【歴史】城持ち
【問い】 江戸時代になると、一国一城令が出され多くの城が破棄された。
国主のみが国持ちになったのかと思いきやかなりの数の城が残りました。
国主以外の城持ち大名をリストアップして
【回答】 Geminiさん
江戸時代、一国一城令(1615年)によって多くの城が取り壊されましたが、おっしゃる通り、実際には「国持ち(一国を丸ごと領有する大名)」以外にも、城を持つことを許された**「城持ち大名」**は数多く存在しました。
「国持ち」以外で城を持つ大名は、大きく分けて**「准国持ち」**や、一定以上の石高(通常3万石以上が目安)を持ち、幕府から個別に「城主(じょうしゅ)」の格を認められた大名たちです。以下に、主要な「国持ち以外」の城持ち大名を、系統や地域のバランスを考慮してリストアップします。
国持ち以外で城を持った主な大名リスト
分類 藩名(城名) 大名家(家格) 備考
親藩・松平家 会津藩(若松城) 会津松平家 23万石。御家門筆頭格。
高松藩(高松城) 高松松平家 水戸徳川家の分家。
松山藩(松山城) 久松松平家 伊予松山15万石。
譜代大名 彦根藩(彦根城) 井伊家 30万石(35万石格)。
大老を輩出。
姫路藩(姫路城) 酒井家・ 「西国探題」の役割を
本多家等 担う要衝。
小田原藩(小田原城) 大久保家 箱根の関所を控える関東の
要。
松江藩(松江城) 松平家 出雲18万石。
(直政系)
桑名藩(桑名城) 久松松平家 東海道の要衝。
など
外様大名 米沢藩(米沢城) 上杉家 15万石。元は120万石の国持
ち。
久留米藩(久留米城) 有馬家 21万石。筑後。
宇和島藩(宇和島城) 伊達家 仙台伊達家の長男が興した
(分家) 藩。
弘前藩(弘前城) 津軽家 4.6万石(高直しで10万
石)。
中津藩(中津城) 奥平家 10万石。豊前。
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「一国一城」の例外:支城が認められたケース
一国一城令には、強力な大名への配慮や軍事上の理由から、例外的に「支城(しじょう)」の存続が認められたケースもあります。
・ 仙台藩(伊達家): 仙台城以外に白石城の存続が認められました(片倉氏が居
住)。
・ 加賀藩(前田家): 金沢城以外に小松城が隠居城として一時期認められていま
した。
・ 薩摩藩(島津家): 独特の「外城(とじょう)制度」により、城郭というより
は「麓(ふもと)」と呼ばれる武士の集落が各地にあり、軍事拠点が実質的に維
持されていました。
城を持てない「陣屋大名」との違い
石高が1万石以上あれば大名ですが、すべての家が城を持てるわけではありませんでした。格付けが「城主格」に満たない大名(主に小規模な譜代や外様)は、城の代わりに**「陣屋」**と呼ばれる、堀や櫓のない屋敷を拠点としました。
幕府は、功績や血筋に応じて「無城(むじょう)」から「城主格(じょうしゅかく)」、そして「城主」へと格上げを行うことで、大名の序列を厳格に管理していたのです。
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【問い】 美濃の城や播磨の赤穂城なども該当したと思いますが
【回答】 Geminiさん
ご指摘の通りです。**美濃国(岐阜県)や播磨国(兵庫県)**は、まさに「一国一城令」の原則を考える上で非常に興味深い地域です。
一国一城令は「一国に一つの城」を原則としましたが、美濃や播磨のように、一国の中に複数の独立した大名(数万石規模の中小大名)が並立している地域では、それぞれの大名に「一城」が認められました。
さらに、赤穂城のように時代が下ってから「新規築城」が認められた極めて珍しいケースも存在します。
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1. 美濃国:群雄割拠による「多城」状態
美濃は織田・豊臣時代から戦略的要衝であったため、徳川幕府も一人の大名に統治させるのを避け、複数の譜代・親藩を配置しました。その結果、一国の中に多くの城が維持されました。
・ 大垣城(戸田家): 10万石。美濃国内で最大の城郭。
・ 加納城(松平・奥平家): 中山道の要衝。
・ 岩村城(松平・丹羽家など): 日本三大山城の一つ。
・ 苗木城(遠山家): わずか1万石余りですが、城主として認められていました。
・ 郡上八幡城(遠藤家など): 典型的な山城。
このように、一国の中に「城持ち」が5〜6家も並立しているのは、美濃が「国持ち」のいない国だったからです。
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2. 播磨国:西国への備え
播磨もまた、西国大名(毛利・島津など)を監視するための重要拠点だったため、姫路藩(国持ち格)以外にも複数の城持ちが配置されました。
・ 明石城(松平・本多家など): 姫路城と並び、西国への睨みを利かせる重要拠
点。
・ 龍野城(脇坂家): 5万石前後の城。
・ 赤穂城(浅野家):
赤穂城は特に特殊です。一国一城令の後の正保・慶安年間(17世紀半ば)に、
軍学者の助言を得て近世城郭として新規に築城されました。幕府が新規の築城
(それも本格的な海岸平城)を許したのは、浅野家の忠誠心や、塩田による経済
力、そして軍事的な必要性が認められたためと言われています。
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国主以外の「城持ち大名」補足リスト
美濃や播磨以外でも、重要な「非・国主」の城持ちを挙げます。
藩名(城名) 大名家 特徴
岸和田城 岡部家 和泉国。大坂の背後を守る譜代の城。
掛川城 太田家など 遠江国。東海道の防衛拠点。
高遠城 内藤家 信濃国。石高(3万石)に対し、高い軍事拠点性を誇
る。
村上城 内藤家など 越後国。北陸道の守り。
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なぜ「国主」以外が城を持てたのか
一国一城令の「一国」とは、地理的な単位(国名)というよりも、**「一人の大名の領国に一城」**という意味合いが強かったといえます。
1. 「国持ち」の場合: 広大な一国を治めるため、主城(居城)以外はすべて破
棄。
2. 「分割された国」の場合: 国の中に複数の独立した藩がある場合、それぞれの
藩主(城主格以上)が自らの居城を持つことは許された。
古文書や日記を読み解く際にも、当時の武士たちが「自分の主君が城持ち(城主)か、陣屋住まい(無城)か」を非常に重要なアイデンティティとして捉えていたことが見て取れます。赤穂城のような「例外的な新築」が周囲に与えたインパクトは、想像以上に大きかったはずです。
子供の頃、忠臣蔵の赤穂城引き渡しでなんで???と思いました




