第9話
Sな神っぽい兄さんに再び会いました。
真っ暗な空間、再び。
たくさんの星々が瞬くプラネタリウムのように、暗い空間に小さな光の粒が無数に散っている。
足下が心許ない、不安定な、浮遊する身体。
そして、目の前には全身黒ずくめのS神もどきの青年。
両手はコートに突っ込んだまま、嘘臭い笑顔を浮かべて立っている。
いや、浮かんでいる、の方が正しいだろうか。ここ、地面がないし。
「誰がS神もどきですか。あいかわらず口の悪い娘ですね」
「ひいっ! また心を読まれた! 覗きは犯罪です覗き反対! おまわりさんここです!」
「何が覗きですか。まったく。なんとなく嫌な予感がして、もう一言だけ、念のために伝えておこうと思って戻ってきてみれば。もうすでに死にかけてるじゃないですか。何をやってるんですか、貴女は」
黒ずくめのお兄さんが、コートのポケットに両手をつっこんだまま、呆れたように私を見て、大げさに溜め息をついた。
「何をやってるんだと言われましても。これでも頑張ったんですよ。初めて魔物と戦ったんです。そして噛まれて瀕死になりました。どういうことですかこれ」
瀕死の、しかも小さな魔物、しかも首だけしかないホラー猫に噛まれただけで瀕死というのは、あんまりだと思う。
「それは大変でしたね、だから、早く街へいきなさいと忠告してあげたでしょう」
「それはわかってるんですが、こっちもいろいろあったんです。道に初めて出て──」
「長くなりそうなので説明は結構です」
「ひどい!」
「そんなことより、一言だけ伝えておこうと思いましてね。忙しい中、こうしてわざわざ戻ってきてあげたのです。新たな世界で再び生を受けたというのに、何をする間もなく、すぐに死亡してしまうのではあまりにも憐れか、と思いましてね。まったく。戻ってきてみて良かったです」
神もどき青年がまた大げさに息をついた。
「いいですか。よくお聞きなさい。貴女は、最下層に限りなく近い下位世界の人間でした。最初に申し上げた通り、一度離れた魂を再び魄──身体に定着させるには、元の身体に近いものでなければいけません。拒絶反応が起こってしまうからです。貴女にも分かりやすくかみ砕いて説明すると、臓器移植のようなものです。ここまでは解りますか?」
「はい」
言葉の中に微妙に毒が滲み出ています。
「よって、貴女の身体はできうる限り忠実に、下位世界の身体をトレースして作られています。ですが、貴女が送り込まれた此処は、上位世界です。上位世界の人間や魔物などは、あなたのいた世界に比べると遙かに非常にハイスペックです」
「ハイスペック?」
「そうです。その顔は全く分かっていない様ですから、もう少し貴女に分かりやすいように解説してあげましょう。──小さな鼠程度の小魔物の攻撃は、貴女にとっては大型獣に噛まれたぐらいのダメージに相当します」
「なんと!」
おいおいおい。聞いてないよ。
「ちょ、それ、ちょっと、まずくないですか」
「……なげかわしいですね。最近の若い者は、言葉の使い方がなっていません。いいですか、まずい、という言葉は本来──」
なんだか説教──ちがった、話が長くなりそうな気配がした。
「はい! すいませんでした! ということは私、このままだと、すぐ死んでしまう気がとてもするんですが」
「でしょうね」
「あっさり肯定したよ!」
神っぽい青年は、にっこり微笑んだ。慈愛に満ちた微笑みなのに、逆に怖く感じるのは気のせいだろうか。
「大丈夫、なにも心配する事はありませんよ。例え貴女は死んでしまったとしても、貴女の魄は世界に還り、貴女の魂は、貴女を受け入れれくれたこの世界の輪廻の輪を巡るでしょう。魂は時を巡り、来世ではきっと──」
「ちょ、何が大丈夫なんですか。何遠い目をしてもう来世の話をしてるんですか。私の今世はもう終わったように話するのは止めて下さい。私、まだ死にたくないです」
「そうですか。では、死なないように頑張って下さい」
「死なないようにって、そんな簡単に」
他人事だと思って、簡単に言ってくれちゃって!
「他人事ですよ」
「ですよね!」
そう言うと思ったよ!
「まあまあ。落ち着きなさい。貴女が取得したギフトスキル、【精査】は、情報の開示と取得、という単純明解なスキルではあります。ですが、使いようによっては非常に便利なスキルです。頑張って精進すれば、派生スキルをいくつか習得することも可能です。それから──貴女が拾った獣。なかなか珍しく、非常に強い獣です。懐かせれば、貴女の生存確率は飛躍的に上がるでしょう」
「獣?」
獣なんて、拾ってないけど。
「では、私の話は以上です。それでは、グッドラック。残り人生を大事に」
「残りの人生ってなに! なんか言い方不吉すぎる! いや大事だけども!」
黒ずくめのS神はふわりと浮き上がり、上昇をはじめた。
ではまた明日、とでも言いそうな気軽さで片手を振りながら。
「ちょっ、ちょっと!」
追いかけようと必至に腕を掻き分けて、なにもない空間を泳いでみたけど、距離は離れる一方だ。
グッドラックじゃないよ!
どんなに大きな声を上げても、暗闇に吸い込まれてしまうように、消えていく。
音が消えていく。
声は届かない。
手も届かない。
白黒ファッションのS神もどきのお兄さんの姿は、少しずつ闇に溶けて──
* * *
「──待って、て言ってるのに! この、S神もどき──!」
翻る黒いコートの裾を掴もうと伸ばした手は、何も掴めず、ただ空をきった。
黒く霞んでいた視界が、少しずつクリアになっていく。
目を凝らすと、木板を組み合わせた天井がぼんやりと見えた。
天井?
「──あ、あれ?」
ここはどこ。
辺りは薄暗かったけれど、部屋の中にいるのはなんとなくわかった。
ここは、あの360度黒い不思議空間じゃないことも。
ほんのり涼しい風が、頬を撫でていく。
遠く、かすかな物音と人声。
風が吹いてきた方向に少し顔を動かしてみると、視界の端に半分開かれた両開きの窓。
四角い木枠の窓の外には、夜空と、微かな街明かりと、その向こうには影絵みたいな木立と、山並が見えた。
背中には、厚めの、やや固いリネンっぽい生地の感触。
頭の下には、ふかふかとは言い難い弾力のある布の塊の感触。
身体の上には、洗濯石鹸のような、ほのかな優しい香りが残った、薄手の掛け布団。
状況から察するに。
どうやら私は、ベッドに寝ているようだ。
私、今まで、何をしていたんだっけ。
そうだ。確か、街道を歩いていて。
目玉が飛び出して、口の裂けた気持ち悪い猫の魔物に、遭遇して──
木板の床を歩く靴音が聞こえた。
今度は靴音のしたほうに顔を向けると、隣の部屋に続く枠だけの出入り口から、少し癖のある銀色の髪が現れた。暗くても目立つ、ルビーみたいな瞳。
レウドが歩いてくるのが見えた。
手には、木桶とタオルを持って。
「……レウド?」
少し俯いて歩いていたレウドは顔を上げると、ぱっと笑顔になった。
一瞬、でっかい耳と尻尾の錯覚を見てしまった。
「──、チナミ! ****!?」
ものすごい勢いで駆けつけてくる。木桶の水を大量にこぼしながら。ちょ、あとで床掃除しなきゃいけないじゃないか。すべるし! 木だったらカビ生えるし!
レウドはベッドのサイドテーブルにタオルの入った木桶を置くと、ベッドの端に腰掛けた。
そして、おもむろに私の額に手を置いた。
少し冷えた手。
やわらかい冷たさに、少し、ほっとした。
レウドの手はあまりに大きすぎて、私の目から耳近くまでカバーしてしまってるけど。
レウドは手を放すと、タオルを絞って、私の額に置いてくれた。
額に置いてくれたタオルからは、ペパーミントみたいなさわやかで涼しげな香りがした。気持ちいい。良い香りもする。
私、熱でもだしてたのかな。今はもう、自分的には熱が出てる感じはしないんだけれども。下がったのか。
「チナミ、***、****」
レウドが、ほっとしたような表情で微笑んだ。
看病してくれてたのかな。ありがとうございます。すいません、ひ弱で。
「レウド。ありがとう。えーと、なんだっけ、ありがとうの言葉、たしか、──さ、さぁすーく?」
レウドが声を出して笑った。首を横に振りながら。
「【サンスーク】」
「さ、サァ、──サンスーク」
今度はレウドが縦に頷いた。
よっしゃああオッケーが出た! よし、この言葉の発音は習得した。この調子でどんどんいこう。
「【エイニータィム】」
って言ってたらもう新単語きたー!
「え、えいこらたいむ?」
レウドが首を横に振った。違うのか。巻き舌系か。るれるれいうやつ。一番苦手な発音方法だ。べらんめえっぽく言えばいけるかな。
「【エイニータィム】」
レウドがものすごくゆっくりしゃべってくれた。
私に言葉を教えてくれようとしてくれてるのが解る。ありがとうありがとう師匠! 私がんばるよ!
「エイニータィム」
レウドが縦に頷いた。そして、なんだか楽しそうに笑った。
「オッケー」
オッケーもらえた! やったあ!
よし、巻き舌系はべらんめえ口調でいくことにしよう。
異世界会話教室が一息ついたので、ゆっくり辺りを見回してみる。
反対側の壁際に、ベッドがもう一つあった。その脇には、レウドの大きな荷物が床に置いてあった。
窓際には、小さな木製のローテーブルと、椅子。テーブルには、茶色い陶器のポットとティーカップが2つのっている。
「レウド、ここはどこかな。見た感じ、宿っぽいけど」
私は指を床に向けて、首をかしげて見せた。
「*****? ****」
ここ、ってどうやったら伝わるのか。
「ここ、」
「ココ」
そうココ。こことしか言い様がない、ここ。
私はもう一度指を下に向け、それから部屋中を指さした。伝わるか……! この微妙なニュアンス!
レウドが手を軽く叩いた。うんうん、と頷いている。分かってくれたか!
「****。***、コーストラ」
「コーストラ?」
なんと。
ということは、街についてたんだ。
やったー!!
自分は倒れてただけだけどな! 申し訳ない。でも、
「よかった……」
安心したら、どっと眠気が湧いてきた。
今日はもう寝よう。外も暗いし。ベッドもあるし。あああ久しぶりのお布団だ。
私は布団の中にもぞもぞともぐりこんだ。
私が眠そうなのが分かったのか、レウドが静かにベッドから離れた。
「レウド……サンスーク……くーと、なはーと……」
レウドが笑った気配がした。
「……クートナハート、チナミ」