下 世界の未来を運べ。
夕暮れの街中を、弾痕だらけの軽自動車が一台、走ってゆく。ヤマトの運転する軽自動車は、市外へ出ていた。ここからは、ヤマトの預かり知らぬ領域だ。これまで以上に慎重に、周囲に気を配る。
地図で確認した住所までは、後もう少しだ。男が留めてくれたのか、ターミネーターはあれ以降、姿を見せない。
遠景に高いアンテナ塔のようなものがおぼろに見える。届け先に記された、住所の辺りだ。あれがチチスキー研究所だろう。
暮れゆく街を車が走る。商店とビルと平屋が雑多に混じる町並みは平和そのもので、その裏で熾烈な争奪戦が繰り広げられているなんて、思いもよらない。世界はだいたいそういうものでできている。知っていた方がいいこともある。だが、知らなくて済むならその方がいいことも、きっとある。
すべてが透けて見える世の中が来るだろうか。すべてが見通せる世の中が来るだろうか。そしてそれは、幸せなことなのだろうか。
運ばない方がいいのだろうか。たどり着かない方がいいのだろうか。
そんな思いが、頭をよぎる。
目に入ったのは、ミラーに映る帽子と、そこに入った社名ロゴ。
俺は運送屋だ。
どこへ行くのか。何が待っているのか。ヤマトにはわからない。できるのは、ただ車を走らせることだけ。荷物を届けることだけだ。
運ぶのは、漢の浪漫だ。
男の言葉がよみがえる。その通り。運ぶのは、いつだって浪漫だ。
大きな、お椀を逆さにしたような施設についた。その中央から一本、高いアンテナ塔のようなものが伸びている。
チチスキー研究所、と墨書された木製の表札が門にかかっていた。
車を降り、慎重に辺りを見回す。敵らしい人影がないのを確認してから、門に近づいた。
呼び鈴を押す。しばらくして、門が自動で開いた。
「ソノママオススミクダサイ」
機械の合成音がインターホンから流れた。
車のまま施設内に入る。内門の前で停車し、荷物を持って車を降りた。
「宅配のサガワです。馬車馬堂さまからの荷物をお届けにあがりました」
目の前の扉が、また自動で開いた。恐る恐る内部に踏み込む。
玄関は雑然としていた。出入り口の両側に、何のものやわからない部品類が詰み上がっている。目に見える範囲では、その奥まで同様の状態だった。唯一片付いている中央スペースを通って、白衣に銀縁眼鏡の男が小走りで寄ってくる。それがどうやら、オッキナ・チチスキー博士のようだった。
「ついたついた! そいつが来るのを待ってたんだ! 君が一番乗りだね!」
男の言葉を思い出して、聞いてみた。
「他のルートからは届いていないんですか?」
「まだみたいだね。この時間でまだってことは、もう駄目かな。君のルートが一番、監視が薄かったから。まさかそこらの運送屋に本気で頼むとは思わなかったみたいだ」
つまり囮だと思われていた、ということだろう。だがそれでも、あの黒服の男が助けてくれなければ、おそらく命はなかった。
「これを」
荷物を渡し、届け印を受け取る。任務完了。自分の仕事は果たしたと、ヤマトは安堵した。
「まったくひどいよね。ボクは女性の下着姿や、恥じらう姿が見たいだけなのに。それもこれも、この国が貧乳大国なのが原因なんだよね。彼女たちにもっとおっぱいがあれば、世界はもっと幸せに包まれるのに。そもそも男がおっぱいおっぱい言ってる際に、そこにエロい意味は七割くらいしかなく、残りの三割くらいは世間一般でいわれるところの癒し? みたいな? そんなのを求めているんだっていっていい。その甘やかな曲線を描き、柔らかな弾力を持つ双丘を揉みしだき、顔を埋めることで日々の戦いの中でささくれ立った心を癒し、明日の戦いへ立ち向かうための活力とするのであり、決して下半身的な欲望のためだけではないのだ。そのことを今これをご覧になっている淑女の皆様にはよくよく心に刻んでいて欲しいよね!」
ヤマトは、はあ、と相槌を打ちつつ博士の長口舌を聞き流していた。
そのときだ。
後方から音と風圧に襲われた。振り返ると、閉じられていたはずの玄関扉が二つに割れて飛んで来ていた。俺の左右を抜け、両側のがらくた山に突き刺さる。爆音とともに、炎が上がった。
立ち上る炎の中から、かつん、かつんとヒールの音が響く。影は人の形を成し、手には長大な斬車刀を提げている。
「警備を切り抜けてきたのか!」
博士が驚きの声をあげた。防備には、相当の自信があったのだろう。だがそれを、この女は突破してきた。
動きを止めている博士の腕を掴み、一緒に床を転がった。
斬車刀が振るわれる。部品が飛び、破砕音を立てて崩れていく。ヤマトは転がりながら、博士と一緒に奥へ奥へと逃げた。
「博士! 何か武器はないんですか!」
博士の耳元で叫ぶ。博士は耳を押さえながら答えた。
「チチシゲンデストロイヤーなら用意しているが、準備に時間がかかるからすぐには使えない! すぐに使えるのは拳銃くらいだ」
「それはどこにありますか!」
「研究室の机の中だ」
博士が指さした方へ、ヤマトは走った。
博士が指紋認証のドアを解除する。すぐさま飛び込んだ。
そこもやはり謎部品の山だった。机とそこまでの通路、そしてその奥のディスプレイだけスペースが取られている。
ディスプレイには、奇妙な形のヘルメットが飾られていた。
「そうだ、君、その荷物を」
博士に請われ、梱包を急いで破った。
中から出てきたのは、緑色のゴーグル。
「それを、そのヘルメットに!」
ヤマトはディスプレイに駆け寄ると、ヘルメットを取り上げ、ゴーグルを取り付けた。
扉に衝撃が走る。やはり真っ二つに両断された防護扉が、崩れ落ちた。
黒いワンピース姿の美女が、ヒールの音高く侵入してきた。
博士が机に隠れながら拳銃弾を放つ。だが女はわずかに身体を動かしただけで、それを易々と避ける。一発は、刀で見事に切り払って見せた。
研究室には、用途不明の機械がいくつも並べられている。ヤマトは手近な一つによじ登り、影に身を隠した。
どうする。思考を巡らせる。仕事は果たした。自分はもう無関係なんだから、逃げてしまえばいい。
手の中にあるヘルメットに目をやる。
これを渡し、女に自分は無関係であることを告げるか。だがそれで見逃してくれるとは限らない。むしろ許してくれなさそうな予感でいっぱいだった。主に、ヤマトも男だというその理由で。
再びヘルメットを見る。自分にできることが何か、考えた。
それを被った。視界が薄い緑に包まれる。手で探ると、ヘルメットの右側に、回転させる目盛のようなものを見つけた。
目盛を回した。
目の前を塞いでいる重機の存在が、やや薄くなったような気がする。さらに目盛を回すと、明らかにその像は薄らいだ。
さらに回す。重機を透過して、室内が完全に見渡せた。
足音を響かせて、女が入ってくる。服は透け、おそらく赤と思われる下着も透けている。つくられた肉体とはいえ、見事なプロポーションだった。
映像を観察する。右肩。内部フレームが半ば折れかけている。ここまでの戦いのどこかで、傷を負ったのだろう。黒服の男の姿が、思い浮かんだ。
そばに転がっていた重い工具を一本、手に取った。
女が博士に近づいた。
重機を蹴り、飛び降りた。
雄たけびを上げ、バールのようなものを振り下ろす。女が刀で防御しようとする。だが、ヤマトの方がわずかに早かった。
金属音。それから、破砕音。
女が刀を取り落とす。ヤマトは床をゴロゴロと転がる。上半身を起こし、工具を構えた。女は膝をつき、驚いた顔でこちらを見ている。
立ち上がり、突撃した。
工具を振り下ろす。女が左腕で防いだ。間髪いれず、脚に蹴りを入れる。よろめいた女の胴に、追い打ちで一撃を加えた。
女が床を滑る。破砕した右肩から、火花が散っていた。
視界の端に、見覚えのあるものを見つけた。一本のロープ。それがどんなものかは、ニュースで見て知っていた。
ロープを掴み、素早く十二番の命令を実行する。
女に向けて、ロープを投げた。
女が動く方の腕を上げてロープを弾く。だが。内部ICに命令を受けたヌレキチムオはそれを実行するため、女体に絡みついた。
ロープが女の上乳、そして下乳へと巻き付き、その大きな胸をさらに強調する。そのまま後ろ手に華麗に縛りあげると、一度股下を潜り、それから天井へ持ち上がった。
女が釣りあげられ、その自重でロープは深く、確実に肉に密着する。見事な緊縛美が、そこにはあった。
俺は床に這いつくばって、それを見ていた。博士も這い出してきた。その目は、輝いていた。
博士からお礼の言葉を受けて、半壊した研究所を去る。
吊りあげられた美女の姿に博士は狂喜していた。その女はあんたを殺すつもりなんだぞ、と思ったが、口には出さなかった。早く帰りたかったのだ。
敷地を出たところで、黒服の男にあった。
顔中傷だらけで、左手を包帯で吊っていたが、命に別条はなさそうだった。
「無事運んでくれたんだな」
男が安堵の表情に変わる。
「仕事だからな」
無事でよかった、と告げて車に乗る。難しく考えることはない。自分の仕事をこなしただけだ。ヤマトも。男も。
「世話になった」
「こちらこそ」
会釈を交わし、男と別れた。
日が沈んだ夜の街を、軽自動車は走る。雲間から顔を出した月が、道行きをかすかに照らし出していた。
ごとごと荷物を揺らして、軽自動車は走る。ヤマトの顔を月明かりがやはりおぼろに照らす。
車は走る。明日も走る。明日も明後日も、何事もなければ、走るだろう。世の中は、そういうふうにできている。夜の町並みは、やはりいつもどおりだ。
これで変わるのか。何かが変わるのか。
軽く頭を振る。そいつは、変わったあとで、考えればいい。
ヤマトはギアを上げた。
車は走る。ごとごと走る。
月が、道を照らし出している。
(完)
本作品はあくまでフィクションであり、実在の人物・団体・運送会社・通販会社・下着会社・緊縛師・石井克人監督作品・経済白書における日本人女性の平均値とは一切関係ありません。ないんだってば。