【短編】うちの女房は、タイムリープしている。
俺の住む村、ルベル村。
王国の端にある小さな山間の村だ。
畑は痩せているし、街道からも外れている。
村人の大半は畑仕事をしながら、森で獣を狩ったり、川魚を獲ったりして暮らしていた。
俺――レオルは、その中でも少し変わった罠師という仕事をしている。
森に罠を仕掛け、獣を獲る。
獲物の肉と毛皮を売り、時には解体も請け負う。
だが、それだけじゃ食えない。
だから早朝から、荷車を引いて海沿いの漁村まで魚を仕入れに行く。
山村じゃ海の幸は高く売れるからだ。
ただし、雨の日は仕事にならない。
海はしける。
森に入れば足場は悪いし、獣も動かない。無理に入れば怪我をする。
だから俺は、そんな日は家にこもる。
砥石車を回して解体用ナイフを研いだり、壊れた罠柵を直したり、竹籠を編んだり。
地味な仕事だ。
けど、生きるってのはそういう積み重ねだと思ってる。
派手さなんてなくていい。
飯が食えて、冬を越せれば十分だ。
少なくとも、俺はそう思っていた。
◇
その日も朝から雨だった。
屋根を叩く音で目が覚める。
「……今日は駄目だな」
俺は起き上がり、薪をくべた。
小さな鍋で湯を沸かし、固い黒パンを浸して食う。
雨の日は静かだ。
村人も外には出ない。
聞こえるのは雨音だけ。
俺は椅子に座り、解体用ナイフを一本ずつ研ぎ始めた。
シャッ、シャッ、と刃が砥石を擦る音が響く。
この時間が一番好きだ。
無心になれる。
刃を研いでいると、不意に戸口から声がした。
「研ぎ直した?」
鍛冶屋の妹、ノアだった。
相変わらず無表情だ。
「昨日より刃の角度が揃ってる」
「見ただけで分かるのか?」
「……まあ」
ノアは研ぎ終えたナイフを手に取り、静かに頷いた。
「大事に使ってる」
「仕事道具だからな」
「うん」
それだけ言って帰っていった。
村のおせっかいな婆さん達とは違い、ノアはいつまでも静かでおしとやかな女性でいそうだ。
そんな事を考えたせいか、昼頃になると、家の戸が叩かれた。
「レオルー!いるかい!」
聞き慣れた声だった。
「開いてるぞ」
入ってきたのは、村の婦人会の連中だった。
先頭にいるのは、長い赤髪が特徴のマルダ婆さん。
後ろにはニヤニヤしたおばちゃん達が並んでいる。
嫌な予感しかしない。
「なんだ?」
「縁談だよ」
「帰れ」
即答した。
だが婦人会は怯まない。
「待ちな! 話だけでも聞け!」
「俺は一人食ってくだけで精一杯なんだ」
「そんなこと言ってる年齢じゃないだろ!」
「まだ二十一だぞ」
「村じゃ立派な働き盛りだ!」
ぐうの音も出ない。
この村では、早いやつは十代で結婚する。
未婚なのは数少ない。
――しかし
「第一な、俺みたいな狩人と結婚しても苦労するだけだ」
マルダ婆さん率いる村の婦人会メンバーが、一人ずつ打ち合わせしたかのように言う。
「酒を飲まない」
「博打もしない」
「真面目」
「働き者」
「女遊びもしない」
俺はごくりと喉を動かす。
「……だから?」
「だから人気なんだよ」
婦人会メンバーの満面の笑み。
意味がわからない。
俺が眉をひそめると、マルダ婆さんが紙を取り出した。
「お前さんに、嫁さん候補を五人見繕ってきた」
「……は?」
俺は固まる。
「しかも、漁村のところも含めてだ」
頭が痛くなってきた。
「誰だよ」
「聞くかい?」
「いや、やっぱ聞きたくねえ……」
マルダ婆さんは無視した。
「リゼ」
魚屋の娘。
元気でよく笑う。
「エミナ」
薬草摘みの娘。
森でたまに会う。
「ノア」
鍛冶屋の妹。
さっき来た。
「セレナ」
漁村の食堂娘。
魚の値切りでよく喧嘩する。
「フィナ」
村長の姪。
子供達によく懐かれてる。
「全員知り合いじゃねえか」
「だからだよ」
「だからってなんだ」
「お前、自分がどれだけ女に優しいかわかってないね?」
まるで覚えがない。
「普通だろ」
また、打ち合わせしたかのように婦人会が畳み掛ける。
「雨の日に、薬草摘みの娘を送ってやった」
「荷車が壊れた時に直してやった」
「魚を全部買ってやった」
「子供を助けた」
「薪割り手伝った」
順番に間をとってくるな、全く。
なんなんだこの圧は。
(というかよ)
「普通の善意じゃないのか?」
「そういうとこだよ!」
婦人会全員が頭を抱えた。
なんなんだ。
俺は困惑した。
「いや待て。この五人には話が通っているのか?」
「一人選べば済む話さ」
「角は立たないんだな?」
「レオル真面目すぎるんだよ!」
結局、その日は延々と縁談の話を聞かされた。
誰がどうだとか。
誰が昔から想ってるとか。
知らん。
そんなこと急に言われても困る。
そもそも、あんたらが見繕ってきたんだろ。
夕方には婦人会も帰ったが、俺の頭は重かった。
嫁か。
考えたこともなかった。
俺は一人で生きるもんだと思ってた。
◇
翌日。
雨は止み、空は快晴だった。
雲ひとつない青空。
こういう日は忙しい。
俺は朝早くに荷車を引き、海沿いの漁村へ向かった。
山道を歩くこと二時間。
潮の匂いが鼻をつく。
「お、レオル!」
港で声を掛けてきたのは漁師のガンズだ。
「今日は鯖が安いぞ!」
「イワシもくれ」
「毎度! ところでよ……誰にするんだい?」
耳もとで小さく話しかけるガンズ。
話がもうすでに広がってる。
(面倒なことになった)
「はて? 何のことやら」
「こんちくしょう! 誰にするかは教えろよ。あと相談にも乗るからよ!」
ガンズは満面の笑みだった。
完全に色恋話にニヤニヤしている。
「はぁ……」
どうやら村の婦人会は本気らしい。
周りからガチガチに固めている。
視線もやけに突き刺さっている気がした。
魚を大量に仕入れ、荷車に積む。
「おい、レオル」
振り向くと、魚屋の娘リゼが木箱を抱えていた。
「塩漬けの小魚。帰り、腹減るだろ」
「は?売り物じゃないのか?」
「余りもんだよ」
そう言って笑う。
だが木箱の中は、ちゃんと形のいい魚ばかりだった。
「代金は――」
「いいって。いつも魚買ってくれてんだから」
豪快に背中を叩かれ、俺は少しよろけた。
「力加減しろ」
「あはは! 狩人が情けないねぇ!」
その途中、食堂娘のセレナと目が合った。
「あ」
「あ、じゃねえ。今日は値切るなよ」
「安くしてくれたら考える」
「値切ってんじゃねぇかよ」
いつものやり取り。
だが、セレナは呆れた顔をしていた。
「はぁ……あんた、ほんと変わらないわね」
「何のことだ?」
「何のことって……あんたね。 まぁいいわ、ゆっくりいきましょ」
おいコラ待て、マルダの婆さんよ。
見繕ってきたって、話が通ってるんじゃねぇか?
何かおかしいと思ったんだ。
リゼが良い魚を、売れ残りだなんて言うわけない。
そして、セレナのこの反応。
やめて……まさか、修羅場になってないよね?
不敵に笑う、セレナに首を傾げる。
頭が痛い。胃が痛い。嘘だと言ってくれ。
とりあえず、ここから退散だ。
村へ戻ると、魚は飛ぶように売れた。
広場の方から、子供達の笑い声が聞こえる。
「フィナ姉ちゃーん!」
村長の姪のフィナが、子供達に追いかけ回されていた。
「こらこら、走ると転ぶわよー!」
言った直後、一人の子供が盛大に転ぶ。
「あうっ!」
だがフィナは慌てるどころか、笑いながら抱き起こした。
「ほらね?」
泣きそうだった子供は、すぐ笑い出す。
「相変わらず、懐かれてるな」
村の子供は、大体フィナにくっついている。
女房候補の一人……。
村長の姪だ、余計なことはできない。
昼からは小さな畑を耕した。
その後、日暮れ前に森へ向かう。
途中、薬草籠を抱えたエミナとすれ違う。
何も知らない振りで切り抜けよう。
いつも通りに会話して――。
「あら、レオルさん」
なんかわざとらしい声だった。
しかし。
小柄な娘は、俺の手を見るなり眉をひそめた。
「また傷、開いてますよ」
「え?」
見ると、昨日罠を直した時についた、切り傷から血が滲んでいた。
「気づいてなかった……」
エミナは慣れた手つきで薬草布を巻きつける。
「無茶しすぎです」
「狩人はこんなもんだ」
「そういうところです」
小さくため息をつかれた。
だがキュッと薬草布を縛られる。
エミナは優しい顔で、意地悪そうに笑った。
勘弁してくれ、罪悪感に押し潰されそうだ。
つまり、このエミナも女房候補を承諾したのか。
感謝を伝え、その場をやり過ごした。
森を進み、罠を確認する。
「ウサギ三匹か」
上出来だ。
今日はいい日だ。
夕方。
村に戻ると、ノアが昨日の研ぎ直したナイフを見に来た。
「どんな感じ?」
「あ……ああ」
ノアは西日にナイフをかざし、確認するとあっけなく帰っていった。
何か身構えた自分が、恥ずかしくなった。
疲れた体で家に戻り、飯を食って眠った。
それだけ。
ただそれだけの一日だった。
◇
次の日。
目が覚めた瞬間、違和感があった。
屋根から水滴が落ちる音。
湿った空気。
窓の外のぬかるみ。
「……?」
昨日、晴れてたよな?
俺は首を傾げながら外へ出た。
空は晴れている。
だが地面は、まるで昨日雨が降ったみたいに濡れていた。
「変だな……」
そう思いながらも、俺は荷車を引いた。
漁村へ向かう。
途中で、ふと気づく。
道端に落ちている枝。
昨日見た位置と同じだった。
嫌な汗が流れる。
漁村に着く。
「お、レオル!」
ガンズが笑った。
「こんちくしょう! 誰にするかは教えろよ。あと相談にも乗るからよ!」
――昨日と同じ言葉。
俺は固まった。
「はて? 何のことやら」
思わず同じ返事をしていた。
リゼが木箱を抱えてくる。
「塩漬けの小魚。帰り、腹減るだろ」
全く同じタイミング。
同じ笑い方。
セレナとも会った。
「あ」
「あ、じゃねえ。今日は値切るなよ」
同じだった。
フィナのところでは、同じ子供が同じ場所で転ぶ。
エミナは森で同じ傷を見つける。
罠にはウサギ三匹。
ノアは西日にナイフをかざす。
その夜、俺は眠れなかった。
◇
三日目で偶然だと思わなくなった。
五日目で恐怖した。
十日目には、朝の水たまりを見るだけで吐き気がした。
俺はいろいろ試した。
魚を仕入れなかった。
昼寝してみた。
森へ行かなかった。
村の外で夜を明かした。
だが翌朝になると、また同じ日。
雨上がりの朝に戻る。
「……どうなってる」
どんなことをやっても、また同じ朝がやって来る。
「ふざけるな!!」
気づけば、俺は家の壁を殴っていた。
乾いた音が響く。
一発。二発。三発。
「なんで戻る……!」
拳の皮が裂け、血が滲む。
だが翌朝には、その傷すら消えていた。
俺だけが覚えている。
世界は何もなかったみたいに繰り返す。
俺だけを置き去りにして。
そして、ふと思った。
「……なら」
どうせ明日になれば戻る。
何をしても無駄。
同じ繰り返しの中で、嫁さんだの女房だのという視線にも、もううんざりしている。
「……嫁さん、選んでみるか」
寝ても覚めても昨日の縁談話は、はっきりと思い出せる。
五人の女達。
今まで逃げてばかりで、向き合ってこなかった。
時間だけはある。
無限に。
俺は最初に、魚屋の娘リゼの家へ向かった。
その時、初めてそんな行動をした俺は、まだ知らなかった。
この終わらない一日の中で。
本当に時間を繰り返しているのが、俺だけではないことを。
◇
最初の違和感はリゼだった。
「……今日も同じだな」
その一言だけが、昨日と違っていた。
次はセレナだった。
「へぇ、考え始めたんだ。……全くもう」
フィナで確定した。
「やっと、お話できて嬉しいです」
エミナが傷の位置を覚えていた。
「今日は、少し違いませんでした?」
エミナは優しい顔で、意地悪そうに笑う。
俺はすぐに首を振った。
「……気のせいだろ」
俺はゾワッとしていた。
ループしてるのは、俺だけじゃない。
村に戻り、あのノアが鼻歌混じりにナイフを西日にかざす。
反射して、俺の目に赤い光が当たった。
◇
次の日、接しやすいセレナに会いに行った。
いつも、魚の値引きでやり合う仲だ。
そしてセレナが言った。
「ねえレオル。今日は“選ぶ日”でしょ?」
俺はセレナに泣きつく。
「何か知ってるなら、教えてくれ……頼むから……」
「はぁ、やっとね。 うふっ」
肩を軽く弾ませ、何も教えてくれない。
まるで俺の愛を、心待ちしてる乙女のように。
候補五人ともループしてる……。
その中で、誰を選べっていうんだ。
夕方、いつものノアが背を向けて言った。
「また、やり直し」
研ぎ直したナイフの事ではなく、はっきりと俺の話だとわかった。
◇
次の日。
リゼは売れ残りの魚を渡さなかった。
「今日は渡さん!」
俺は顎に手を当てた。……整理しろ。
「いい加減にしろ、何回目だ」
そして気づく、言い返せない自分に。
女房の尻に敷かれる、夫のようだった。
この違和感は続いた。
仁王立ちのセレナが言った。
「誰かさんと違って、食堂のお客さんは温かいうちにご飯食べてくれるわ。 もう、知らない」
村の外れで、フィナが言った。
「……わたし、いつまでも待ってますからね」
エミナが去り際に言った。
「このままだと……何をしでかすか、わかりませんから」
ノアは言った。
「研ぎ直しとは何だ。誰のことだ」
全員が叱っていた。
何も言い返せない。
ただ、口ごもるだけだった。
この妙な違和感に、落ち込んでしまった。
マルダ婆さん……?
何か、重要な事を言っていたのか……?
それから沈む夕日に抗い、マルダ婆さんを探した。
どこにもいない。
誰に聞いても、居場所がわからなかった。
夜。
家に戻ると、戸の前に誰かが立っていた。
雨でもないのに、濡れた赤い髪の女。
その女は、初めて見る顔だった。
だが、妙に懐かしい気配がした。
「やっと、少しだけ進んだのね」
透き通るような淡い声。
「……誰だ、お前」
女は微笑んだ。
「私はまだ、あなたの“明日”にはいない人」
意味が分からない。
だが、背筋だけが冷えた。
女は小さく続ける。
「でもね。あなたの“嫁候補”は、もう始まってる」
その言葉と同時に、世界が一瞬だけ歪んだ。
雨に濡れた土の匂い。水滴の反射。森の気配。
全部が、わずかに“ずれた”。
女は言った。
「次の一日で、誰か思い出すわ」
そして――
「選びなさい、レオル。今度こそ」
◇
朝が来る。
また同じ一日が始まる。
だが俺はもう知っている。
このループは、ただの繰り返しじゃない。
“選ばされている”一日だ。
そして、五人の中に――
選ぶべき女房がいる。
失敗は許されない。
井戸の水を頭から浴びて、目を覚ます。
また同じ朝だ。
だが、“選択”の日。
屋根をつたう雨水。
湿った空気。
水たまりに映る曇りかけた空。
もう驚きはない。
むしろ安心すらしていた。
――選択。
向かった先は森。
雨にうたれたような、昨日の赤髪の女。
あんなに濡れた状態で、村の外へ消えた。
匂いも歪んだ気配も森だった。
俺はあの女をほっとけない。
なぜかはわからない……すまない。
森で、エミナが立っていた。
薬草籠を抱えたまま、こちらを見ている。
そして言った。
「……やっと、ここまで戻ったんですね」
「戻る?」
俺が聞き返すと、エミナは首を振った。
「いいえ。思い出す方です」
その瞬間だった。
視界が揺れた。
森が歪む。
村が崩れる。
水たまりが空へ反転する。
そして――
五つの記憶が、重なった。
どういうことだ。
わけがわからない……。
◇
五人全員が、“ひとりの女”の断片だった。
長い赤い髪。
透き通るような淡い声。
怒ると怖いくせに、すぐにため息をつく女。
そして――俺の隣で、当たり前のようにいた女。
「イザベラ……」
口にした瞬間、記憶が決壊した。
◇
俺は、ただの罠師だった。
山間の村で生きていた青年。
それがイザベラと出会い――中年になる頃には、王都でも名を知られる豪商になっていた。
そして――
隣にはいつも、イザベラの助言があった。
◇
俺は出会った頃を思い出した。
最初は小さな縁。
森の中で出会った女だった。
雨宿りの木の下で、震える手を息で温めた。
気づけば一緒にいた。
気づけば結婚していた。
だが、俺は変わっていった。
金が増えるたび、仕事が増えるたび、チヤホヤされるたび。
彼女の声を聞かなくなった。
「あなた、それはやりすぎよ」
そう言われても、俺は笑って流した。
「心配するな、全部うまくいってる」
うまくいっていたのは、全部イザベラのおかげだった。
それは、わかっていた。
気づけば、俺は彼女を“妻”として見ていなかった。
商会の飾り。屋敷の同居人。都合のいい助言者。
そして、あの日。
大喧嘩をした。
理由はもう思い出せない。
ただひとつ覚えているのは――
イザベラが、静かに言ったことだけだ。
「あなた、もう一度やり直した方がいいわ」
その言葉を、俺は笑い飛ばした。
次の瞬間だった。
すべてが崩れた。
商会。屋敷。金。名声。
そして俺自身の記憶。
「ここは……」
気づけば、俺はルベル村にいた。
かつての罠師として。
何も知らないまま。
繰り返す一日の中に、放り込まれていた。
◇
目の前で、エミナ――いや、イザベラが立っている。
すべての断片がひとつに戻る。
リゼの笑い声も。セレナの軽口も。
ノアの静かな目も。フィナの優しさも。
エミナの手当ても。
全部、彼女だった。
イザベラは静かに言った。
「思い出した?」
俺は息を吐いた。
「……ああ」
そして、喉の奥から出てきたのは、情けない声だった。
「俺は……何をやってたんだ」
イザベラは少しだけ目を細めた。
「大金持ちになって、私を見なくなったわ」
「……」
「だから戻したの」
沈黙。
森の音だけが響く。
俺はようやく理解する。
このループは呪いじゃない。
罰でもない。
“やり直し”だ。
「なあ、イザベラ」
「なに?」
「これ、いつまで続くんだ」
彼女は少し考えてから、あっさり言った。
「あなたが、ちゃんと私を見てくれるまで」
「……は?」
「あなた、私のことを都合のいい部分しか見なくなったでしょう?」
俺は森の地面に、視線を下げた。
「だから分けたの。あなたが好きだった“私”を」
「……」
そうだったのか……。
イザベラはある日、突然あの五人になっていた。
理由がわからなかった。
だから、大喧嘩へと発展していった。
「まだまだお灸が必要ね」
◇
その瞬間、空気が変わる。
世界はまた朝へ戻る。
水たまり。雨上がりの匂い。同じ一日。
だが、中年から若返った感覚。
腹がへっこんで、体が軽い。
動きが滑らかな感覚。
俺は中年から、あの頃に戻っていた。
寝台の横に、イザベラが立っている。
いつぶりだろう……こんなに美しいと改めるのは。
イザベラは、笑いながら言った。
「さあ、はじめましてからやり直しましょう」
五人が重なる姿だ。
――そう、うちの女房は魔女だ。
俺はずっと、勘違いしていた。
商売が回るのも。人が集まるのも。
毎日、帰る場所があるのも。
全部、当たり前じゃなかった。
イザベラが隣にいたからだ。
疲れて帰れば、灯りがあった。
失敗すれば、黙って酒を置いてくれた。
間違えれば、怒りながらも隣に立ってくれた。
なのに……俺は、それを“いつものこと”にしてしまった。
妻じゃなく、空気みたいに扱った。
「イザベラ……本当に、ごめん」
謝りたかったのは、きっと、ずっと前からだったはずなのに……。
俺は寝台から立ち上がり、髪と背筋を正した。
「はじめまして、私の名前はレオルと申します。
私と再婚しませんか?」
「バカ」
イザベラは意地悪そうに笑った。
そうか。
この笑顔。
ずっと忘れていた……。
答えはエミナだ。
エミナを本気で怒らせたんだ。
この優しい顔で、意地悪そうに笑う顔。
……本当に、駄目な夫だった。
俺はうなだれた。
「ねぇ?」
イザベラを見ると、あの五人に分裂した。
「ところで、どの私が好きなのよ?」
「私だろ!」
「絶対にわたしっ」
「男らしく……フィナと言って下さい」
「浮気したら、何するかわかりませんよ」
「二人で、他の錆を落とそう」
五人の重なる声。
「どうか……どうかそれだけは、勘弁してください」
俺は床にひれ伏せた。
◇
雨は止んだ。
あとは、嵐が過ぎるのをじっと待つ。
なぜなら夫だから。
この繰り返しの中で、もう一度最初から。




