【歴史】御家人
【問い】 鎌倉幕府成立後、大江氏や波多野氏といった頼朝の御家人が日本各地に所領を与えられました。
相模国に所領のあった御家人が各地に所領を持った一覧を作成して
【回答】 Geminiさん
鎌倉幕府の成立に伴い
相模国を本拠とした御家人たちが
西国や九州など各地に所領を与えられました
代表的な一族と
その主な配分先をまとめます
鎌倉幕府御家人の主な所領移動
御家人(一族) 相模国の本拠地 主な移住・獲得先(旧国名)
三浦氏 三浦半島 筑前・豊前(九州地方)
大江氏(毛利氏) 愛甲郡毛利荘 安芸(広島県)・出雲(島根県)
渋谷氏 高座郡渋谷荘 薩摩(鹿児島県)
波多野氏 足柄上郡波多野荘 越前(福井県)・丹波(兵庫県/京都府)
土肥氏(小早川氏) 足柄下郡土肥郷 安芸(広島県)
二階堂氏 鎌倉二階堂 薩摩(鹿児島県)・陸奥(福島県)
中村氏(一條氏) 足柄下郡中村郷 伯耆(鳥取県)・伊勢(三重県)
糟屋氏 相模国糟屋荘 播磨(兵庫県)
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これらの所領配分には
いくつかの特徴があります
承久の乱と新補地頭
承久の乱(1221年)以降
西日本の朝廷側に味方した者の所領が没収され
東国の御家人たちが「新補地頭」として大量に送り込まれました
これにより相模国の武士たちが全国へ分散しました
名字の継承
大江広元の息子が毛利荘を継いで「毛利」を名乗り
後に安芸国へ下向して戦国大名の毛利氏になったように
相模の地名がそのまま遠隔地の有力氏名の由来となっています
現地への定着
当初は相模に住みながら代官を送る形態が多かったのですが
時代が下るにつれて一族の一部が現地へ移住し
土着して地域勢力を形成していきました
相模国は幕府のお膝元であったため
初期の功臣たちが多く
その結果として全国にその足跡が広がっています
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【問い】 小山氏、千葉氏、三善氏の本拠と移住・獲得先は
【回答】 Geminiさん
小山氏・千葉氏・三善氏について
それぞれの下総国や周辺諸国における本拠地をまとめます
各氏族の本拠地一覧
御家人 本拠地(地名) 主な獲得先・移住先(旧国名)
小山氏 下野国 小山荘 播磨(兵庫)・美作(岡山)・薩摩(鹿児島)
千葉氏 下総国 千葉荘 肥前(佐賀)・薩摩(鹿児島)・下野(栃木)
三善氏 鎌倉(問注所) 淡路・阿波・讃岐・備中・周防・長門
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各一族の背景
小山氏(おやまし)
藤原秀郷の流れを汲む武蔵・下野の有力豪族です
小山荘(現在の栃木県小山市周辺)を本拠とし
鎌倉幕府の樹立に大きく貢献しました
西国の地頭職を多く得ていました
支流には結城氏などがおり
北関東において強大な勢力を誇りました
特に庶流の結城氏は
越後や播磨などに広大な所領を持っていました
千葉氏(ちばし)
坂東平氏の一門で下総国の有力な在庁官人でした
千葉荘(現在の千葉市中心部)を本拠地とし
亥鼻城(いのはなじょう)付近を拠点としていたと伝えられています
頼朝の挙兵を初期から支えた「千葉常胤」の功績により
下総を中心に全国各地に膨大な所領を得ました
千葉常胤の6人の息子たちが各地の所領を分割相続しました
その中でも九州へ下向した一族は
「九州千葉氏」として肥前国(佐賀県)で大きな力を持ったほか
薩摩国(鹿児島県)の渋谷氏らと同様に
九州の歴史に深く関わることになります
三善氏(みよしし)
大江氏と同じく京の下級貴族(実務官僚)の家系です
頼朝に招かれて鎌倉へ下向しました
初代の三善康信は幕府の裁判機関である「問注所」の執事となり
代々その職を世襲しました
そのため特定の一地方というよりは
鎌倉の行政中心地に深く根付いた一族です
承久の乱の功績などで西国に多くの所領を得ました
淡路・阿波・讃岐
三善氏の一族(町野氏など)が地頭として入りました
特に阿波や讃岐では
後に三好氏(戦国大名)のルーツの一つとする説が出るほど
地域に根付いた系統もありました
備中(岡山県)
三善康信の子孫が備中国小田郡などに勢力を持った
「問注所氏」として知られています
後に九州の筑後地方へ移住し
大友氏の有力家臣として活躍しました
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西国への進出は
単なる領地の獲得だけでなく
幕府の支配力を全国に浸透させる大きな転換点となりました




