレム。
青い髪が特徴の杖を抱えた少女、アリエ。
この双子は共に酷い怪我を負っていた。当然、勇者と呼ばれたセラ自身も。
戦いの前までは他にも大勢の人間達がこの場にいた筈だが、今はたったの三人しか残されていない。そしていなくなった者達が再び姿を見せることは決して無いだろう。
全ては油断が招いた悲劇であった。
(考えが甘かった。まさか魔王があんな仕掛けをしていたとは思いもしなかった)
人間と魔族。二つの勢力による争いは遠い過去から続くもので、今では何が戦争の発端となったのか定かではない。
しかし人間達の魔王を滅ぼさなければならないという思いは決して消えることがなかった。
そうして今から四日前。セラ達はついにその悲願を成就すべく、魔王と剣を交えたのだ。
魔王ラース。彼はとても強かった。
銀色の髪に紅蓮の瞳。見た目は普通の人間とそう変わらないように思える。
しかし頭から生えた二本の角や、全身を取り巻く烈火の如き狂気のオーラはまさしく魔の頂点に立つ者だ。
彼は獣の如き俊敏さと圧倒的な暴力をもって目の前の敵を薙ぎ払う。
その戦闘力は凄まじく、神の加護を得た勇者の力をもってしても打ち払うことはできなかった。それも地力ではない。聖剣の恩恵で基礎能力を上昇させた勇者の力でだ。
もしも先に戦った暗黒騎士に手傷を負わされていなければ、もう少しマシに戦えたのだろう。だがそれでも魔王と拮抗状態になるだけだったかもしれない。
狂戦士である筈の魔王は直感によるものなのか、魔術による撹乱や罠を悉く見破り、破壊し、目の前にいる者達を圧倒した。
その中で、セラだけが唯一魔王の動きについていくことができた。
そして勇者だけに許された星光技を全て用いることでようやく魔王の動きを衰えさせ、仲間達全員の必殺技によって勝利を掴むことができたのだ。
――しかし、人間達が勝利を喜んだのはほんの束の間でしかなかった。
魔王が倒れたことで動揺した魔族達を一気に駆逐。
魔王城の陥落を目前だった。
だがその時、“ソレ”は起きた。
目が眩むような銀色の光が城全体を包み込み、敵も味方も関係なく、全ての存在を崩壊させた。
無に還る魔王城。
肉塊と変わっていく仲間達。
何とか姿を保っていた魔族達も誰一人残らず全滅した。
そして重症を負いながらもなんとか生きながらえたのは、咄嗟に魔術で防御体勢を取ったセラ達三人だけだったのだ。
恐らく、魔王が死ぬと自動的に城が自爆するような術式が仕掛けられていたのだろう。それを見抜けなかったからこそ、彼女達は多くの仲間を失った。
戦いに勝って、策に負けたのだ。
(……これでは大手を振って魔王に勝ったとは言えませんね)
セラはかつて魔王城があった方角へと目を向けた。そして蒼い瞳をすっと細める。
「今感じたのはまさしくあの時の……。あの場所にはまだ何かがあるということですか?」
セラは己の体を見下ろす。
鎧は半壊。裂傷は未だに癒えていない。満身創痍の体がそこにある。
はっきり言って今のままでは並みの剣士と同等の力しか発揮できないだろう。ならば今も後ろで騒いでいる双子はそれ以下の力しか発揮できないことになる。
(魔王は倒した。この事実は変わらない。まずは王都に戻ってこのことを伝えるべきだ。――そして傷が癒えたらすぐにでも魔王城の跡地を調査しよう)
一抹の不安を抱えながら、セラは止めていた足を動かし始めた。
一週間後、勇者セラは「金色の救世主」として世界中に名を馳せることになる。
*****
「……ごめんね」
アリスはそう言って墓に向けて火の魔術を解き放った。
紅蓮の炎が地面ごと中の死体を焼き尽くし、全てを灰に変えていく。
アリスは泣いていた。
一時も炎から目を離さず、涙を流し続けていた。
「……」
中庭の壁が崩れ去った以上、これから先も容赦なく魔物がここを荒らしにやってくるだろう。だからこれは……仕方がないことだ。
肉体を失い、拠り所を失った魔力はそのまま世界の一部となって空気中に溶けていく。それはどんなに強大な魔力を持つ者でも変わらない……らしい。
「これで、良いんだよね?」
「……ああ」
俺は下を向きながら、アリスの呟きを肯定した。
死体となった彼等だって、魔物に食い荒らされるよりも火葬される方がずっとマシだろう。……そう納得してもらうしかない。
――なあ、ディアボロス。お前は何で俺をここに召喚したんだ?
俺はアリスの横顔を見た。
彼女の涙を見て、俺は再び下を向く。
俺には彼女の悲しみを一ミリだって理解してやることができない。
とてもじゃないが、他人の命を背負うなんてこともできない。やりたいとも思わない。
ディアボロスが望んだ、妹を守るという願いを叶えられる器じゃないんだ、俺は。
――それなのに、どうして俺があんたの後継者に選ばれたんだ?
俺は無力だ。何もできない。
何事にも関わりたくないし、何もしたくない。
色々なことを投げ出して、現実から目を背けていたい。
暗闇の中に沈んで、孤独という殻に閉じこもっていたかった。
そんな俺が、どうして――。
「ねえ、セイヤ。私、まだ貴方にお礼を言ってなかったよね」
アリスは突然俺にそんなことを尋ねてきた。
「お礼って……。別にいいよ、そんなこと」
「ううん。私がしたいの。貴方のおかげで、私はこうして生きているから。体だけじゃなくって、心も含めて、私はまだ生きているから。だから……ありがとう」
そう言って、アリスは微笑んだ。
それは今まで見せてきた表情とは全然違う、心の底から喜びを感じている笑顔。
俺が見た中で最もきれいだと思える表情だった。
……勘違いするな。これはただの感謝だ。
俺はできるだけ冷静に考える。
アリスはただの協力者であって、信用しているわけじゃない。
相手がいつ裏切るかだって分からない。信用するっていうことはその辺りのリスクを背負うってことだ。
分かってる。分かっているんだ、そんなことくらい!
……分かっていた筈なのに。
「――どういたしまして」
俺は、アリスを放っておけないと思ってしまった。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。何で赤の他人と一緒にいたいと思っちまうんだ、俺は。
今自分が浮かべている笑みが自嘲によるものなのか、それとも別の感情によるものなのか、俺にはさっぱり分からない。
この行動理由は一体何だろう?
自分のことなのに何も分からない。だけど、ただの同情とか偽善じゃない気がする。
細かく分析すれば色んな感情が原因だって分かるけど、それを上手く言葉で表すことができない。
……だったらこう言うしかないじゃないか。
――俺は“何となく”アリスを守りたい。
何だこれ。自分でも意味が分からない。
だけどまあ、行動理由としては十分だろ。……多分。
「私、ずっとセイヤに付いて行くからね!」
「……ああ」
気が付けば俺は顔を上げていた。
この先何が待っているのか分からないし、正直不安もある。だけど、俺は前に進もうと思ったんだ。
ゆっくりでも、立ち止まっても、振り返ったって構わない。
俺は上を向いて、怖がることを肯定しながら歩いていこうと思う。
翌日、俺はアリスと共に旅に出た。
『召喚編』終了。
続きはまた今度。