第13話
旅の準備と銀色トマト
黒い少年が、じっとこっちを見ている。
……ような気がする。
ああでも気のせいかも知れない。私の他にもこの広場にはいっぱい人がいるし。ちょっと気にしすぎというか、神経が疲れて過敏になってるのかも。
時間的には、ほんの数秒。
少年は興味が失せたみたいに、また何事もなく、前に向き直った。
そして一行の後を、軽い足取りで歩いていってしまった。
なんだったんだ。
ちょっと、びっくりした。
レウドとリリィアが小声で話す声が、後ろから聞こえてきた。
「……遠征帰りか?」
「ううん。バイゼン王国への特使らしいよ。……話し合いの。別の部隊と、この町で合流するらしくて、4日ぐらい滞在するみたい。早く行っちゃってくれたらいいのに」
聞き取れた単語は──ばいぜん。話しあい。
焙煎? コーヒーの話し合い? 良い香り。違う。初めて聞く言葉だ。メモ用紙、メモ用紙ほしい。あと、ペン。
「ここの広場を通り過ぎてくれて、よかったわ。あいつら、町に立ち寄ったら、ああしてうろうろしては、難癖付けて、タダで飲み食いしてくんだもん」
聞き取れた単語は──あいつら、町、飲み、食い、タダ。
リリィアが憤慨している。
なるほどわかった。
あいつら、タダ飯食い一行か。それはよくない。どうりで広場中に、はりつめた空気が流れてたはずだ。立ち止まられたら、タダで飲み食いされるのか。ひどすぎる。警察はどこだ。
「……隣の国の、アルディリア国を属国にしたばかりなのにね」
また、聞きなれない言葉が耳に飛び込んできた。
気になって振り返ると、リリィアが暗い顔でため息をついたところだった。
──あれ?
え、ちょ、ちょっと、レウドがいない!?
──と思ったら、店の脇の、天幕に隠れるように立っていた。
びっくりした。何でそんなとこ立ってるの。いきなり姿が見えなくなって、焦ったじゃないか。
ああ、さっきの言葉、最後まで聞き取れなかった。なんて言ったんだろう。
「あ、ある……?」
「──チナミ。帰ろう。顔色が悪いぞ」
え? 私、顔色、悪い?
そりゃ2キロもぶっ通して歩かされて疲れてはいるけど、休憩してるから、だいぶ回復したよ。あとは果物ジュースを飲んだらもっと元気に──
レウドが、私の肩を腕で抱えるようにして掴むと、強く引っ張った。
『うわっ』
いきなり引っ張られてバランスをくずしてしまい、私はレウドにしがみついた。いきなりなんなんだ。うっかり日本語が口から出そうになったじゃないか。
見上げてもレウドの胸元しかみえない。硬すぎて鼻打った。痛い。しかも、がっちりホールドされて逃げ出せない。そして恥ずかしい。いやそんなことより重大な事が。
──ちょ、私の、ジュースが!
「俺達は宿に帰る」
「あら? もう帰っちゃうの? そう……気をつけて! また明日ね、チナミ!」
レウドが歩き出すので、ホールドされた私も引きずられるように歩き出すしかなかった。
言わなければ、と焦って言葉を考えてるうちに、どんどん遠ざかるフルーツジュースバー。リリィアが手を振っている。まって。ちょ、お姉さん気付いてないよ。
できたてのジュースが、そこにあるよ?! 私のが! 台の上に! 完成品が!
私の、フルーツジュースがああああ────!!
* * *
私とレウドは、宿の1階にあるカフェで、サンドイッチとお茶のポットをテイクアウトで作ってもらって、部屋に持って上がった。
赤と緑と黄色の葉っぱと、ピクルスみたいな黒い刻んだものと、チキンみたいなお肉が、はみ出すくらいに、バゲットみたいなパンに挟んである。オーロラソースみたいなのが中にたっぷりかけてあって、とても美味しい。量が多くても、軽い口当たりでぺろりと食べられる。
私はポットのお茶をコップ2つに注ぎながら、レウドにうらめしげな視線を送った。届け、私の無念と抗議の思念よ。
「……くだもの。のむ。ない。かなしい」
ベッドに座って、荷物のチェックを始めたレウドが顔を上げた。私のうらめしい視線に気付いたのか、まいったな、という顔をして頭をかいた。
「ああ。えーと。……まあ、悪かったな」
なんだか反省の色が薄い!
なおも和らがぬ私の抗議の視線から目をそらしたレウドが、気付いたように手を打って、腰の大きな革ポーチから、銀色のトマトをとり出した。
それを私に向けて差し出す。
おおお!? それは、銀色トマト! ……なのかな。これ、野菜? 果物?
レウドの隣に座って、トマトを両手で受け取る。私の両手にすっぽり収まる大きさ。
香りは、とても甘い。
「……〈プローブ〉!」
【シルバリアン・トメート】
果実
[説明]銀色のパリッとした薄皮の下は、柔らかく瑞々しい果肉が隠れている。味は程よい酸味とさっぱりした甘さで、サラダにも最適。小粒ながら栄養も凝縮されており、疲労回復に効果あり。
[効能]HP10回復
[鮮度]98%
??
ふむ。説明はなんだか美味しそうな感じの事が書いてある。
レベル上がってるので、[鮮度]の項目が増えています。
…………イイネ! スーパーで大活躍だよ!
スーパー、ここにはないけどね!
こんな感じに、レベルが上がれば、微妙──いや、いろいろな項目が増えていくのかな。
私は勇気を出して、袖で表面を軽く拭いてから、銀色トマトにかぶりついた。
皮は想像した以上に張りはあるけど柔らかくて、中から滴るほどの果汁が溢れた。中の果肉の色は、桃色。──よかった、銀色じゃなくて。果肉もメタリックな銀色だったら、流石に私の視覚が崩壊しそうだった。金属を食べてる錯覚に、しかし味と食感はとってもジューシー。自分はいったい何を食べてるんだと自問自答ループに陥りそうである。
これ、味と食感は、甘いフルーツトマトだ。
「うまいか?」
「うん。おいしい。あまい」
しゃくしゃく、と食べ進む。美味しいけど、果汁が多すぎて、こぼしそうになるのが難点だな。受け皿がいる。
手袋を脱いだレウドの親指が、私の口元をぬぐった。唇の下を、少し荒れてかさついた指が、左から右にゆっくり通り過ぎていった。
「服にこぼれるぞ。ついたら取れない。何か下にひいた方が良いな」
レウドが手を伸ばしてテーブルから台拭きを取って、私の膝の上に広げた。
「……」
──うん。まあ、なんというか。こうあまりにも普通に何でもない事のようにサラッとされると、ああ、まあ普通誰でもするかな、みたいな気分に────
────ならんわああああ……!
子供扱いなんだろうな。うん。わかってるよ。わかってるけど。わかるけどな。でも実は私、もうすぐ19がくるんですよ。世間一般の区切り的には、もう1年ちょっとで大人の仲間入りですよ。花も恥じらう乙女ですよ。思考はおっさんっぽいよね、って友人には言われるけれども。外見はフリーズしてるだろうけど、中はもう大嵐ですよ。どうしてくれる。
言うべきか。言わざるべきか。
それが問題だ。
「──チナミ。昼飯を食べたら、荷物の整理をしてくれ」
レウドがベッド脇に置いてある私の革鞄を指さした。
「お前の荷物、の、準備。──わかるか?」
どうにかこうにか動悸とフリーズから復帰した私は、自分の鞄をみた。
わかる。それくらいは、分かるようになった。早口で言われると、まだちょっと聞き取れないけど。荷物の整理をしろ、ってことだよね。
「わたし。の、にもつ。じゅんび」
「そうだ。携帯食とか足りない物は、俺がリストアップするから、買ってくれ」
足りない物。リストアップ。買う──それもわかった。頷いた。お金はまだ十分ある。
「明日の早朝、コーストラを出る。5の刻に出発」
明日、朝、コーストラ、出る。5時。
「しゅっぱつ」
「そう、出発。コーストラを、出る」
コーストラ、出る。
──え、待って。
──明日、しかも5時にコーストラを出るってこと?
随分と急な話な……
レウドは地図を取り出すと、ベッドの上に広げた。
レウドの指はまずコーストラの町を指さすと、町の東口から外に出た。
目の前に広がる幅の広い街道を辿ると思っていたら辿らずに、少し進んだ先の、脇道みたいに上に延びる細い道へ入っていく。
「朝早く出れば、日暮れ前には、ここの──」
指は細い道をしばらくどんどん進んで、細い道の脇、小さな家マークが3つほど寄り添っている場所で、止まった。
「ミューレの村に着く」
「みゅーれ」
私はレウドの指の軌跡を目で辿った。地図上で見ても、私の足で歩くには、なかなかの距離がある。
「馬が買えたら一番いいんだが……金がかかる。かといって、その分の金を依頼斡旋屋で仕事を受けて、稼いでる時間がない」
馬。お金。仕事。時間がない──なんだろう。まだ現状、聞き取れた、知ってる単語から内容を想像するしかできないのがもどかしい。
お金なら、まだ大丈夫だけど。馬がいるのかな。ああ、お金足りないってこと?
「お金、ある。うま、かう?」
「……いや。それはお前の金だ。お前のために使え」
レウドが顔を上げた。
いつもは澄んで綺麗な紅い虹彩が、揺らいで、暗く陰る。
目が合ったのは一瞬で、紅い目はすぐに伏せられて、見えなくなった。
「……悪い。これは俺の都合なんだ。この町にいると、俺の事情に、お前を巻き込んでしまうかもしれなくてな……。それは避けたい。まあ、今すぐ俺が、お前から離れて、しばらくどこかで隠れてれば済む話なんだが……4、5日……いや、もしかしたらそれ以上の間、お前1人をここに残しておくのはどうにも……」
私は息を飲んだ。なに。不穏な単語がいくつか聞こえた。
私から離れる。1人。残す。
「だ、だめ! 残す、だめ。1人、だめ。いく。いっしょ。だいじょうぶ、おきる。5の刻、でる」
4時でも3時でも起きるよ! ここには頼みの綱の目覚まし時計はないけど、気合いで絶対起きる! 起きてみせます! だから置いてかないでください!
「いや、そういう話じゃないんだ……。説明が難しいな……」
レウドが眉間にしわを寄せて唸っている。私を連れていくかどうか、悩んでいるんだろうか。
なんだろう。
私の体力の事だろうか。
それとも他に理由──
──そういえば、あの時、隠れるように、リリィアの店の脇に移動してた。
何かから、逃げてたの?
何から?
わからない。
わからないけど、できれば私を連れていってほしい。
まだ分からない事がいっぱいすぎるし、レウドの首の不穏アイテムもとってもらわないと────いや、正直に言おう。ここで1人にされたら、とてつもなく、不安だ。
私はレウドを見上げて、力強く、縦に頷いた。
「わたし、あるく。だいじょうぶ!」
レウドが顔を上げて、私を見た。
紅い目が、揺らいでいる。
裁判長の判決を待つ被告人の気分でじっと見てると、瞳の色がまたじわりと暗く陰り始めて、私は焦った。駄目なのか。
「いっしょ、いく、私。レウド。終わる、まで。えーと、──まかせろ!」
【問題ない】っていう言葉、レウドがよく使うから、確か、【レアブル イェト】で間違いないよね。問題ない。最終目的地まで、ってこれでいいのかな。【トァ ザイル ラースィド】? レウドがどこまで行こうとしているのか、今の段階じゃわからないけど。
レウドが紅い目を見開いた。
じっと私をみている。
「レ、レウド?」
何か変な事言っただろうか。違ったのだろうか。それとも伝わらなかったんだろうか。
不安になって首をかしげていると、レウドが小さく笑い声を漏らした。
「俺と、行ってくれるのか。──お前と、俺が、終わるまで?」
「うん! いく!」
レウドが肩を震わせて笑っている。なんなんだ。何を笑ってるんだ。変なところがあったら教えてくれ。頼む。
レウドが、ゆっくり息を吐いてから、私を見た。
「……ありがとう。ならば一緒に行こうか。────共に終わる、その時まで」
私の目をのぞき込んでくる瞳の色も、いつもの綺麗な紅い色に戻っている。いつものレウドだ。なんだかちょっと、何やらとても楽しそうに笑ってるのが、若干ひっかかるものがあるといえばあるけど。ほっとした。
無意識に握りしめていた、手の力を抜く。
お礼を言われた。
お礼を言わないといけないのは、私の方だと思うんだが。
でも、よかった。
一緒、に、いこう、って言ってる。最後の方は、囁くみたいに小さい声だったから、うまく聞き取れなかったけど。最終目的地までって意味なのではないかと思われる。
ということは、連れていってくれるってことで、いいんだよね?
「ありがとう。レウド。まかせろ!」
私が言うやいなや、途端にレウドが腕を組み、微妙な表情で私を見下ろした。
なんだよなんだよ。そんなに私が歩くの不安なのか。問題ないよ。大丈夫だ。行ける。自分のペースと休むタイミングも、だいだい分かった。何も問題はない。はずだ。
「……しまったな。覚えが早いのはいいが、俺の言った言葉を、そのまま覚えてしまうのか……。まかせてください、って教えとけば良かった……」
ぼそぼそ言うから、聞き取れない。
何を言っているんだろう。なにかまずいのだろうか。
「レウド?」
「いや、なんでもない。昼飯、早く食ってしまおう」
レウドがベッドから立ち上がった。
イスの背に手をかけたところで、ぴたりと動きを止めた。
私を振り返った。
なんだか真剣な顔をしている。
なんだろう。深刻な話だろうか。
私は、居住まいを正して、レウドの言葉を待った。ヒアリングの準備はオッケーだ。
「──チナミ。《お昼ご飯を、早く食べましょう》」