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【短編小説】say umm, それは君が見ない光

掲載日:2025/12/29

 妻がいて子どもがいる。

 そんな甘い夢から覚めて起き上がると、やはり松代羅ケンは部屋にひとりであった。

 子どもは勿論、妻だっていない。

 週末に会った友人から子どもの話を聞かされたせいだろう。


 甘い夢は厭な現実との落差で後味の悪い夢となった。

 松代羅ケンはコーヒーメーカーの電源を入れると、ベランダに出て外の空気を吸うことにした。

 サンダルをつっかけて街を眺めると、松代羅ケンと同じように、街も目覚め始めているのが見えた。

 昨日の暖かさとは打って変わって酷く冷え込む朝だが、それでも良い。

 テレビのニュースもインターネットも無いこの瞬間だけが正気でいるつもりになれる。

 だから松代羅ケンはベランダに出るのが好きだった。


 しかし。

 もしここが高層階であったら、自分の衝動を抑えられる自信が無い。

 だから松代羅ケンは高層階には住まないように決めていた。

 これまで住んだ部屋だとか、今の部屋みたいに3階だとか4階から落ちて都合良く死ねるほどの運は持ち合わせていないはずだ。

 松代羅ケンがため息をつくと、淹れたてのコーヒーはふわりと香った。


 ベランダから見える街の景色は、レゾンデートルだとかメメントモリだとかをかき混ぜて作った感じがする。

 松代羅ケンは自分がそこに必要のない存在である気がしていた。

 だから飛びたくなる衝動に抗っている。

 でも世界はぐにゃぐにゃとしていて、松代羅ケンはその中に落ちていくのもゾッとしない。


 世界が歪んでいるのは自分の罪の所為であるかは別として、少なくとも親が狂っていくのは自分の罪の所為である

 そのくらいの自覚はある。

 孫のいない老人は狂っていくのだ。少子化の時代ともなれば、狂った老人ばかりと言う事になる。

 そうなれば世界はぐにゃぐにゃと歪な形になっていく。


 松代羅ケンはやめた煙草に手を伸ばしながらそんな事を考えていた。

 松代羅ケンに子どもがいないのは、彼に病気があるからだ。

 でも彼の両親が松代羅ケンの17番染色体を破損したのは故意では無い。

 たまたま破損してしまっただけだ。

 それは偶発的なエラーであり、しかしその瞬間に松代羅ケンの孤独が決まっていたとも言える。


 松代羅ケンが子孫を残そうとした時、彼の子どもの17番染色体を破損する確率は50%で約束されている。

 そしてその破損は頓服や注射ではどうにもならい。

 産まれた子に罪は無いが、病気が遺伝すると知っていて産んだ親には罪がある。

 だから松代羅ケンは孤独を選んだ。

 側室を必要とする程の家筋でも無いし、気楽なものだ。

 別にそれで構わなかったし、それを寂しいと思ったりもしなかった。

 親を恨む気持ちも無い。

 仕方の無いことと諦めている。


 だからどう生きてどう死ぬかは自分で決められる。

 松代羅ケンがやめた煙草に手を伸ばしたのもそれが理由だ。

 禁煙してまで生き続ける理由は無い。

 子どもが産まれた同級生たちは、あまり自身を省みなくなった。

 そう言えば最近は少し太ったな、などと言って笑う。

 その顔が光を放っている。

 つまり、子孫とは光なのだ。

 その光を絶やさない為に生きるのだし、その光の中で死んでいくのだ。

 だから松代羅ケンのように子どもを持たないと決めた人間の人生は、とても身勝手だし薄暗い。


 甥だとか姪だとかにその代打をさせるのは歪だと言う自覚くらいはある。

 それがせめてもの救いであるとも、松代羅ケンは開き直っていた。

 だから光を無くしつつある松代羅ケンの両親が、闇に怯えて少しずつ狂っていくのも仕方ないと思っている。

 そして自身も最後は暗闇の中で死ぬのだと、松代羅ケンは思っている。


 松代羅ケンは短くなった煙草をベランダの排水口に向かって投げた。

 赤い仄が光がくるくると回る。

 沈みかけた満月がまだ明るい。

 この部屋が高層階では無くて良かった。


 手の中にあるコーヒーはもう冷たくなっていた。

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