第六話:違和感
「……さーてと、モルス・アルラウネの様子、見に行きますか」
呟いた瞬間、自分でも声が重く響いて驚いた。
気は乗らない。いや、できることなら一生見に行きたくない。
だが、放置するわけにもいかない。
見逃せば、取り返しのつかないことになる。
俺はため息をつきながら、外出用の上着に袖を通した。
鏡の中の自分が、ひどく弱気な顔をしている。
しっかりしろ!今後、もっと大変になるかもしれないんだ!こんなところで立ち止まってる場合じゃないだろ!
頬を一発強く叩く。
「よし!じゃあ行くか!」
「坊ちゃま、これからどちらへお出かけに?」
いつの間にか、カルヴァンが背後に立っていた。
嘘だろいつの間に居たんだ!?全然気が付かなかった!
声のトーンが一段低い。……完全に警戒モードだ。
「うん。ちょっと森まで行こうかと思って。気分転換も兼ねてね」
軽く笑ってごまかす。頼む、誤魔化されてくれ…!
だが彼は眉ひとつ動かさず、きっぱりと首を振った。
「では、この爺もお供いたします。」
……やっぱり、そう来るか。
「いや、大丈夫。一人でも行けるよ。近いし」
そう言いかけたが、カルヴァンの表情が“絶対に首を縦に振らない老人”のそれになっていた。
「坊ちゃま、ここはエルフェリア領内とはいえ、安心はできませぬ。
エルフェリア公爵家は大きく、敵も多い。油断なされますな。
ましてや坊ちゃまはまだお若い。万が一、命を狙う者が現れたらどうなさるおつもりです?」
ぐっ。ぐうの音も出ない正論。
「……それに、最近は“ノクス・ウィーム”が動いていると耳にしました。」
その名前が出た瞬間、空気が変わった。
ノクス・ウィーム——暗殺、放火、人身売買。犯罪という犯罪の裏に必ず影を落とす、最悪の組織。
貴族の暗殺依頼をも請け負う連中で、王国の衛兵でさえその実態を掴めていない。
(しかも、その幹部の一人が攻略対象者ゼクス・グランデなんだよな……。ノクス・ウィームNo.3でめちゃくちゃ強い…。)
元暗殺者で、暗い過去持ち。ヒロインと恋に落ちてハピエンルートでは組織を抜け、ヒロインと国外逃亡する青年。
個人的にかなり好きなキャラだ。が、今はそんな感傷に浸ってる場合じゃない。
「……分かった。じゃあ一緒に行こう、カルヴァン。」
折れるしかない。
けれど、念のためポケットの中から昨日描いた花のスケッチを取り出した。
「でも、カルヴァン。これを見て。この花を見かけたら、絶対に近づかないで。
見つけたら、すぐに逃げるんだ。これは約束だよ。」
「……承知いたしました、坊ちゃま。この老骨、命に代えてもその約束を守り通してみせましょう。」
その言葉に頷くと、彼は軽やかに部屋を出て行き、ほどなくして小さな旅行鞄を提げて戻ってきた。
「準備が整いました。森へ向かいましょう。」
森へと向かう道は、思ったより近かった。
陽の光が緑の葉の間を縫うように差し込み、鳥のさえずりが柔らかく響く。
一見すれば穏やかな、癒やしの風景。
「空気が美味しいね」
「坊ちゃまは長らく屋敷にお籠りでしたから。よい気分転換になりますな。」
「今度はリオも一緒に行きたいな。」
「きっとお嬢様も喜ばれますよ。」
カルヴァンが柔らかく笑う。
それだけで少し安心する——が、歩いて10分くらい立った頃からその表情は険しくなった。
「……坊ちゃま、少々妙なのです。」
「え?」
「普段に比べ、魔物の数が少ない。
いや、それだけではない。小動物の気配も薄い。まるで、森全体が息を潜めているような……」
(……やっぱり。もう、影響が出てる。)
モルス・アルラウネの影響範囲は半径数キロに及ぶとされる。
周囲の魔力を吸い尽くし、生命の気配を削り取る。
森全体が静まり返っているということは——すでに“侵食”が始まっている可能性が高い。
「カルヴァン、動物の気配がまだある方向は?」
「北東でございますな。」
つまり、モルス・アルラウネは反対の南西にある。
「……僕は、これから南西に行くよ。」
「……危険ですが、承知いたしました。」
カルヴァンは深く頭を下げ、背負っていた小さな鞄から、信じられないほど大きな剣を引き抜いた。
「!? ちょ、ちょっと待って!どうやってそれ入ってたの!?」
驚きで声が裏返る。だって、今の俺より長いぞそれ!
「この鞄には闇魔法がかかっております。亜空間——いわば異なる押入れのような場所と繋がっておりましてな。
見た目以上に多くの物を収納できるのです。」
「……どのくらい入るの?」
「そうですねぇ、この森くらいなら入るでしょうな。」
広っ!? 森まるごと!?
やっぱ魔法ってチートだな……。
カルヴァンは老体に似合わぬ鋭い目をして剣を構えた。
「いざという時は、私を置いて逃げてくださいませ。」
「いや、そんなことさせたくないけど……」
口ではそう言いながらも、胸の奥で不安が膨らんでいく。
この森のどこかに、“死を呼ぶ花”が咲いている。
(リオが描いたあの蕾が、もう花開いていたら……?)
背筋がぞわりと凍る。
それでも俺は足を止められない。
リオが無邪気に「きれいでしたわ」と言って笑っていたあの花が、
彼女の命を、彼女の両親の命を奪う毒になるなんて、絶対にさせない。
木々のざわめきの向こうに、空気の淀んだ気配があった。
生ぬるく、重く、息苦しい。
——この先に、いる。
俺は小さく息を吸い、目を閉じた。
そして、囁くように呟く。
「……さあ、行こうか。カルヴァン。」
風が一陣、森を抜けた。
花の香りが、ひどく甘く、そして恐ろしく匂った。りが、ひどく甘く、そして恐ろしく匂った。




