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第七話:モルス・アルラウネ

腐った果実のような、甘すぎる香りが鼻を焼く。

喉の奥がじわりと痺れる。空気そのものが濃く、重く、どこか腐敗している。

耳を澄ませば、グチュグチュ、グチュリと、

まるで蕾の中で無数の虫が蠢いているかのような音が微かに響いていた。


「……っ」


吐き気を堪えて目を凝らす。

そこにあったのは——七色どころではない、見る者の脳が拒絶するような色彩を幾重にも重ねた“蠢く蕾”。

赤とも紫とも言えず、角度を変えるたびに色が変わる。

まるで、見ているこちらの“心”を喰っているかのようだ。


森の空気がざわめいた。

風が止み、鳥が鳴き止む。

そこだけ、世界が腐り始めている——そんな錯覚を覚えるほどだった。


(リオは一体これのどこを綺麗と判断したんだろうか…。いや、まぁやばい植物だって知ってる俺が見てるからこんなに気持ち悪く思えるのかもしれないけど…。)


「坊ちゃま、これは……一体……」


カルヴァンの声が低く震えた。

普段、どんな物事を前にしても眉一つ動かさない老執事の顔が、かつてないほどにこわばっている。

だが無理もない。

目の前にあるそれは——生物とも植物とも言えない”災厄”だ。


「……アルラウネの一種、だと思う。だけど、突然変異してる。相当、危険だ。」


言葉を選んだ。

“モルス・アルラウネ”という名は、まだ出さない。

この世界でその名を知る者は、いない。下手に口にすれば混乱と猜疑心が生まれる。


カルヴァンの 灰色にくすんだ眼が鋭く細められた。


「坊ちゃま、これは……早急にどうにかしたほうがよろしいのでは?」


腰の剣に手をかけながら、カルヴァンが問う。

冷静に、しかし慎重に物事を運ぼうとしているのが分かる。


「なんとかしたいけど、方法がない。」


俺は周囲の空気を確かめながら答えた。

花粉はまだ飛んでいない。魔力の吸収も始まっていない。蕾の段階——つまり、今がギリギリの安全圏。


「カルヴァン。空気をできるだけ通さない袋と、小さめの剣を頂戴。」


カルヴァンは一礼し、例の“異空間収納カバン”から短剣と厚手の革袋を取り出した。

短剣は飾り気のない、しかし見惚れるほど整った造形をしていた。

刃の中央には薄く光の筋が走り、冷たくも神聖な気配を放っている。


「……結構、重いね。」


思わずぼやく。

子供の腕にはやや不釣り合いな重みだ。

だが、カルヴァンはふっと微笑んだ。


「ええ。ですが、坊ちゃまならすぐに扱えるようになりますとも。」


(信頼が重い……。)


小さく息を整え、短剣を構える。

蕾の脇に狙いを定め——


サシュッ。


薄皮を裂く。

途端に、粘ついた液体が刃にまとわりつき、焦げた砂糖のような匂いが立ち上る。


「うぇっ……これ、絶対毒性あるでしょ……!」


それでも、何とか蕾の一片を切り取り、革袋の中に滑り込ませた。

袋の口をすぐさま縛り、封を結ぶ。

周囲の空気が、わずかに軽くなった気がした。


「……これを、シド・ノワール・アストレア様に送れる?」


「シド様、でございますか?」


カルヴァンが眉をひそめた。


「できますが……その、それは送っても大丈夫なものでしょうか?」


その目には純粋な心配が滲んでいた。


そりゃそうだ。こんな得体のしれない花を、自分よりも下とはいえ貴族に送るなんて正気の沙汰じゃない。

だが——俺の頭の中には、別の打算があった。


(まだ蕾の段階だし、魔力を吸う力もない。シドなら、もし危険と判断すれば全属性魔法で燃やせる。

それに……この件が王宮にあがれば、病を防げるかもしれない。)


シドと俺の違いはそこだ。無名の公爵令息と有名な全属性持ち侯爵家令息では、後者の方が信用される確率が高くなる。



「えっと……」


俺は紙とペンを取り出し、さらさらと書き始めた。


『この中身は突然変異したアルラウネの一部です。危険だと思ったら全属性の魔法を使って燃やしてください。

アレクシス・ロベリア・エルフェリアより。』


「これで、よしっと!」


一息ついて満足げに微笑む俺を、カルヴァンが“あからさまに心配そうな目”で見ていた。


「坊ちゃま……これで、本当に大丈夫でございますか……?」


「うーん、まぁ、大丈夫でしょ!」


あっけらかんと返す俺に、カルヴァンは無言のまま額を押さえる。

それでも、すぐに封を整え、丁寧に包んでくれた。

老執事のプロ意識って、ほんとありがたい。


(まぁ、もしシドが気付いて直で来てくれるなら、それはそれで大歓迎。リオにこの花の影響が及ぶ前に食い止められる。)


俺は袋をカルヴァンに預け、深く息を吸った。

森の腐った匂いが、まだ鼻を刺す。


(俺の天使リオと俺の平穏のためなら、どんなカードだって切るさ……!)


空を見上げると、雲の切れ間から光が差し込んだ。

奇妙なことに——その一筋の光だけは、モルス・アルラウネの蕾に届かなかった。

まるで、天がその存在を拒絶しているかのようだった。


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