上 運ぶのは、漢の浪漫だ。
オッキナ・チチスキー博士は兼ねてより在野の発明家として有名だった。
発明品が、というわけではない。もちろん発明品の中にもそれなりに名の知られたものがあるにはあったが、それよりも博士の存在自体が有名であり、発明品は大抵彼の付属物として扱われることが多かった。
博士は女が好きだった。正確には、女体が好きだった。もちろん女体が嫌いな男など世界に一握りほどしかいないが、チチスキー博士は己の趣味嗜好性癖を憚らず、言葉に、行動に、そして時には発明品に反映させることで、一部の人々に称えられ、崇められ、恐れられ、呆れられ、白い目で見られ、訴訟を起こされていた。
彼の発明品に自律ロープというものがある。ロープ内部のICに事前に命令を走らせておけば、それに従いロープが勝手に結べたり、解けたりするというものである。
これだけを聞けば、便利な道具に見える。だが、博士の主用途は別のところにあった。
博士は基本的な機能として、幾つかの命令を内部ICに組み込んでいた。『ヌレキチムオ』という名前で商品化されたそれを買った新婚の団地妻(二十三歳・Dカップ)は、二番の命令を実行するつもりで、誤って十二番の命令を発信してしまった。
取扱説明書に掲載されていなかった十二番目の命令を受け取ったロープは、人妻(合コン時は二十歳・70のD)の豊満な肉体に巻きつき、乳房の上下に縄を回し、股下を潜ってから天井に上り、彼女を吊り上げた。若妻(ハートはいつも十七歳・主にPJか和コール)はそのまま、夜に夫が帰宅するまで解放されることはなく、夫が解除コールを行ったときにはすでに、今まで知ることのなかった官能の炎に身を焦がしていたのであった。
クレームを受けたチチスキー博士はといえば、
「女にかける縄は、女体が崩れていればいるほど多くなる。奥方は、さぞ素晴らしい肉体をお持ちなのでしょうな」
と言い放った。
主にそういう方面で、オッキナ・チチスキー博士はまことに有名人であったのだ。
ある日、博士は外出先で激しい通り雨にあった。雨具や、傘を差しかけてくれる巨乳メイドロイドを持ち合わせていなかった博士は手近な商店の軒先を借り、雨をやり過ごすことにした。
軒先には数名の先客がいた。突然の雨であったから、誰もが準備をしていなかったのだろう。皆、ずぶ濡れだった。
その中に女がいた。女は、白のブラウスに、黒のタイトスカートを身につけていた。そしてやはり、ずぶ濡れだった。
ブラウスは透け、その下に身につけた水色のブラジャーが、はっきりと見えていた。
いい、と思った。
女は素晴らしく器量がいいというわけではなかった。胸もBカップ程度の、乳と認定するには憚られる大きさである。常日頃であれば、触手が動く女ではない。
だがそれを、チチスキー博士は、素晴らしいものであると感じた。
直接ではなく、濡れたブラウスというフィルターを通して見ているということ。そして、透けていることに気付いている女が、恥ずかしそうに、そして周囲に悟られぬように腕や手でそれを隠そうとしていること。それらを含めて、いい、と思ったのだ。
これが濡れ透けというものか。博士は開眼した。
豪雨の下を突っ切り、研究所へ帰り着いた博士は、早速開発に取り掛かった。
あの感覚をいつでも楽しめる、そんな装置の開発に。
機関銃の斉射が防弾のハッチバックを叩く音を聞きながら、佐川ヤマトは必死で車を走らせていた。
「どこの石井克人監督作品だ!」
聞こえるはずのない相手に罵声を浴びせつつハンドルを切る。両側面に「宅配のサガワ」と記名ペイントされた軽自動車の座席は二つだけで、後部は荷台になっている。そこに積み上げられた大小様々な梱包物が揺れ、跳ねるのを気にせず、乱暴に車体を操る。
後ろから黒塗りのセダンが二台、ヤマトの車を追っている。窓から上体を乗り出した茶髪美女の手には軽機関銃が握られている。
「ヒャッハー! 汚物は消毒だーーー!」
そんな色々な意味で危険な台詞を叫びながら、機関銃を乱射する。ヤマトはハンドルを右に左に操り、それを必死で回避する。回避し切れなかった銃弾がまた何発か、車体を叩いた。
ほんの五分ほど前。ヤマトは得意先の雑貨店「馬車馬堂」から荷物を一つ、預かった。馬車馬堂は「宅配のサガワ」のお得意さまで、ひと月におよそ二十から三十個程度の荷物を届けている。宅配のサガワの配達先としては、これはかなり多い部類に入る。
宅配のサガワは、市内限定でこじんまりと配送業を営んでいる運送屋だ。もともと町内の御用聞き的なことをやっていたのが、商いが大きくなって配送業に鞍替えしたのだ。
けれども気分としては、先代である父親も、二代目であるヤマトも、御用聞きの延長くらいのつもりでやっている。荷物を受け付けるのも、届けるのも基本的には市内に限り、市外への配達はほとんど受け付けていない。交通規則遵守、丁寧な運搬がモットーで、必要以上のスピードで届けたりはしない。ミツリン箱は敵である。
そもそもは大手通販会社「ミツリン」が、注文翌日、ないしは二日で届く、というシステムを喧伝し、流布させた。対抗する同業者大手もそれに追随し、配送業においてそのスピードは今や「当たり前」のものとして受け入れられている。
だがそれが「当たり前」のものでないことも、そのシステムが実は完璧なものではなく、様々な犠牲の上に成り立っていることを、ヤマトは知っている。
サービスを使うものにとって、スピードが速いことは嬉しいことだ。だが、その見える利便性に囚われて、目に見えない部分が随分とないがしろにされているとヤマトは感じる。
翌日もしくは二日で届く、というスピードが「当たり前」になったことで、人々はそれを前提に世界を回し始めた。「当たり前」だから、それが狂うことはあり得ない、あってはならない、と多くの人は思っている。「当たり前」だと思っているから、二日で届くはずのものが三日になっただけで、怒ったり、苛立ったり、クレームの電話を入れたりする。二日で届くのを前提で注文し、会社の業務を回すから、届かなかった場合に多数の部署や人間が迷惑を被ることになる。配送業者も急ぐから交通マナーは悪くなる。誤配も、事故も増える。そうして、世の中のストレスは増大する。
配送スピードを飛躍的に向上させた、その努力自体は認めるべきかもしれない。が、彼らは間違った方向に努力をしたし、誤ったニーズを掘り起こしてしまったと言わざるを得ない。
受け入れられ、浸透し、多くの人にそれが「当たり前」であるという誤った認識を与えてしまったことで、世の中のストレスは飛躍的に増大している、とヤマトは感じる。この「当たり前」をなくすだけで、世の中はかなり生きやすくなるんじゃないか、とヤマトは密かに思っている。
ヤマトが父親の後を継いで運送屋になろうと思ったのは、人様に喜ばれることで日々のたつきが得られるならまあよかろう、と思ったからだ。適切な時間で丁寧に荷物を運ぶことが、利用者を不愉快にさせたり怒らせたりするのなら、それは本末転倒というものだ。
ともかくそんな業務形態の宅配のサガワではあるが、何事にも例外というものはある。
今回、ヤマトは珍しく馬車馬堂から荷物の配送を頼まれた。持って行くことはあるが、荷物を受け付けたのは初めてである。配送先はチチスキー研究所。住所は市外だ。
オッキナ・チチスキーの悪名はヤマトも耳にしてはいたし、宅配のサガワの配送範囲からは外れるが、馬車馬堂は付き合いも長いお得意様だ。ヤマトは引き受けることにした。
そして、五分後に、後悔した。
火花を散らす車体を傾けて、細い路地に突っ込む。十字路の続く短い区画を二回左折し、もといた公道に戻る。信号が黄色に変わるタイミングで交差点を突っ切り、引き離す。信号器のタイミングは、頭に入っている。細い路地でもたついたセダンは、追って来られないだろう。
どうしてこうなったのか。原因はわかっている。馬車馬堂から預かった荷物だ。タイミング的にも、間違いない。
「新しい世界を見たくはないか、少年」
馬車馬堂店主は眼鏡の奥の瞳を輝かせつつ、そう言った。
「女性の服の下を覗いてみたいと思ったことはないかね? どんな下着を着けているか知りたいと思ったことは? 目に見えるカップサイズが真実のものかどうか、確かめてみたいと思ったことはないかね?」
店主の勢いと熱気に押されて、つい正直に、はい、と答えた。そうだろうそうだろう、と店主が頷く。
店主は手にした箱を撫でた。
「この中には、そんな夢が詰まっている。我々が長年思い描いていた、大いなる夢が」
ヤマトが荷物を引き受ける、と答えると、店主は一瞬嬉しそうにし、それから表情を引き締めて、荷物を手渡した。
「よろしく頼む。君が運ぶのは、我々の夢だ」
あのときに、怪しむべきではあったのだ。
「どうしてこうなった……っ!」
そんな独り言が、口をついて出た。
先代の父親曰く、配送業はものを通じて人と人とを繋げる仕事である。それは人と人とに関わる仕事でもあるから、予測どおりにいかないこと、トラブルはつきものだ。だから、配送業を志すなら、トラブルへの対処法を心得ておかねばならない。
その言葉どおり、ヤマトは様々なトラブルへの気付き方と対処法を父より叩き込まれている。その知識と感覚が、ヤマトに「こいつはかなりヤバい」と告げていた。
警告もなくいきなり銃撃とか、あり得ない。
追っ手が何者かはわからないが、おそらく荷物もろともヤマトも消す気だろうと思った。
公道国道を避け、できるだけ裏路地、抜け道を使って車を走らせる。市内であれば、すべての道がヤマトの頭の中には入っている。市外に出るところまでは、見つからずにいけるかもしれない、と楽観視していた。
甘かった。
直線路の先に、人影が見える。周囲から他車の姿は消えていた。人影は、女性のように見えた。黒一色のワンピースを着て、肩に大きな大きな刀を担いでいる。
速度を緩め、ハンドル右側のボタンを押した。
右側のフェンダーミラーが倒れ、装備されたワイヤークローが飛び出し、女へ向かう。女はにやりと笑うと、一歩踏み込んだ。
腰を落とし、太刀を軽々と振り下ろす。剣先にあったチタンとセラミックの複合材で造られたクローが、真っ二つに裁断された。
斬車刀。話には聞いたことがある。遣い手が振るう斬車刀は、最新鋭の装甲車や戦車をも両断するという。あの刀はそれに違いないと思った。防弾仕様とはいえ、ただの軽自動車であるヤマトの車では、ひとたまりもない。
ギアをバックに入れる。そのまま後退した。
「ヒャッハーーーーー!」
すごくイヤな声を聞いた気がした。
両側面を傷と凹みだらけにした黒塗りセダンに箱乗りで、茶髪女が身体を出している。手には今度は火炎放射器が握られている。
「セクハラ野郎は焼却だーーーーー!」
ブレーキを踏み込む。車体をスピンさせ、方向転換した。
前方を火炎が舐める。ハンドルを切ってセダンの側面に回りこむ。元の位置に戻ったミラーが、女の顔面を強打した。
詰まった悲鳴に頓着せず、車の速度を上げる。後ろに、刀の女が迫っていた。
女が走る。人の身とは思えないスピードだ。ヤマトは全速で逃げる。それでも距離は詰まってゆく。
「おいおいおいおいおい! 何だよアレ!」
あまりに規格外の身体能力に驚きつつも、必死で車を動かす。追いつかれたらアウトだ。
と思ったら、もうすぐ後ろに迫っていた。長い黒髪の美女で、胸は弾むほどのボリュームを持っている。だが、その目は何の感情も映さない陸揚げされたマグロの目だ。
ヤマトは死を覚悟した。グッバイ現世。店主が言っていた新しい世界。そんなものを、一度でいいから見てみたかった。
神がその願いを聞き届けたのかどうか。
突如、横合いから飛び出した影が、振り下ろされた斬車刀を受け止めた。
男だった。手にやはり肉厚の剣を握っている。その剣でぎりぎりと、女とつばぜり合いをしている。
「早く逃げろ!」
その声で我に返った。横手の空き倉庫前の広場を使ってターンする。そうしてヤマトはその場から逃走した。
頭の中の地図を検索する。ひとつの場所に当たりをつけた。
五分ほど車を走らせ、目的の場所にたどりつき、ようやく停車させた。
先月店を閉めたばかりの家電量販店。その地下駐車場に、ヤマトはいた。
車を降り、車体を調べる。多数の弾痕が後部と側面に穿たれている。それらの中に一つ、黒っぽいものがめり込んだ跡があるのを見つけた。
掘り出してみると、やはり発信機だった。弾丸に紛れ込ませて、撃ち込んだのだろう。
入口まで行って、できるだけ遠くに投げ捨てた。
車まで戻り、一息つく。
いったい何なんだ、と思った。原因はおそらく馬車馬堂から預かった荷物だろう。そしてどこの誰だかはわからないが、それを狙っている者たちがいる。ずっとあの店を張っていたに違いない。
あの荷物は、かなりヤバいものなのだろう。中身が何かは知らないが、それだけはわかった。
「お前が運んでいるものが何か、知りたいか?」
ヤマトの方へ誰かが歩いてくる。その人影は、右手に剣を握っていた。
「あんたは、さっきの」
男が頷く。男はサングラスをかけ、革のジャケットのようなものを着ていたが、サングラスは片目部分が割れ、ジャケットもあちらこちらが破れている。
「さっきは助かった。ありがとう。それであの女は、いったい」
「過激派女性人権団体が雇った終らせる者だ。全身を機械と薬で強化している」
「女性人権団体? そんなところがなぜ……」
「お前が運んでいる荷物が関係している」
男が顎で戻るよう促す。それに従い、ヤマトは歩き出した。
「オッキナ・チチスキー博士はある日にわか雨に逢い、雨宿りをしていた。そこには他にも人々がいて、その中に女性もいた」
男が横に並んで、歩きながら語り始めた。
「博士は女性のブラウスが透け、下着が見えているのを目にした。博士はその光景に感動した。そして思ったのだ。この感動を、いつ何どきでも味わうことはできないか、と」
車にたどりつくと、男が荷台を開けるように言う。ヤマトはハッチバックを押し上げ、研究所から預かった荷物を取り出した。
「そして博士が苦心の末、開発に漕ぎつけたのが衣服透過装置『スケブラー』。そしてこれは、装置を完成させる最後の部品だ」
ヤマトは荷物に視線を落とした。
「スケブラー……」
「博士のつくるものはいつも機能過剰でな。この透過装置も例に漏れない。女性のブラウスはもちろん、その下のブラジャーだって易々と透過してみせる。上げ底も、下着による肉体補正も、すべて看破する」
なぜ女性人権団体が破壊しようとしたのかが、それでわかった。
「それだけではない。出力を上げれば、人体やビルの外壁すら透過することが可能だ。相手がどれだけ肉体を機械化しているかも、どれほどシリコンを注入しているかもすべて暴き出せるし、外にいながら室内のシャワーシーンやベッドシーンも覗き放題になる」
何という素晴らしい、いや恐ろしい装置だろう、とヤマトは思った。
「お前が運んでいるものは、そういうものだ。わかったか?」
ヤマトは頷く。荷物の中身にはタッチしない。それが運送業の鉄則だ。顧客のプライベートは守る。そうであってこそ、信頼は保てるのだ。
荷物の中身を明かされたことには、忸怩たるものがある。だがこういう状況に至っては致し方がない、と割り切ることにした。
「だから、これは、何としてでも、届けてもらわなくてはならない」
ヤマトは疑問を口にした。
「狙っているのは彼女たちだけなのか」
男が首を横に振る。
「政府関連組織や軍隊、裏組織のいくつかも博士の発明を狙っている。だが、博士の発明が狙われるのはこれが初めてではない。私の仲間たちが、世界中の組織と今も戦い続けている」
そうだろう、とヤマトは思った。博士はただ女性の服の下を覗きたかっただけだろう。女性の恥じらう姿を見たかっただけだろう。だがその装置は、聞くからに他の用途にこそ活用できそうだし、そうすべきか、もしくは永遠に封印するべきだと思った。
「馬車馬堂の店主もお前たちの仲間か」
「そうだ」
「なぜ、俺にこんな危険な荷物を預けた」
「お前の父親と、馬車馬堂の店主は昵懇らしい。その昔、危険な依頼を見事達成してくれたそうだ。だから、息子のお前ならやってくれる、そう信じたんだろう」
「嘘くさいな」
ヤマトは笑う。黒服も笑みを浮かべた。
「……部品は、同様のものを分散して三つのルートに分けて運ばれている。どれか一つが研究所にたどり着けばいい。そういうカラクリだ」
俺が納得した顔を浮かべたのを見て、店主と親父さんの件は本当だぜ、と男は付け足した。
「わかった。責任を持って、運ばせてもらう」
「そうでなくてはな」
男が背を向ける。
かつん、と硬い足音がした。漆黒のワンピース。斬車刀を持った女が、立っている。
「今回、あいつらの抵抗が一番激しい。どうしても、真実を暴かれたくないようだ」
「女は秘密を纏って美しくなるらしいからな」
「違いない」
男が剣を構えた。
「行け。何としてでも届けろ。お前が運ぶのは、荷物じゃない」
軽自動車に乗り込む。キーを回す。外側はともかく、エンジンは順調だ。
発車させた。男とすれ違う。男がにやりと、笑みを浮かべる。
「運ぶのは、漢の浪漫だ」
全速力で、駐車場を飛び出した。