第一話:推しの兄になりまして
見覚えのない豪華なベッド。ふわっふわで、なんか知らんけどめちゃくちゃいい匂いのする毛布。
そして――胸元にはひらひらの服。目を開けた瞬間、俺は悟った。
ここ、完全に異世界だ。
「……って、そんなラノベの冒頭みたいなことあるかあああああ!!!!!!」
反射的に絶叫する。無駄にだだっ広い部屋には俺のものではない美声が響いた。
目の前の光景は、どう見ても現実離れしている。
煌びやかな天蓋付きベッド。外からは優雅に鳥の声。
どこにもエアコンもコンビニも見当たらない。おかしいな、俺さっきまでコンクリートジャングル、日本に住んでいなかったか?
「いや、待て。冷静になれ俺。一ノ瀬明、24歳。
昨日まで普通にバイト行って、ゲームして、あれ?その後どうしたっけ?なんで異世界??」
周囲を見回す。見覚えのない家具。
バカ高そうな 絵画。編み目の細かいカーペット。無駄にキラキラした装飾。
…どう考えても庶民の部屋じゃない。
「……異世界転生、確定だな。」
なんかもう、悟りの境地に達した。まぁでも、クヨクヨしても仕方がない。
「オッケー、まずは現状確認。
性別……おっけー、男。ついてる。よし。次、鏡! 俺がどんな顔になってんのか見てみよう。イケメンだといいな〜!」
部屋を物色し、引き出しを開ける。
一番上にあったのは、金縁のやたら豪華な鏡。
重すぎる。筋トレできるレベル。子供の部屋にあって良いもんじゃねぇ。
小学生くらいの小さな手でやっとのことで持ち上げた。
「さてと……お、おおおおい!? この顔、見覚えありすぎだろ!!」
鏡の中の少年――紫水晶みたいな切れ長の瞳。
大理石のように白い肌に、濡羽色の黒髪。
冷たさと上品さを併せ持った完璧フェイス。
「これ……『ロゼリアの恋鐘〜星の乙女〜』の……
アレクシス・ロベリア・エルフェリアじゃねぇかああああ!!!!」
再び、俺のデカい声が部屋に響く。あまりの驚きに少し声が裏返ってしまった。
まさかの推しキャラ兄ポジに転生!?!?!?
アレクシス・ロベリア・エルフェリア。
それは俺が前世でやり込んだ乙女ゲームに登場する俺の最推し、“悪役令嬢リオ”の兄だ。
リオはヒロインに敵対し、どのルートでも断罪される悲劇の令嬢。
兄であるアレクシスも、妹に巻き込まれて処刑される運命。
「……合法的に推しを摂取できるのは嬉しいけど、死にたくねぇな!!!!」
マジで運命が地獄。
リオはヒロインがどのルートに進んでも死一択なのだ。
どうすんだこれ……と頭を抱えていたその時だ。
――コンコンコン。
扉がノックされる。
入ってきたのは、清楚な雰囲気のメイド。
肩で切りそろえた髪、ピシッとした所作。
……うん、ガチで異世界だなこれ。
「失礼します、お坊ちゃま……え!? お坊ちゃまがお目覚めに!?
旦那様ー!!奥様ー!!お坊ちゃまが!!」
え、報告はやっ! 早口すぎる!
メイドは全力疾走で廊下を駆け抜けていった。
あっという間に部屋の外へ。
……そして、足音が増える。
ドドドドド――!!!
バッファローの大群か?と言いたくなるくらい派手な足音を立てている。
「アレク!! 目が覚めたのかい!?」
勢いよく入ってきたのは、白銀の髪に紫の瞳をもつ美丈夫。
その後ろには、黒髪に翡翠色の瞳をもつ美しい女性。
……たぶんアレクシスの両親だ。ゲーム内では一瞬しか出てこないし、影絵だったから初めてみた。それにしても美形だ。アレクシスやリオが美形なのも頷ける。
「アレク、ああよかった! あなた、三日も目を覚まさなかったのよ!」
母上らしき女性が涙ながらに抱きしめてくる。
助けて、初対面です俺。
「す、すみません……ちょっと記憶が混乱してて……えーと、お、いや僕、今何歳でしたっけ?」
咄嗟に“僕”って言い直した。アレクシスの一人称は確か“僕”だったはず。
父上(仮)は眉をひそめつつも優しく答える。
「君は今五歳だよ、アレク。
一つ下に妹のリオがいるが、覚えているかい?」
「ええ、もちろん。僕の妹、リオですね。」
その名前を口にした瞬間――
俺の部屋の扉から小さな女の子が顔をのぞかせた。
「……にいさま!」
――その瞬間、世界が光に包まれた気がした。
銀糸のように光を透かす雪色の髪。
柔らかな翡翠の瞳がきらきらと揺れ、頬にはうっすらと紅が差している。
ひらひらとしたドレスの裾が舞い、まるで春の妖精が駆けてきたようだった。
「……っ」
息が、止まった。
まごうことなき、悪役令嬢リオ・ロベリア・エルフェリア。
――天使だ。
いや、天使でも足りない。
目の前の存在は、それ以上の何か。
「にいさまっ!」
勢いよく抱きついてくる小さな身体。
ふわりと白い花のような香りが鼻をかすめる。
(っっっっかぁあああああわいいぃぃぃぃぃ!!!!!!)
心の中で叫びながら、俺は完全に固まった。
ゲームで見た17歳のリオも、今の四歳のリオも破壊力がある。天使。いや妖精。こんな子が17歳で亡くなるなんて、神は無慈悲すぎる!!!
「……どうしたんだいリオ?」
思わずその名を呼ぶ。
(やばい、かわいい。いや、ほんとに、かわいい。なんだこれ、罪か?)
白銀の髪に手を伸ばせば、ふわっふわで、指が沈むように柔らかい。
しかも、なんかいい匂いするし!!
「に、にいさま、くすぐったいです!」
くすっと笑って、頬を染めるリオ。
その笑顔に――心臓が、爆発した。
(こんな妹がいたら、そりゃシスコンにもなるだろ……アレクシスの気持ち、100%理解した。いや200%理解した!!)
……だけど、なにかが胸の奥で疼いた。
この瞳、この声、この笑い方。
「……弟?」
思わずつぶやいた瞬間、こめかみがズキンと痛んだ。
記憶の底で、あの日の光景が蘇る。
白い顔。閉じた瞳。もう二度と返らなかった声。
――玲央。
「にいさま……?にいさま!!」
リオの声が遠くなる。
その小さな手が俺の頬に触れた感触を最後に、視界が真っ白に霞んだ。
次に目が覚めたのは、茜色の光が部屋を染める頃だった。
天蓋の隙間から差し込む夕陽が、金糸のように揺れている。
どこか温かい――まるで夢の続きのような光景だ。
「……ん?」
ふと、脛のあたりに重みを感じた。
視線を落とすと、そこには――天使が寝ていた。
ふわふわの雪のような髪が、茜色の光を反射してほのかに輝いている。
長い睫毛の下で、翡翠の瞳は穏やかな眠りに沈み、
小さな手が俺の服の裾をぎゅっと握っていた。
そのあまりの可憐さに、胸の奥がぎゅうっと締めつけられる。
(……かっっわいいいい!!!!)
叫び出したい衝動をどうにか押し殺しながら、思考が暴走する。
(俺が倒れたあと、ずっと……ここで待っててくれたのか?
そんな……そんな健気なことある!? 天使か!? いや、天使だな!!)
嬉しさと罪悪感がごちゃまぜになって、胸がどうしようもなく熱くなる。
「リ、リオ。起きて。服にシワがついてしまうよ。」
そう声をかけながら、そっと肩を揺する。
「ん……にいさま? にいさまだぁ……」
まだ夢の中のように、ぼんやりとした声。
トロンとした瞳をこすり、小さなあくびをする仕草が――
もう、犯罪級に可愛い。
(やばい、動くたびに可愛い音が出てる。天使が呼吸してるだけで尊い現象発生してる。)
「おはよう、リオ。よく眠れたみたいだね。」
優しく微笑みかけると、リオはぷくっと頬を膨らませた。
「にいさまがいきなりねむってしまったんですもの。びっくりしてしまいましたわ。もう、にいさまのばか! しんぱいしたんですからね!」
その頬には――涙の跡。
小さな身体で、必死に泣きながら俺を呼んでいたのだと思うと、
胸の奥がきゅうっと痛くなった。
「ごめんよ、リオ。もう大丈夫だ。元気になったからね。もしよければ父上と母上を呼んできてくれるかい?」
そう言って頭を撫でると、リオは小さく笑って、嬉しそうに目を細めた。
それだけで世界が平和になる気がした。
「ひとづかいのあらいにいさま! でも、いいわ。お父様とお母様をよんできます!」
そう言い残して、ひらりとスカートを翻し、ぱたぱたと廊下を駆けていく。
白い髪が光を反射して、まるで天使の羽のようにきらめいた。
「……はぁ、リオが二人を呼んでいる間に、少し頭を整理しようか。」
ベッドにもたれながら、深く息をつく。
まず俺。
一ノ瀬明は アレクシス・ロベリア・エルフェリアに転生した。
転生先は、乙女ゲーム『ロゼリアの恋鐘〜星の乙女〜』の世界。
魔法と貴族が支配するロゼリア王国。星の乙女として選ばれた少女は学園で攻略対象者達と恋に落ちる。彼女の前に立ちはだかる悪役令嬢たち——華やかな舞踏会、禁断の恋、そして“星の鐘”が鳴る夜――
乙女の選択が、王国の未来を変える。
というあらすじの王道乙女ゲームだ。
しかも俺が転生したのは、作中でもっとも救いのない立ち位置――
悪役令嬢リオ・ロベリア・エルフェリアの兄。
ゲーム内でのアレクシスは、ロゼリア王国の公爵で冷酷無慈悲、クールで無愛想と言われたキャラだ。
どんなルートでも妹と一緒に処刑されることで有名な、いわゆる“バッドエンド常連キャラ”。
続編『ロベリアの恋鐘〜白銀の断罪〜』ではメインキャラクターに昇格し、
その悲劇的な過去が明かされたが、やっぱり最終的には死ぬ。
どのルートでも、例外なく。
(……なぁ、誰か助けてくれねぇかな?俺、よりによって死ぬ運命確定のキャラに転生ってどういう仕打ち?)
さて、次は俺の弟。
一ノ瀬玲央 享年17。
俺の自慢の弟だった。
優しくて、気が利いて、顔も整ってて。
正直、兄の俺よりもずっと“出来た人間”だったと思う。
俺がこの世界に来る前の日も、玲央は俺にこう言っていた。
『兄ちゃん、”ロゼリアの恋鐘最新作でたよ!帰ったら一緒にプレイしようね!”』
――まさか、自分がそのゲームの世界に転生するとは思ってもみなかったけどな。
死因は…
(……あれ、弟の死因が思い出せない。なんでだ?)
喉の奥がきゅっと締めつけられるような感覚。
頭の中が靄がかかったみたいに、どうしても思い出せない。
ただ一つだけ、胸の奥に焼き付いている。
よくわからない痛みだけが。
そして最後に、
俺が今この世界で守るべき存在で最推し。
リオ・ロベリア・エルフェリア。
乙女ゲーム『ロゼリアの恋鐘〜星の乙女〜』の悪役令嬢にして、
――アレクシスのたった一人の妹。
雪のような白髪、翡翠の瞳。
冷たく、完璧で、誰にも弱みを見せない少女。
ファンの間では“氷の公爵令嬢”なんて呼ばれてた。
……人気は絶大で彼女が主人公の続編が作られた。
どのルートを選んでも、断罪され、最後は処刑台の上で散る。
その悲劇が、プレイヤーの心を焼き付けた。
続編『白銀の断罪』では彼女が主人公になり、
「なぜ悪役にならざるを得なかったのか」が描かれる――そんなキャラだ。
(けど、今のリオは違う。)
まだ五歳のリオは、表情がころころ変わる。
笑って、怒って、泣いて、甘えて。
俺が知っている“氷の令嬢”とはまるで別人だ。
理由はわかっている。
――両親がまだ生きているから。
続編で描かれていたリオの悲劇は、両親の死から始まる。
だから今の彼女はまだ、世界に裏切られていない。
まだ、“心を閉ざす前”のリオなんだ。
(よし、整理完了。)
今の状況をまとめると――
世界は『ロゼリアの恋鐘シリーズ』。
転生先は死亡率100%の悪役令嬢の兄。
妹も100%断罪からの死刑ルート確定。
弟は前世で死んだ。
俺はその両方を抱えてる。
……笑えねぇ。難易度が高すぎる。でも、俺は決めた。
今世の目標は三つ。
1、生き残る。
2、リオを生き残らせる。
3、リオを害するものは、誰であろうと俺が潰す。
ただ生きるだけじゃダメだ。
リオは――弟は――“幸せ”にならなきゃ意味がない。
(前世で守れなかった弟。今世で出会った妹。
たとえ運命が決まっていようと、俺がぶち壊してやる。)
目指すのはただひとつ。
――ハッピーエンド、ただそれだけだ。
「上等だ。ぶっ壊してやるよ、異世界…!」




