第九話:来訪者
森を抜けた瞬間、柔らかな陽光が降り注ぎ、空気が甘く変わった。
そして、その光の中に、俺の“天使”がいた。
「にいさま! おかえりなさい!」
リオが満面の笑みを浮かべ、両手を広げて駆け寄ってくる。
銀糸のような髪が風に踊り、光を弾く。瞳は翡翠色にきらめいて、まるで天上の湖を閉じ込めたみたいだった。
ああ、これが“天使の微笑み”というやつか。
ありがとう世界。俺もう少し頑張れそうです。
俺は思わずその小さな体を抱きとめ、腕の中に包み込む。
軽くて、温かくて、信じられないほど柔らかい。
リオの髪が頬をかすめるのが少しくすぐったい。
「ただいま、リオ。お出迎え、ありがとう。」
「ふふふ、にいさま、そろそろおやつのじかんです! いっしょにパーティーをしませんか?」
甘やかな声が耳をくすぐる。
わたがしのような笑顔。砂糖菓子よりも柔らかい誘い。
これを断れる兄がいるなら、そいつは兄じゃない。いや、人間じゃない!
「もちろん、僕のお姫様。」
そう言って笑うと、リオは嬉しそうに目を細め、俺の手をそっと取った。
その指先は春風みたいに温かくて、世界が少しだけ優しくなった気がした。
導かれるままに歩けば、そこはまるで絵本の中の庭園だった。
咲き誇る薔薇が風に揺れ、光が花弁の上で踊る。
中央に佇む白亜のガゼボは、まるで祝福を受けた神殿のようで——
その下には、リオが飾りつけた小さなパーティー会場が広がっていた。
テーブルには色とりどりの菓子が並び、湯気を立てる紅茶からは上品な香りが漂う。
そのすべてが、幼い手で一生懸命に整えられた跡を残していた。
小さな花弁の飾り。リボンの結び目。
一つひとつに「にいさま、喜んでくれるかな」という想いが詰まっているのが分かった。
「にいさま、おきにめしましたか?」
リオが、期待と不安を混ぜた瞳で見上げてくる。
あぁ、この瞬間を宝石箱に閉じ込めておきたいくらいに尊い。
やっぱり、カメラの開発は急務だな。こんな尊い光景を残せないのは人類の損失だ。
「もちろん。とても綺麗で、素晴らしいね。ありがとう、リオ。」
頭を撫でると、リオの頬がほんのり桜色に染まる。
その仕草がまた愛おしくて、思わず息を呑んだ。
照れ隠しのように俺の手を引くリオが、ぱっと花が咲くように笑う。
「さぁ、にいさま、パーティーにしましょう!」
その声が響いた瞬間、世界が色づいた。
鳥たちが囀り、風が優しく頬を撫でる。
薔薇の香りと紅茶の香りが混ざりあい、パーティーが始まった。
「おいしいですね、にいさま!」
天使が、小さな頬いっぱいにマカロンを頬張っている。
(かんわいいいいいいい!!!!!リスみたいだ!めちゃくちゃかわいい!!)
思わずその姿を見て悶えそうになるが、我慢する。
(流石に、リオの前で醜態を晒すのはよくない!変態とか言われた日には首を括る自信がある!)
「にいさま、しぶいおかおになってますよ。はい、あーん。」
(待って、リオ、それはときめき不可避!!!!ちょっとまって、まだ、心の準備が!!!!)
でも、これ食べなかったら、リオ悲しむよな…。
覚悟を決めろ、俺!男だろ!
意を決して口を開ける。
「おいしいですか?」
(味わかんねえええええええ!!!心臓が暴れてる!!!)
「う、うん、美味しいよ。」
(言えた。笑えた。俺、偉い。)
そのあともリオは「これもどうぞ」「こっちもおいしいですよ!」と天使スマイル全開で菓子を差し出してくる。
(はい、かわいい。はい、心臓限界。はい、魂が昇天。)
……この子の笑顔を守るためなら、国ひとつ滅ぼせる気がするな。
そんな幸福と恐怖の中、俺の脳内が糖度で溶けかけていた、その時——
ドタドタドタッ!!!
「坊ちゃまァァァァ!!!!至急、応接間までお越しください!!旦那様がお呼びです!!!」
カルヴァンが来た。顔が真っ青、息も絶え絶えで。
「カルヴァン!? だ、大丈夫なの!?」
リオが慌てて駆け寄る。
「し、シド・ノワール・アストレア様がお越しになられましたッ!!」
(……は?)
(……いや、早くない????)
(俺、花切ってからまだ三時間も経ってないんだけど!?!?)
紅茶が震え、リオがきょとんと首をかしげる。
ああもう、そんな顔しないで。
兄、これからめちゃくちゃ怒られる気しかしないから。
「に、にいさま? どうしたの?」
「……ちょっとだけ、世界が終わる予感がしただけだよ。」
——甘いお茶会は、修羅場の予感で幕を閉じた。
(行きたくない、行きたくないよぉぉぉおおおおおお!!!!!!)
心の中で泣き叫びながら、俺は重たい足を引きずって廊下を進む。
足音が地獄のカウントダウンみたいに響く。
例えるなら——長期休み明けの始業式。
いや、ゴールデンウィーク明けの出社。
もはや断頭台に向かう囚人。
(あれだよな、絶対怒られるやつ……!)
これ絶対死刑宣告だって!! でも、ずっとウジウジしていても進展はない。
「覚悟を決めるか……!」
俺は自分を奮い立たせるように呟き、扉を三回ノックした。
——コンコンコン。
「し、失礼します……。」
ギィィ、と重い音を立てて扉が開く。
部屋の奥では、父上が机越しに誰かと向かい合っていた。
そして、その相手が顔を上げた瞬間——
(わあああああああああ!!!!!!!!)
(シド・ノワール・アストレア!!!!!!生で見たら破壊力えぐい!!!!)
光を受けて輝く若緑の髪。
透き通るようなラベンダーの瞳。
柔らかな笑み。
あれは人間の造形じゃない。絵画。
(なんだこの美貌、罪深ぇぇぇ!!)
「はじめまして、アレクシス・ロベリア・エルフェリアと申します。」
深く礼をする。声が震えた。いや、これは仕方ない。人間相手じゃない。
「はじめまして。私はシド・ノワール・アストレアです。よろしくね。」
微笑まれた瞬間、理性が粉々に砕けた。
(あっぶね、魂抜けるとこだった!!!)
見惚れてぼんやりとしていたその時。
父上が優雅に紅茶を一口すすり、静かに言った。
「さて、本題に移ろうか。」
(あ、嫌な予感が……)
「アレク、なにかシド侯爵令息に“送った”かい?」
部屋の空気が、凍った。
(……えっ、送った? 送った、って……)
(…………あ。)
脳内で、ひときわ鮮烈に蘇る映像。
——切り落としたモルス・アルラウネの花びら。
——魔欠病の原因となる、超・危険指定植物。
——「まぁ、なんとかなるか!」とか思って封筒に詰めて送った俺。
(ああああああああああああ!!!!!!それえええええ!!!!!!)
「……あの、アレクくん。」
シドがやさしく微笑む。
(えっ、怒ってない? ワンチャン許された?)
「どうして私に、あんな危険なものを送ったのかな?」
(ぜんぜん許されてなかったァァァァァ!!!!!!!!!)




