随筆集Ⅱ 特殊部隊
アメリカの同時多発テロ事件があってから、特殊部隊という言葉がテレビや新聞の報道で良く使われている。元自衛官の私は、この言葉を聞くと20数年前に体験したことを思い出す。
当時、20代後半の私は、日本の特殊部隊の原型となるレンジャー部隊の訓練に参加していた。訓練はいろいろあったが、特に記憶に残り忘れられないのは、「捕虜の救出」訓練である。
大寒を過ぎたばかりの頃、房総半島の一角で「48名のレンジャー隊員」は上官からの任務を伝達された。
「A高地に捕虜となっている要人3名を無事に救出せよ」
というものである。
そのため今夕、A高地より直線で27キロメートル離れたF高地までヘリコプターで移動しそれより先は徒歩でA高地まで行き4日目の未明、救出してA高地から友軍のヘリで帰還するという計画である。早速身支度を整えてへりに乗り込む。
着陸地点のF高地には、へりが着陸できる安全な場所の確保が難しいのと時間の短縮のため、ロープを使い地上20数メートルの位置から降下する。
先頭は私である。
へりの扉が開き、入り口下の横パイプに両足をのせ、腰のカラビナにつながるロープを左手前に右手を腰の後ろに握り締めた。頭上からの激しい風圧と爆音で、いやが上にも全身に緊張が走る。
指揮官の合図で左右2名ずつすばやく降下する。
大地に吸い込まれるように降下するのは、意外と爽快感がある。
着陸後は、指揮官のコンパス」と地図のみで前進する。
千メートルを越える山々を避けながら、山道を避け隠密裏に行進する。
いくつ峰を越えただろうか?
いくつ谷を渡っただろうか?
不眠不休、そして空腹のため、だれも憔悴し切っている。
2日目の夜半、前方左の山の斜面から突然機関銃射撃を受けた。
咄嗟に道の両側に飛び込んだ。
私はからだにまきつけた機関銃の弾薬ベルトの重さの為、雑草の上を滑ってしまい、あわてて右手で木の枝を握るとそのまま宙ずり状態になった。
左手は銃をもっている。
絶対絶命だ。
あたりは真っ暗で何も見えない。
ただ足元の遥か下のほうからは谷川のせせらぎの音が聞こえてくる。
友軍の機関銃音がして敵を撃退したのはそれから数分後であった。
カンパン4食分と水筒の水のみでの昼夜の行進は、1日、1日の疲労が重なり厳しさを加えていく。特に深夜は睡魔との戦いである。
山の険しい小道を、いねむりをしながら、障害物を上手に避けて歩けるのは不思議なくらいである。安全な道ほど安心して油断することを知った。
突然、
「わぁー」
という叫び声が谷に木霊した。
教官が「状況中止」を告げる。
皆心配そうに谷底を覗き込むが、暗くて何もみえない。
「オーイ。オーイ大丈夫か」
「オーイ、ここだ~」
声がかえってきた。
皆、ホッとひと安心する。
教官がひとりロープを使って滑るように谷底に救助に降りていった。
全員待ち構える中、教官が、隊員を無事救出して戻った。
崖の途中の2、3本の潅木に引っかかり、助かったと言う奇跡を喜び合った。
不眠、不休が3日もつづくと考えられないことがおこる。
「うしろから番号」
班長の命令で番号がもどる。
「11,12,13,14」
「14番」
どうした3名足りないじゃないか?
不明の3名を探す為1つの班が、全員後退を余儀なくされる。
深い斜面の谷を這い上がり、崖を木の枝や蔓につかまって1時間半ほど戻ったところで3名を発見。
なんと、3名とも3時間近くたったまま、眠りつづけていたのである。
このころになるとほとんどの隊員の足の血豆がいくつもつぶれ、やぶれた血豆の中にまた血豆ができていた。半長靴の底が破れて剥がれたが、山中では予備はなく、そのまま行進しなければならない者もいた。
薄暮になって漸く雑木林越しにA高地が見えてきた。
背後の崖の上にカラスがとびかっている。
明日の未明あそこを攻撃するのだ。
全員空腹と睡眠不足で、疲労の度合いは極限に近い。
そんなときに聞くカラスの声はあまりにも悲しく聞こえた。
最後の指揮官は、私の担当になった。
深夜に敵情偵察の為、沢を下り単身でA高地の前面の20メートル程の切り立った崖を這い上がると、目の前に靴が1足並んでいる。
いや靴が有るのではない。
靴を履いた兵士が目の前にたっていたのである。
敵の人数と配置、捕虜の位置などの、情報を元に作戦をたてる。
「AM3:00」
私の合図の銃声1発で、左右から1斉攻撃し、後方から救出班がロープを使って降りて救出した。
敵を撃破して、広場で友軍のヘリをまった。
朝焼けの空に爆音を立てて近づいてくるへりに全員が泣いた。
特殊部隊に相当する訓練は今も続いていることだろう。しかし実際につかわれることなく、あくまで訓練で終わって欲しいと願っている。
2002年1月12日




