【歴史】「藩」と「州」
小説やテレビなど見ていて、違和感のある言葉がよくあります。今回はそのうち特に気になる二つを。
【問い】 小説やテレビなどで、江戸時代の"藩"と言う言葉を多用していますが、
実際に一般に使われたのは幕末の一時と聞いています。
本来、”地名”+”家名”、
尾張藩ではなく、尾張徳川家、
加賀藩ではなく加賀前田家
などの呼びかたが正しいはずです。
”藩”という言い方は、
林羅山だったかの書物の中で使われたのが古い記録と聞きましたが
いつぐらいからあった言葉でしょうか。
【回答】 Geminiさん
おっしゃる通り、非常に鋭いご指摘です。現代の私たちが時代劇や小説で当たり前のように耳にする「〇〇藩」という呼称は、実は江戸時代の大部分において公称(公式な呼び名)ではありませんでした。
あなたの推測通り、当時は「家名」や「地名」で呼ぶのが一般的であり、「藩」という言葉が行政的な正式名称になったのは、実は江戸幕府が滅びる直前から明治維新にかけてのことです。
ご質問の「藩」という言葉のルーツと変遷について整理しました。
---------------------------
1. 「藩」という言葉のルーツ
「藩」という漢字は、もともと古代中国の周の時代に由来します。
・ 意味: 「まがき(垣根)」や「まもり」を意味します。
・ 概念: 王室をガードする(屏障となる)有力な一族やその領地を指す言葉でした
(これを**藩屏(はんぺい)**と呼びます)。
2. 日本でいつから使われ始めたか
日本でこの言葉が使われ始めたのは、江戸時代初期の儒学者たちの間からです。
・ 林羅山の影響: ご指摘の通り、徳川将軍家の侍講(じこう)を務めた林羅山など
の儒学者が、中国の古典になぞらえて、大名の領国を「藩」と呼び始めました。
・ 使われ方: あくまで「雅称(風流で格調高い呼び名)」や「書き言葉」としての扱
いです。現代でいえば、日本を「瑞穂の国」と呼ぶような、少しインテリ気取っ
た、あるいは詩的な表現に近いものでした。
3. 当時の人々は何と呼んでいたのか?
江戸時代の公文書や庶民の会話では、以下のような呼び方が一般的でした。
・ 公式な呼び方: 「〇〇家(例:松平加賀守家)」「〇〇領」「〇〇分国」
・ 庶民の呼び方: 「〇〇様のご領内」「お国(くに)」
・ 場所を指す場合: 「加賀の国」「尾張の国」など、旧国名で呼ぶのが普通でした。
4. なぜ「〇〇藩」が定着したのか
「藩」という言葉が行政的な意味で爆発的に普及したのは、幕末から明治維新にかけてです。
・ 1868年(慶応4年): 明治新政府が「政体書」において、大名の統治機構を正式
に**「藩」**と定義しました。ここで初めて、歴史上「藩」が法的な公称となり
ます。
・ 1871年(明治4年): 「廃藩置県」により、わずか数年でその「藩」という名称
自体が消滅することになります。
豆知識: 私たちが「江戸時代=藩」と強くイメージしているのは、明治以降に書かれた歴史学の叙述や、海音寺潮五郎や司馬遼太郎といった歴史小説家たちが、読者に分かりやすく説明するために「藩」という言葉を多用した影響が非常に大きいです。
---------------------------
まとめ
「藩」という言葉自体は江戸初期から存在していましたが、それはあくまで**「インテリの使うかっこいい代名詞」に過ぎませんでした。
現在の「〇〇藩」という呼び方は、後世の私たちが「あの時代のシステム」をひとまとめに理解するために定着させた、いわば「便利な歴史用語」**と言えるでしょう。
こうした「歴史の通説と実態のズレ」に注目されるのは、非常に面白い視点ですね!
もしよろしければ、他に「実は江戸時代には無かった・違っていた」という噂のあるトピック(例えば、武士の家計や意外な職業など)について深掘りしてみましょうか?
---------------------------------
【問い】 同様に、国名を州呼びする
武蔵国 → 武州
信濃国 → 信州
相模国 → 相州
など
これもいつぐらいから呼ばれるようになったのでしょうか?
【回答】 Geminiさん
「武州」「信州」「相州」といった、国名の頭文字に「州」をつける呼び方も、実は「藩」と同じく**中国風の格好をつけた呼び方(唐名:とうめい)**がルーツです。
ただし、「藩」という言葉が一般化した幕末に比べると、この「〇州」という呼び方の歴史は圧倒的に古く、平安時代まで遡ります。
---------------------------
1. 始まりは「平安時代」のインテリ層から
この呼び方が生まれたのは、平安時代の中期(10世紀頃)と言われています。
・ 当時のトレンド: 当時の貴族や知識人の間では、日本の官職や地名をあえて中国
(唐)の風称で呼ぶのがステータスでした。
・ 名付けのルール: 中国の行政単位である「州」を真似て、日本の国名(武蔵、信
濃など)の頭文字を取り、「〇州」と呼ぶようになりました。
・ 最古の記録: 平安時代の百科事典『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』な
どには、すでに「和州(大和)」「江州(近江)」といった表記が見られます。
2. なぜ定着したのか?
これには「書き言葉としての便利さ」と「武士の台頭」が関係しています。
・ 略称としての便利さ: 「武蔵国(むさしのくに)」と5文字書くより、「武州|(ぶ
しゅう)」と2文字で書くほうが圧倒的に楽です。手紙や記録を多く書く実務者の
間で重宝されました。
・ 武士のアイデンティティ: 鎌倉〜室町時代になると、武士が自分の出身地や所領
を示す際、少し箔をつけるためにこの呼び方を使うようになります。戦国武将の
手紙でも「甲州(武田信玄の甲斐)」「越州(上杉謙信の越後)」などは常用され
ていました。
3. 江戸時代には「庶民の常識」へ
江戸時代に入ると、この呼び方はインテリの専売特許ではなくなり、一般庶民にまで完全に定着します。
・ 旅行ブームとガイドブック: 江戸中期に旅が流行すると、『道中記(ガイドブッ
ク)』や浮世絵のタイトルに「信州諏訪湖」「相州江の島」といった表記が踊るよ
うになります。
・ ドラマチックな響き: 講談や落語でも、江戸っ子が「おらぁ武州の生まれよ」な
んて言うように、リズムの良い通称として愛されました。
---------------------------
「藩」と「州」の決定的な違い
ここが面白いポイントなのですが、両者には普及の仕方に大きな違いがあります。
呼称 ニュアンス 普及のタイミング
藩 統治システム(組織)を指す「硬い言葉」 幕末〜明治に公称化
州 土地やエリアを指す「小慣れた通称」 平安〜鎌倉からあり、江戸には定着
「藩」は明治政府が公式に採用するまで**「学者の用語」という色が強かったのに対し、「州」の方は江戸時代の時点ですでに「地元のニックネーム」**として市民権を得ていた、というわけです。
---------------------------
おまけ:ちょっと紛らわしい「州」たち
頭文字が同じ国が複数ある場合、当時の人は工夫して呼び分けていました。
・ 「備」がつく国: 備前・備中・備後は、すべて**「備州(びしゅう)」**ですが、
さらに細かく「備前州」などと呼ぶこともありました。
・ 「野」がつく国: 下野(栃木)は**「野州(やしゅう)」、上野(群馬)は「上州|
(じょうしゅう)」**。
・ 「総」がつく国: 下総は**「総州(そうしゅう)」**または「下総州」、上総は「上
総州」。
こうした呼び分けのルールが、今の競馬の「皐月賞(中山競馬場=総州)」や「上州名物・空っ風」などの言葉に繋がっていると思うと、歴史の連続性を感じますね。
この他にも、江戸時代の「官職名(〇〇守など)」が実は名前の一部として勝手に自称されていた話など、気になりませんか?




