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第4話

お兄さんを拾いました。

 馬車の姿が見えなくなっても、私はしばらく呆然としていた。


 買ってしまった。


 買ってしまったよ。


 どうするよ。


 おそるおそる、後ろを振り返る。


 青年が、感情の読めない紅い瞳で、私を見下ろしていた。


 本当、どうするよ。


 私、まだこの世界に来て、数時間しか経ってないんですけど。

 自分が食べることすら、ままならない状態なんですけど。

 住むところもないし。

 帰る場所もない。

 しかも、言葉もわからない。

 あ、落ち込んできた。この思考は、凍結だ。今は。考えては駄目だ。後回しにしよう。後で、何倍にもなって戻ってくるのだとしても。今は、この状況をなんとかするのが先だ。


「ええと……」

 

 私は青年を見上げた。

 首が痛くなるくらいに背が高い。紅い虹彩。


「……****」


 青年が、擦れた声で、小さく何かをしゃべった。

「ごめん。何言ってるかわかんない」

 私が首を思いっきりかしげると、青年が大きな溜め息をついた。


 そして──


 そのまま、青年の身体は前のめりに傾いでいき──

 ぶっ倒れました。

 

 顔面から、思いきりいった気がする。がつん、と打ち付ける音がした。

 その後、ぴくりとも動かなくなってしまった。


「え、ちょっと!?」

 私は慌てて、青年の側に駆けよった。

 し、死んじゃったの?

 どうしよう。

 私は震える手で、青年の顔に触れてみた。

 温かかった。

 生き、てる?


 覗き込むと、小さな寝息が聴こえた。


 寝てるよ! この人!


 起きてくれ!


 頼むから。

 お願いだから、自力で歩いてください。

 こんな大きい人、私、かつげませんよ。いやマジで。インドア派のか弱い女の子の筋力の限界に挑戦ですか。



 いやもう、本当。



 どうするよ、私。


 

 * * *



 私は、ぐったりと、崩れるように木の幹にもたれかかった。


 なかなか、息が整わない。肺が悲鳴を上げている。



 運びましたよ。


 運びましたとも。


 道の脇まで。


 道のど真ん中にうつ伏せで倒れた、長身の、そこそこ筋肉もついた、大きな青年を。


 筋肉が張りつめすぎて切れそうでした。ふんばりすぎて、脳の血管切れそうでした。腕がぷるぷる震えました。未だに震えています。重過ぎです。この身体の中、何が詰まってんの。骨格金属でできてんじゃないの。異世界だし。


 そして、道端までが限界でした。

 仰向けに、草むらの上に寝っ転がすまでが限界でした。


 誰か通りかかったら、助けてもらおう。

 今度は、しっかり人をみてから、接触を試みよう。


 青年は、まだ起きない。

 仕方ないので、フード付きの外套を脱いでかけてあげた。だって、ボタンの数個取れた薄い綿シャツと、あちこち破れたジーンズっぽいズボンしかはいてないんだよ、この人。傷だらけだし。新しい傷なのか、古い傷なのかも、汚れすぎてて判別不可能だ。足には履きつぶされた、よれよれの革のサンダル履いてるし。


 風だけは、そよそよと、爽やかだった。

 気分はどんよりと淀んでいますが。


 私は身体の力を抜いて、青年が目を覚ますまでの間、幹に背を預けてしばし休憩する事にした。




「……う」

 お兄さんが、低く呻いた。

 どうやら、ようやく起きてくれたみたいだ。

 お兄さん、1時間半ぐらい寝てましたよ。

 陽が、だいぶ東に傾いています。西の空の端が、オレンジ色にじわりと染まってきています。

 できれば、もっと早く起きて欲しかったよ。


 これって、もしかして、もしかしなくても、野宿コースになりそう?


 異世界の初日は、野宿でした。まる。


 なんてヘビーな展開なのさ。

 お風呂入って、肌の手入れだってしたい。

 ふかふかのお布団でねむりたい。

 新作のゲームだってしたかった。

 夕飯当番と受験勉強を免れたのだけは、ちょっと、まあ、心の奥底で嬉しかったけど。

 リスクの方が大きすぎる。

 ハイリスク、ベリーリトルリターンだ。


 これのどこが、事故の示談金的待遇なのかと、あの毒舌神もどきに問い詰めたかった。


「うう……***……」


 私は1つ溜め息をついてから思い身体を起こし、青年の側に座り込むと、そっと顔を覗き込んだ。


 ゆっくりと瞼が開いて、驚くほど澄んだ紅い瞳と目が合った。何度みても、不思議な色だ。生まれてこの方、紅い目なんて見た事がない。アルビノの赤目よりも、もっと深みのある紅い色。


(おそ)よう。お兄さん。目が覚めた?」


 青年は数度目を瞬いた。視線を上下左右にゆっくりを動かす。状況がすぐに把握できていないようだ。


「起きれる? リンゴ食べる? 物凄い微妙な味だけど、HP500以上回復する優れものだよ」


 私は鞄から【サンセットアップル】を採り出して、青年の顔に近づけた。

 青年が、紅い目を最大にして見開く。


 え。なに。

 

 青年が首を横に振る。

「***!? ***、****? ****!」


 私は首をかしげて、横に振って見せた。

「だから、私、言葉がまだ分からないんだって。【サンセットアップル】、貴方食べる。回復する。オッケー?」

 青年が首をかしげている。

 よし。きたか。またまた私のボディーランゲージを披露する時間だな。身体言語。やってやろうじゃないか。


 私は青年の顔に指を突きつけ、手に持ってリンゴを指さし、口を開けてリンゴを食べる仕草をして、腕を上げて力こぶを作って見せた。これでどうだ。


 青年が首をかしげている。


 くっそう! これじゃまだわからないみたいだ。仕方ない。もっとオーバーアクションでゆっくり丁寧にやってみようか。なんかもう、パントマイムをやってる気分だよ。羞恥心なんて、とうの昔に用水路に捨ててきたさ。


 もう一度さっきの仕草を、こんどはスローモーション風にやってみた。


「これで、オッケー? わかったら、これ食べて!」


 私は、青年の胸元にリンゴを置いた。両手を開いて、あげる、という仕草をする。

 青年が、戸惑うように胸に置かれたリンゴをみて、私を見上げた。


 あ。

 

 そうか。手錠してるから、もしかしたら食べられないのかもしれない。

 青年の手首と足首を戒めているのは、厚い鉄板で手首を上下に挟むタイプの頑丈な手錠。表面には、何やら模様が刻まれている。

 この手錠、そういえば、どうやって外すんだろう。鍵、くれなかったよ、あのギョロ目オヤジ。


 仕方ない。


 私はリンゴをどうにか手で割った。果汁が飛ぶと、芳醇でフルーティな香りが立ち昇った。甘い、良い香りが周囲を満たす。香りだけは、いいんだけどね。このリンゴ。

 半分を、青年の口元に持っていった。口を開けない。警戒してるのだろうか。食べれるよ、これ。物凄い味だけど。効果は保証するよ。

 私は、手に持った半分のリンゴを少しだけ齧ってみせた。すっぱいのと甘いのが、口の中で荒れ狂う。私は、目と口元をすぼめた。美味しいのか不味いのか、やっぱり判別不能だ。


「すっぱ甘! けほけほ……。ほら、大丈夫でしょ。食べれるから。これ、貴方も食べる。回復する。食べて!」

 口元に目一杯近づけると、青年は諦めたようにリンゴを齧り出した。やっと分かったか。長かった。言葉が分からないって大変だ。早く、しっかり覚えよう。

 青年も時折、口をすぼめている。眉間に皺を寄せて、微妙な顔をしている。わかる、わかるよ、その気持ち。

 でもお腹が空いていたのか、結局1つ食べきってくれた。私と一緒。腹が空いてたら、何でも食べれるものだよね。


「起きれる?」

 私は青年の背中に腕を差し込み、起こそうとした。

 起こそうとした。


 できなかった。


 重すぎるよ、この人!

 

 青年は私の意図がわかったのか、自力で半身を起こした。赤い顔で息切れしている私を、少し呆れたように見ている。なによ。私だって、これでもいろいろ頑張ってんのよ!


 掛けられた外套に気がついて、首をかしげながら持ち上げている。


「あ。それ、私の」

 首をかしげている青年の手から、私は外套を引き取った。再び身に纏う。フード付きで、ポンチョっぽいデザインがちょっと可愛い薄手のコートだ。気に入っている。大事にしよう。それ以前に、これ1枚しかないし。貴重な一張羅だよ。

 青年が不思議そうに、どこか呆れたように私を見ていた。なんなんですか。そんなに私珍しいですか。

 珍しいよね。異世界人だもんね。

 言わないけど。言っても通じないけど。言葉の壁って、厚いですね。


 私は、今度は手錠を指さして、左右の手でこじ開ける仕草をしてみせた。


「これ、どうやって、外すの? わかる?」

 鉄板の隙間に指を捻じ込み、力一杯上下にひっぱってみたが、ぴくりとも動かなかった。当たり前かもしれないけど。

 青年が、諦め悪く手錠を上下にひっぱる私の手を押さえて止め、私を指さした。

「***?」

「なに?」


 青年が少し考えるように口を閉じ、今度は自分に向かって指さした。

「レウド。レウド、****」

「レウド?」

 青年が頷く。あ。もしかして、お兄さんの名前ってこと?

 青年が、今度は私を指さした。どうやら、私の名前を聞いているみたいだ。

「私? 私は、的場知那美。ええと。ここ、外国っぽいから、逆になるのかな? チナミ・マトバ」

「チナミ・マトン?」

「誰が羊肉よ! 私はマトンよりラムが好きです! 違うわ。チナミ・マトバ」

「チナミ・マトバ」

「そう。間違えないでね」


 青年は頷くと、手錠のはまった手でやりにくそうに、銀色の首輪を示した。

 銀色の首輪にも、模様が刻まれている。中央には円があり、円形の黒いプレート

が嵌め込まれている。


「なに?」

 銀色の首輪が、どうしたの?

 何をしてほしいのかわからず、私は途方に暮れた。


 あ。そうだ。


 こういう時こそ、【精査】を使えばいいんじゃないの。あまりのヘビーな急展開に、動揺して、すっかり失念していたよ。


 私は青年につけられた銀色の首輪をじっとみた。


「〈プローブ〉」


 半透明のウインドウが現れた。



【スライブリング】

 魔法アイテム。

[説明]奴隷を主に従わせる首輪。黒いプレートに人さし指を当て、名前を唱えると所有者登録される。この首輪がある限り、奴隷は主に絶対服従である。害をなそうとすれば、首輪がしまり、自縄の魔法が発動し、全身に激痛が走り、一時的に麻痺状態になる。主が意図的に発動する事も可能。発動呪文〈サンクシエン〉。

 ??

 ??



 怖!


 なにこの怖い魔法アイテム!?

 だから、しがない大学受験生にこんなヘビーなアイテムは重すぎるって、何度言ったらわかるんだ。


 続いて、手錠も【精査】してみる。


【スライブカフス】

 魔法アイテム。

[説明]スライブリングと連動している。主が決まるまで奴隷の動きを封じる拘束具。主が決まれば外れる。


 そうなのか。ヘビーですね。


 足枷も【精査】してみる。


【スライブフットカフス】

 魔法アイテム。

[説明]スライブリングと連動している。主が決まるまで奴隷の動きを封じる拘束具。主が決まれば外れる。


 ……もう、なんか、異世界初日から、ヘビーすぎるアイテムのオンパレードなんですけど。


 もういやだ。私は、普通の、ほんわかファンタジーが好きなのに。ライトな、もふもふいっぱいの、キュートなファンタジーが好きなんです。ダークなファンタジーもまあ、好きだけど、我が身に降りかかってくるのはノーサンキューです。


 ついでに、青年も【精査】してみた。


【レウド】

 種族 月狼族

 レベル 41

 ▼状態異常中▼ 隷属(主:    ) ??

 次のレベルまで 520/10500

 HP 1050/1400

 SP  450/450


 取得スキル

 ※状態異常中の為、使用できません。


 

 レベル、そこそこ高えええ──!?


 なにこのステータス。なんでこのお兄さん、奴隷になんてなってんの。意味がわからない。

 状態異常中? 隷属って……。

 ??っていうのも、なんだろう。今の私のレベルでは、開示されない状態異常なのか。なにその判定不能な不気味なバッドステータス。どこでそんなわけのわからない状態異常にかかってきたのお兄さん。ていうか、レベルそこそこ高いのに。


「……レウド。なんで、奴隷になんて、なってたの?」

「***?」

 レウドが首をかしげた。

 私は溜め息をついた。

 言葉が分からないから、事情すらきくことができない。うん。早く言葉を覚えよう。早急に。これ、最優先事項。


 レウドが、私に向けて、首を反らした。やりにくそうに、首輪に向けて親指を差す。それから、手錠と足枷を動かして、かちゃかちゃと鳴らした。

 レウド版ボディーランゲージから察するに、主の登録すれば、手錠と足枷が外れるからしてくれ──ということが言いたいのだろうか?


 私はレウドを見上げた。


 紅い瞳が、私を見下ろしている。

 ゆっくりと、頭を上下に動かした。やっていい、ということなのだろうか。いいのか、本当に。このまま街へ行って、どうにかこの極悪犯罪リングを外してもらったほうがいいんじゃないのか。


 ああ、でも。


 レウドの足枷をみる。

 厚い鉄板で、上下に挟まれた、頑丈そうな足枷。ものすごく重そうだ。

 これで、街まで歩いていくことは、相当な難業になるのは確実だ。不可能に限りなく近い気がする。あ、でも、そうだ、海老みたいに両足揃えてジャンプしていけば──いけるの、だろうか。街までも距離も分からないのに。ものすごく、しんどそうだ。跳ねてる方も、見てる方も。血の涙が流れそうなスパルタトレーニングしてるみたいだ。嫌すぎる。


 私は息を吐き、もう一度、レウドを見上げた。


「仕方ないね。とにかく、街まで行かないと。それまで、我慢して」


 私は、レウドの銀色の首輪の中央にある、黒いプレートに人さし指をあてた。


 黒いプレート全体が、じわりと光を発した。


「チナミ・マトバ」


 光は一瞬だけ強くなり、そして消えた。


 指紋認証と声紋認証と、さっきなんだか、スキャンされたような気もする。もしかして遺伝子認証とかもあったりして。だったら、ファンタジーなのに、技術は私のいた世界と同等の、いやそれ以上のテクノロジーだ。動力は電気じゃなくって、魔法的な不思議なナニカだけど。


 がちゃん、と大きな音を立てて、分厚い金属の手枷と足枷が地面に落ちた。

 外れた。首輪以外。


 レウドが、自由になった手足を擦ったり、曲げたり、振ってみたりしている。

「よかったね。外れて」

 私は、ほっとして微笑んだ。

 あ。でも良くはないのか。良くないよね。状態異常中だもん。極悪犯罪的な。

 

 よくみると、レウドの手と足はさっきの手枷足枷ですり切れていたのか、血が滲んでいる。

 手当てしなきゃ。

 でも、その前に──するべきことがある。


 私はレウドを見上げた。


「レウド」


 紅い瞳が、私を見下ろす。


 私はレウドの顔に向けて、指を突きつけた。


 これからする身体言語は、絶対に一発で通じる自信がある。これ以上の表現は無理だと宣言できるくらいだ。もし伝わらなかったら、山盛りハンバーグを譲ってもいい。それくらい絶大な自信がある。

「チナミ?」


 私は顔を思いっきりしかめて、息を止めて頬を膨らまし、鼻を摘む仕草をした。


「レウド。ものすんごく臭い」

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