悪霊と蔑まれた令嬢が幸せになるまで
リリヤ・コホルネン子爵令嬢との初対面の日を、ルートヴィヒは一生忘れないだろう。
どんよりとした曇り空の日、ルートヴィヒは婚姻の話を進めるため、コホルネン子爵家屋敷を訪れていた。
リリヤの両親は、婚約の話を持って来たルートヴィヒを歓迎してくれたのだが、どこか笑顔がぎこちなかった。それどころか、両親とリリヤの間にはどこか他人めいたよそよそしさがあり、ルートヴィヒは違和感を覚えた。
それでいて両親はリリヤを、文字通り売り込むのに必死だった。
いかに自分たちの娘が高等な教育を受けてきたか、気立てが良いか、健康な女性であるかを、代わる代わるまくし立てた。
まるで売れ残った品をどうにか捨て値で処分しようとしている商人のようにさえ見えた。
こちらからお願いしに来た立場だというのに、ここまでの熱量で来られたらルートヴィヒも身構えてしまう。
しかし何より彼の印象に残っているのは、かの令嬢の挙動不審な態度だった。
リリヤの顔は長い前髪に半分隠れていて、髪の間から肉食獣の様子を伺うウサギのような瞳でルートヴィヒを見つめてくる。
彼が何か話しかける度に
「ふひ、ふひひ」
と不気味で微妙な笑顔を浮かべた。
ルートヴィヒと目が合うと露骨に目を逸らし、また歪に頬を釣り上げて「ひひひ」と笑う。魔女か奇人のようであった。
恐らくあれ愛想笑いだったのだと思い至ったのは、ルートヴィヒが馬車で帰路につく時だった。
これがあの、悪名高きリリヤ・コホルネンなのか?
彼女の振舞いは社交界でまことしやかに囁かれる、あの噂とある意味一致しているようだった。しかし、全く異なっている気もする。
兎にも角にも話はまとまり、灰燼の魔法使いの異名を持つルートヴィヒ・ハイゼンベルクと、『悪霊令嬢』と呼ばれるリリヤ・コホルネンとの仮婚約の話がまとまった。
ほどなくしてリリヤはハイゼンベルク家の城にやって来た。
*****
ルートヴィヒはハイゼンベルク公爵家の次男として生まれた。
彼の詳しい生い立ちは割愛するが、昔から魔法にも武芸にも抜きんでていた。
その有り余った力を持ち、国境で頻発していた魔王軍の被害を食い止めるべく、16歳の時戦地に赴くと、それはそれは目覚ましい活躍をした。
炎魔法で敵をまるごと焼却し、灰にしてしまうことから『灰燼の魔法使い』と呼ばれるようになった程だ。
魔物の被害があらかた収まると、国王から侯爵の爵位と莫大な褒賞を受け取ることになった。
時を同じくして、実家から一通の手紙が届く。「ファリス地方の統治をお願いしたい」というのだ。
ファリス地方は山岳地帯にあり、以前は要衝として、城とそれを囲むように町があったが、今は荒廃しているはずだった。
この期に及んで面倒事を押し付けるのかと、ルートヴィヒは少しうんざりしたが、読み進めると、何とファリスの山で貴重な魔石の鉱脈が見つかったらしい。とてつもない資産価値だという。
しかも、統治が出来るのならば、利益は全てルートヴィヒが管理して良いと言う。
ルートヴィヒは金遣いが荒かったわけではないが、この提案を嬉しく思った。やはり父上も、自分の活躍を嬉しく思っていてくれたのだと。
早速ルートヴィヒはファリスの町、ファリスリアに向かった。
町は活気にあふれていた。
坑夫や、坑夫相手に商売をする商人も沢山いた。
山岳地帯にあることとや、元城塞都市だった名残から、独特の街並みが広がり、真新しく感じられた。「この街を自分が統治するのか」と考えると、嬉しくもあり、身も引き締まる思いだった。
しかし彼がファリスリア城に着くと状況が一変する。まず城の広さに対して使用人の数が極端に少ない。それも人生の酸いも甘いも経験しきったようなメイドが5人と、棒きれのような執事が一人のみ。
出迎えてくれたのは叔父だったのだが、涙を流しながら「変わってくれてありがとう」と言うのだった。
彼の話を聞いて、ルートヴィヒにもようやく状況が見えてきた。
どうやら、この城はいわゆる「出る」城なのだ。
誰もいないはずなのに人の気配がしたり、夜な夜なうめき声が聞こえたり、物がひとりでに飛び交い、けが人が出たりした。
そんな城で働きたい人間など居るはずもなく、使用人は減り続け、城主の叔父もノイローゼになってしまった。
「幾ら莫大な富が得られるからといって、私はもうこんな場所に居たくない」
そんな言葉を残して叔父は去った。
ルートヴィヒはそれまで幽霊の存在というのをまるで信じていなかった。しかしその日の夜に金縛りにあい、部屋の机が倒れ、人のものとも獣のものとも付かないうめき声を発する存在が、じっとルートヴィヒをを睨みつけていた。
一夜明けても、足の無い人間が廊下を横切ったり、地震でもないのに食器がカタカタと震えたりして、彼は一気に「霊はいる」派に加担することになった。
厄介なのは、その霊なるものが魔法でどうにも出来ないことだった。魔法が効くのなら、炎魔法で一掃するのだが、そういうわけにもいかない。
しかしルートヴィヒは軍人だったこともあってか、幽霊を必要以上に怖がらなかった。
「怖がらなければ居ないのと同じ。問題はない」と取り合わなかった。
困ったことは、別にあった。
先ず、全く使用人の数が足りていないということ。
城も広ければ庭も広い。けれど庭師はいない。庭の手入れには兵士を駆り出し、時にはルートヴィヒ本人が参加せざるを得ない時もあった。
そして何より、嫁が来ない恐れがあるということだった。この地方はハイゼンベルク家にとって、まさに金の生る木。決して失ってはならないエリアだった。
他の親族たちは幽霊を恐れて統治を嫌がった。今はルートヴィヒも無事に過ごせていても、いずれ寿命には勝てず死ぬことになる。
そうすればここは再び無人の城となってしまう。
では別に屋敷を立ててそこに住めば良いのでは。というのは一番最初に思いつくアイデアだが、それは既に叔父が試していた。結果、その新築した屋敷でも同じように怪奇現象が起こった。
理由は分からないが、どうやら幽霊たちは、このファリスリアに住むハイゼンベルク家の人間を目の敵にしているようなのだ。
話が逸れたが、こうしてルートヴィヒの婚約者探しが始まった。ルートヴィヒはこのオルレシア王国では英雄的な扱いを受けていて、いわゆる有名人だった。富も名声も得た存在だ。
くわえて彼の端正な顔立ちは、それだけで見る者を虜にしてしまう美貌だった。その貫くような赤い瞳で見つめられると、どんな令嬢も恋に燃え上がらせるような情熱を秘めていた。
しかしルートヴィヒは女性に多くを求めないことにした。こんな辺鄙な場所で、しかも幽霊が大量に出る城で暮らしたい女など0に等しいと思ったからだ。
結婚条件は「子を成す気がある」「心霊現象に耐性がある」この二つだけだった。
ルートヴィヒの予想に反して多くの応募があった。釣書は積み上がり、全て目を通すのも難しいほどだった。
ルートヴィヒは簡単な経歴を精査した後、一人づつ、城に招いた。そして
「本当にここの生活に耐えられるかどうか、1か月様子を見させて下さい」
と全ての令嬢に宣告した。
しかしこの試験には1人1か月も必要なかった。
彼女達の半数は二日目までに逃げ出し、1週間耐えた令嬢は一人も居なかったからだ。
「やはり、こんな場所に嫁ぐ令嬢など居ないのか」
殆ど諦めかけていたルートヴィヒの元に「悪霊令嬢」の噂が届いたのはそんな時だった。噂好きのメイドが話していた。
何でもその女、リリヤ・コホルネンはドーリア侯爵家に第二婦人として嫁いだにも関わらず、正妻を追い出すためにあらゆる暴力を講じた。夫が止めようとすると、特殊な力で霊を操り、ドーリア侯爵家に不幸を頻発させた。
耐えかねた夫、エンリコ・ドーリアによって、リリヤは離縁されてしまったという話だ。
聞いてみれば、彼女の噂は枚挙にいとまがない。
口をきくだけで不幸になる、ドーリア家の財産を狙って結婚した、狡猾でずる賢い、常に見えない何かと会話している、注意されると「呪う」と脅してくる、悪霊をばらまく、などなど。
かくして彼女は悪霊令嬢の名で呼ばれるようになり、僻地の使用人ま知るでに、悪名は轟くようになったというわけだ。
ルートヴィヒは彼女に婚約の話を持ち掛けてみようと思った。既に城は幽霊まみれなのだ。この後何体か増えたところでそう変わらない。
こうしてルートヴィヒは自分の城と立場、そして嫁を欲しがっている理由についてよく説明した。その上で、もし来てくれるのなら、正妻として、侯爵夫人として、出来うる限りの待遇をするとも。
結果は知っての通り。縁談は拍子抜けするほど、あっさりまとまった。
一週間後には、彼女は僅かな荷物のみを伴って、ファリスリア城の戸を叩いていた。
彼女を迎え入れたことが、城内を激変させるとは、この時のルートヴィヒは思ってもみなかった。
*****
今は所謂トライアル期間とはいえ、リリヤはルートヴィヒの妻となった。
リリヤはやはり挙動不審で、キョロキョロと辺りを見回してばかりいた。緊張しているに違いない。ここは自分から話しかけなければ。
「リリヤ嬢、この城の来てくれてありがとう」
「こ、こちらこそ、私なんかを呼んでくれて、感謝いたします、ふひっ」
くぐもった声とは対照的に、彼女のこなすカーテシーは非常に優雅な所作だった。彼女の両親が言っていた「高等な教育を受けている」というのは嘘ではないのだろう。
その後もルートヴィヒは積極的に話しかけるのだが、会話が続かない。
「今日は晴れていて、天気が良いな」
「そ、そうですね。素晴らしいと思います」
「晴れの日が好きなのか」
「ひ、干からびてしまいそうになるので、あまり好きじゃないです」
「そ、そうか」
常時こんな具合だった。
「リリヤ、そんなに緊張しないで良いんだ。といっても難しいかもしれないが……少なくとも俺は君の味方だ。そんなに怯えないでくれ」
「す、すすすすすみまひひひひひ」
優しく言ってみても、彼女は壊れた時計のように返答するだけだった。
リリヤはルートヴィヒと話すとき、常に卑屈な笑みを浮かべ、悪さをした子供が親の顔色をうかがうような目で、じっと彼を見上げていた。けれど目が合いそうになると逸らしてしまう。
廊下でもすれ違う時、彼女はルートヴィヒを見つけると、慌てて柱の陰や部屋に隠れる。そして暗がりから、射るような視線をルートヴィヒに向けてくるのだった。
何だか人一人が増えたというより、意思の疎通ができる霊が一人増えたような感覚だった。
確かに彼女は陰鬱な闇の気配が濃い。だが今の所、噂の通りの邪悪かと言われれば首を傾げてしまう。それはこれからの生活で明らかになることだろう。
「ちょっと旦那様、聞いて下さいよ」
噂好きのメイドの一人が肩を叩いてきた。イザベラという女で、歳は50を超えている。他の使用人もだが、彼女も例に漏れずルートヴィヒにはこんな態度だ。
というか、こんなふてぶてしいおばちゃんじゃないと、この幽霊城ではメイドなんかやってられないのだ。
イザベラは口元をムズムズさせている。話したくて仕方がないらしい。
「どうした、息子が料理人をクビになったか」
「違います。奥様のことですよ」
いつもの世間話かと思えば違うらしい。ルートヴィヒは多少興味を持った。
「リリヤがどうした」
イザベラの語るところによると、廊下の曲がり角で、リリヤが誰かと話す様子を見たという。いかにも楽しそうに話すので、「あの人見知りの少女に、こんな短期間に打ち解ける人がこの城にいるだろうか」と思い、そっと近づいた。
すると、廊下の先には誰も居なった。
リリヤは一人で喋っていたのだ。
イザベラが声を掛けると、リリヤはさっと顔を青くして「み、見なかったことにして下さいぃぃぃ」と言い、普段のもっさりした動きからは考えられないほどの速さで逃げ去ったという。
「見えない何かと話していた」というのは、噂と一致する。
もし彼女が霊と話していたのだとしたら、そして、これ以上噂と合致するのなら、もっと霊が増えることになるのかもしれない。
翌日。ルートヴィヒが廊下を歩いていると、何やら視線を感じる。
振り返ると誰も居ない。いつものことだ。
そう思って前を向くと、すぐ目の前にドレスを着た女性が立っている。
直前まで何の気配も感じなかった。
流石にルートヴィヒも驚いて、後ずさりしそうになったが、直ぐにそれがリリヤだと気付いた。
「リリヤ嬢か。どうした?」
「じ、実は、その、ルートヴィヒ様にお願いが、ありまして。ひひっ」
リリヤはいつもの卑屈な笑みを浮かべ、ルートヴィヒの表情を伺っている。まるで無理やり笑わされているかのようだ。
「どうした? 出来うる限りのことはするよ」
ルートヴィヒは出来うる限りの笑顔で言った。その笑顔に安心したのか、少しだけリリヤの表情が和らぐ。
「へ、兵士さんと、お話、しました」
「うちの兵士と?」
ファリスリア城には兵舎があり、そこには常に10人ほどの兵士が常駐している。どうやら兵舎には怪奇現象が起こらないらしいのだ。
「い、いえ、その、幽霊さんと」
「つまり……兵士の幽霊ということか?」
「そ、そうですそうです」
リリヤは頭を何度も縦に振る。後ろ髪が宙を舞い、彼女の顔を完全に隠してしまう。
兵士の幽霊? 話が見えない。一体、兵士の幽霊とは何だろう。というか、彼女はさも自分が幽霊と話せることが当然のように言っているが、そんなことが出来る人間など、今まで見たことがない。
とは言え彼女が嘘をついているとも思えない。ルートヴィヒは先ずリリヤの主張を尊重することにした。
「その幽霊とはどんなことを話したんだ」
「取引……です……」
ルートヴィヒは息をのんだ。
取引という言葉に嫌な予感がした。
人ならざる者との取引というのは、物事が良い方向に進む感じが全くしない。
彼女のたどたどしい言葉をまとめると、ここに出ていた幽霊たちは、200年ほど前、城攻めにあった時、戦死した兵士たちだという。彼らは飢餓と怪我の痛みに苦しみながら、最後まで戦い抜いて、死んだ。
それにも関わらず、当時のハイゼンベルク家の当主は、城を、町ごと放棄してしまった。領地の拡大により、もうこんな山奥の城に居座る必要が無かったのだ。霊たちにとってみれば、自分たちは何のために死んだのかと、苦しみぬいたのかと思わずにいられなかった。
そして3年ほど前、魔石の鉱脈があると知って、ハイゼンベルク家の者が再び城に住み着いた。
幽霊たちは激しい怒りに見舞われた。今更、どの面を下げて来たのかと。
「『こいつらを必ず追い出してやる。ここは俺たちの城だから』と、皆さん、言ってました」
ルートヴィヒは驚いた。200年前、当時のオルレシア王国はまだ国としての結束が弱く、ハイゼンベルク家は隣の領主と領地紛争の真っ最中だった。
その際、戦略的要衝だったこのファリスリアは、確かに激しい城攻めにあった。城を奪われ、奪い返しの激しい攻防が繰り広げられ、おびただしい数の兵士が犠牲になったと伝えられている。
しかしその後、全く別の場所で、別働隊が敵地の本陣を切り崩したことにより、戦況が一変。講和が締結され、領地が拡大された。
最早この山奥の城は、長らく無用の長物となってしまったのだ。
これはルートヴィヒがハイゼンベルクの血を引く者だから知っている事柄だ。それを彼女が知っている理由は……。
「だから、わ、私、ルートヴィヒ様や、使用人の皆様をいじめないで欲しいって、お願い、しました」
「そんなお願い一つで止めるのか? 死ぬほど我らハイゼンベルク家の人間を憎んでいる者たちが」
「む、む、無理でした」
「だから取引というわけか」
リリヤは何度も頷いてみせる。
「それで、その兵士たちは、何を願ってきたのだ」
「し、城の北にあるお墓を綺麗にして欲しい。そして、お酒、毎月、供えて欲しいとのことでした」
リリヤが言うまで、ルートヴィヒはそこに兵士たちの墓があることさえ知らなった。まさかと思い、城門を出て少し歩くと、草木が生い茂った中に、苔むした石碑が立っていることが、辛うじて確認出来た。
石のコケをを取っていくと、文字が彫られている。
【ここに眠るは、城を護りし兵士たち。天はその魂を抱き、大地はその血を記す。 オルレシア歴32年5月30日】
ルートヴィヒは身体がぞわりとするのを感じた。
年号からも、攻城戦があった時期と一致する。兵士たちの墓と見て間違いないのだろう。
これをリリヤは、どうやって見つけたのか。いや無理だ。もし見つけたとしても、彫ってある文章まではコケや木をはぎ取らなければ見えなかった。
つまり彼女は、本当に兵士の霊から話を聞いたとしか思えなかった。
ルートヴィヒは直ぐに使用人と兵士を呼び、碑の清掃を開始した。と言っても最初は発掘のような作業から始まったのだが。
リリヤも付いてきた。「城に居て良い」と言ったのだが、彼女は首を振って聞かなかった。リリヤが首を横に振ったのはこれが初めてだった。
こうして三日がかりで周りの木々を倒し、草を抜いて、石碑をブラシで擦り、やっと原型に戻すことが出来た。
石碑は全部で10基あったあため、中々の重労働だったが、清掃中も、終わった時もみんなどこか晴れやかな顔をしていた。
その翌日には神父を読んで、祈りをささげて貰った。
酒も上等なワインを供えた。
しかしこれで兵士たちに許して貰えるのかは分からない。いや、許されようが許されまいが、命を賭して領土を守った兵士たちを弔うことは大事だ。ハイゼンベルグの血を引く者として、彼らに報いなければならない。
異変は直ぐに起きた。
先ず、夜になると必ずルートヴィヒを睨みつけていた霊が居なくなった。
それだけではない。日を追うごとに、夜な夜な響くうめき声も、食器が宙を舞う現象も、知らない誰かとすれ違うことも無くなっていった。
ルートヴィヒはリリヤを侮っていたわけではなかったが、彼女の悪評を聞いて身構えていた部分はある。
しかしこの一件で、社交界でまことしやかに囁かれている彼女の噂が、質の悪いデマであることが分かった。
何故こんなに広まったのか。一つはデマの中に、リリヤが霊と話せるという真実が混入していたことがあるだろう。だがそれだけではない、
恐らく、悪意のある誰かが、意図的に彼女の悪評を広めている。
その人物は誰か。何となく、ルートヴィヒはその人物が分かる気がした。
とにかく、ルートヴィヒはより一層敬意を持って彼女と接するようになった。
「ありがとう」
ルートヴィヒはリリヤに頭を下げた。
「そ、そんな、ルートヴィヒ様、頭をあげてく、くださいぃひひひぃ」
「ずっと誰にも解決出来なかった問題を解決してくれて、そして、兵士たちの魂を救ってくれて、言葉で言い表せないほどの感謝をしている」
礼を言われているというのに、彼女はどこか不安そうにルートヴィヒを見上げていた。
その彼女の態度を不自然に思ってはいたが、まだこの城に来てから日も浅い。人見知りの彼女がまだ打ち解けられないのは普通のことだ、とルートヴィヒは自分を納得させた。
それからルートヴィヒはちょっとした茶会をよく開くようになった。彼女が好きだと言うジンジャーブレッドやフルーツタルトも、街から菓子職人を呼んで用意させたりもした。
ルートヴィヒだけではなく、使用人たちも皆リリヤに優しく接した。
彼女が城に来た当初から、メイドたちはリリヤに粗相をしたわけではないが、彼女たちの態度は侯爵夫人への態度というより、年頃の娘におせっかいを焼くおばちゃんそのものだった。
けれど今はしっかり敬語を使い、敬っている様子だ。
それでもリリヤは変わらなかった。人前でも、一人でいる時でも、だ。
ある時リリヤが図書室に座って、本を読んでいるのを見つけた。こちらにはまだ気付いていない。近付き、声を掛けようとした時、異変に気付いた。
彼女が読んでいるのは、小さな子供むけの絵本だった。それを、ゆっくり声に出して、まるで誰かに聞かせるように読んでいる。
普段の挙動不審な様子からは想像もつかないほど、穏やかな表情だった。木漏れ日に照らされる彼女の黒髪は艶やかで、うつむき気味の顔は、清流のように美しかった。
この時初めて、ルートヴィヒは彼女が美しい令嬢であることを認知した。
「リリヤ」
びくっと肩を震わせ、怯えた顔でルートヴィヒを見る。頼むから、そんな怖がらないで欲しい。とルートヴィヒは少し悲しく思った。
「驚かせてすまない……そこに誰か居るのか」
勿論、霊なるものがいること前提の話だった。
「お、男の子が一人……寂しそうにしていたので……」
「そうか。リリヤは優しいんだな」
「い、いや、そんなこと……ふひひ」
笑い方はいつも通りだったが、リリヤは初めて頬を染めた。
そうして日々を過ごすうち、ルートヴィヒはリリヤの優しさ、所作に惹かれていることに気付いた。もっと彼女に尽くしてやりたいと思った。
約束の1か月が経つ前に、ルートヴィヒは正式にリリヤと婚姻することを決めた。
ルートヴィヒがリリヤの過去を聞いたのは、そんなある日のことだった。
「わ、私をす、捨てないんですか?」
ティーテラスにて、二人で茶会をしている時のことだった。
リリヤが唐突に言った。
「捨てる? 何を言っている。むしろ正式に迎え入れるんだ。来月には結婚式を執り行うと言っただろう。準備で忙しくなるのだから……」
「で、で、でも!」
リリヤは持っていたカップを置いて、顔を上げた。その時初めて彼女の目が赤いことに気付く。
「捨てる」とはどういうことだろう。彼女のお陰でこの城には平安が訪れた。英霊の魂も鎮めることが出来た。それはリリヤも自覚していることだと思う。
それが何故、捨てられるという恐怖に変わってしまったのだろう。
彼女はじっとルートヴィヒの目を見たまま、二の句が継げないでいる。ルートヴィヒは優しく彼女に微笑んだ。
彼女の過去を知る必要がある。
「リリヤ。ゆっくりで良いから、どうして捨てられると思ったのか、話してくれないか?」
リリヤは再び俯くと、たどたどしく話し始めた。
*****
リリヤは昔から、霊なるものを見ることが出来た。理性的な霊とならば、意思の疎通を図ることも出来た。
霊をどうこうする行為は、魔法の領域ではない。リリヤの能力は魔法の力の及ばない領域のものだった。
しかし幼いころのリリヤは幽霊と人の区別が付かず、人前で幽霊に話しかけて気味悪がられることがしょっちゅうあった。そのせいで友達が出来ず、いじめられた。
両親は彼女を理解できず、どう育てるかを巡って、常に喧嘩をしていた。リリヤに当たり散らすことは無かったが、どこかよそよそしかった。使用人も彼女を恐れ、腫物を扱うように扱った。
幼いながら、心を開ける存在が居ないことに彼女は気付いていた。
だから、どんな時でも、笑うようになった。
笑っていてもいじめられるし、笑っていても両親はよそよそしい。
けれど、笑っていなければもっといじめられたし、笑っていなければ、両親は深刻な顔で彼女を見た。
自分が笑ってさえいれば、少なくともみんなに迷惑はかけないはず。
「笑わなきゃ。笑わなきゃ」
涙が零れ落ちそうになるのを耐えながら、彼女は必死に笑い続けた。
こうして彼女の歪な笑顔は形成されていく。
17歳になり、彼女に婚姻の話が来た。相手はドーリア侯爵家の嫡男、エンリコ・ドーリアだった。
両親は驚きもし、喜びもした。
彼女が幽霊と話しをするという噂は、既に広まっており、嫁の貰い手など居ないと思っていたからだ。
コホルネン家は子爵家だ。それが侯爵からの求婚を受けたのだから、玉の輿だと言える。
実際に顔合わせをしたエンリコは怜悧そうな顔をした青年だった。リリヤへの物腰も柔らかく、彼女のような人物への理解があるように思えた。
「この人なら分かってくれるかも知れない」
と、リリヤは期待を抱いた。
ただ、エンリコは婚約するに当たり、一つの条件を出してきた。それは
「ドーリア家の屋敷には質の悪い幽霊が複数憑りついている。それをリリヤ嬢が祓えるのなら婚約する」というものだった。
その幽霊というのはエンリコたちと目が合うとうめき声を発するのだと言う。お陰で使用人たちも半数が逃げ出す始末。
ファリスリア城で起こっていた怪異と似たようなことが、こちらでも起こっていたのだ。
彼女はこの時まだ除霊らしいことは何もやっていなかったらしいのだが、エンリコは何故リリヤに除霊の依頼をしたのか。
この時リリヤは既に「霊が見える」人物として有名だったようだが、そこに、「除霊が出来る」という項目も追加されていたらしい。
皮肉にも、根も葉もないはずのその噂は、リリヤの能力を正当に評価していた。
ドーリア家に招かれた彼女は早速除霊に取り組むことになる。
初めてのことで自信はなかった。けれど、ここで成功させれば両親も、そしてエンリコも喜ばせることが出来ると思った。
彼女のやり方はファリスリア城でやったのと同じ。霊の要求を聞き、それを果たすことで怪奇現象を収めるということだった。
霊たちに話を聞いてみると、どうやら彼らは領内で行われた治水工事の犠牲者だということが分かった。
当時、ドーリア領内は大雨による水害が多発していた。そのため治水工事を行うことになったのだが、それには多くの人手が必要だった。
その人員を確保するため、エンリコの父、ウーゴ侯爵は派兵してまで強制的に民を徴用した。そして工事を急がせるため、無理な労働を強いた。結果として工事は完了したものの、多くの人が犠牲になった。
霊たちはこう要求してきた。「働き手が居なくなった家族たちに、当面の間暮らしていけるだけの見舞い金を出して欲しい」と。
リリヤが「必ずドーリア家の人に伝えます。だから、今は怒りを収めて貰えませんか」というと、彼らは聞き届けてくれた。
結論から言えば、そこで霊現象は一旦収まった。
リリヤは俯いた状態で続ける。
「私は彼らと交わした条件をエンリコ様に伝えました。エンリコ様は『分かった。必ず遺族への見舞金を出そう』と仰いました。けれど……」
エンリコは見舞金を出すと言いながら、先延ばしにし続けた。結局、リリヤが去るまで見舞金が出たという話は無かった。
それどころか、それまで丁寧に接していたリリヤへの態度が一変した。もう「用なし」だと言わんばかりだった。
彼女に対する使用人たちの態度は、実家の使用人たちと比べ物にならないほど悪くなった。
コホルネン家での使用人は、リリヤを怖がりはすれど、要求は聞いてくれたし、仕事はしっかりこなしていた。けれどドーリア家の使用人たちは明らかに汚いものを扱うような態度で彼女を扱った。
極めつけは、エンリコが見知らぬ女性を連れ込むようになったことだ。彼女の名前はイルダと言い、以前からエンリコと恋愛関係にあったようだ。霊現象が収まったことで、屋敷にも訪れるようになった。この時初めて、エンリコがリリヤを妻に迎えるつもりなどなかったことに気付いた。
リリヤはもうどうしたら良いのか分からなかった。二人が仲睦まじげに話しているのを、あの卑屈な笑顔で見ているしか出来なかった。笑っていなければ。笑っていなければ、また怒られてしまう。
ほどなく彼女はコホルネン家に戻されることとなった。「リリヤが約束を果たさなかったから」と、嘘の報告までなされた。
リリヤの父親は何度かドーリア侯爵家に抗議の手紙を送ったが、無視され続けた。
両親はリリヤに同情した。けれども同時に、彼女が実家に戻ったことを残念がった。これからリリヤをどう扱うべきなのかを、必死に逡巡しているようだった。それは使用人たちも同じだった。
リリヤは彼らの前では笑顔で振舞った。笑っていなければ。私が笑っていなければ、もっとみんなが困ってしまう。
けれど、部屋で一人になった時、我慢できなくなった彼女は声を上げて泣いた。涙が枯れると思う程、ずっと泣き続けた。
孤独感とやるせなさで押しつぶされそうだった。もう二度と、誰からも理解されることはなく、朽ちていくことになるのだろうと思った。
ルートヴィヒから声が掛かったのは、そんな時だった。
*****
ルートヴィヒ様の第一印象は、「すごく怖そうな人」でした。
けれど、私はこんなに変なのに、気味悪がったり、のけ者にしないで、優しくしてくれて、すごく嬉しかった。
私の好きなお花を庭に植えて下さったり、ドレスを買って下さったり、今までの人生で、こんなに優しくされたのは初めてでした。
メイドの人たちもとても親切でした。
ここでの日々は、とても心がポカポカします。
この人達のお役に立ちたいと思ったのです。だから私は幽霊さんとお話しました。取引をしました。
でも不安でした。エンリコ様がそうだったように、ルートヴィヒ様も、問題が解決したら私を捨てるんじゃないかと思ったのです。私には、幽霊さんとお話出来ること以外、価値が無いのだから。
けれどルートヴィヒ様はより優しく接してくれるようになりました。そして、正式に結婚するとまで、仰ってくれました。
これまでの人生では起きえない幸運が、一気に起こったように思いました。
それでもまた捨てられるような気がして、とても不安でした。
こんなにうまくいく筈がない。夢を見るなと、心が叫んでいました。
だから、失礼だとは分かっていても、聞いてしまったのです
「私を捨てないんですか?」
と。
*****
ルートヴィヒは危うく、掴んでいたクッキーを灰にするところだった。
激しい怒りに見舞われた。
そして同時にリリヤの悪辣な噂が、誰にようるものか確信した。
あれはドーリア家の人間が意図的に流したものだ。もしリリヤが真実を語れば、ドーリア侯爵家は貴族社会から軽蔑の目で見られることになるだろう。
だから先手を打って彼女の悪評を流したのだ。リリヤは引っ込み思案で、積極的に人と関わるタイプではない。先に悪評が広まってしまえば覆す手段など持ちえない。
それを見越しての攻撃だったのだろう。
リリヤを利用するだけ利用して、必要が無くなったら容赦なく捨てる。それだけでなく、リリヤの将来を奪うような噂さえ流す。
卑劣で冷酷で、救いようのない人間の屑だ。
ルートヴィヒは初めて一般人に対して本気の殺意を覚えた。
「リリヤ、心配するな。そいつらには俺が正式に……」
「旦那様、お客さんですよ」
イザベラがずけずけと割って入って来た。いつもなら受け流すルートヴィヒも、この時ばかりはうんざりした。
「後にしてくれ。今大事な話をしているんだ」
「でもあのお客たち、ちょっと変何なんです」
「変? どういうことだ」
「奥様に会わせろって。すごくうるさいですよ」
「……客人の名前は」
「確か、エンリコ・ドーリア様と」
******
「リリヤ、リリヤ居るか!」
門の所で兵士たちに押し留められていたのは、貴族風の青年と淑女のようだった。
「のようだった」と断定できないのは、彼らが見るからにやつれており、老けて見えたからだ。
「俺はこのファリスリア城城主、ルートヴィヒ・ハイゼンベルクだ。君たちは誰だ」
近付きながら言葉を投げる。
「ぼ、僕はドーリア侯爵家嫡男、エンリコ・ドーリア」
「私はその婚約者であるイルダ・セラフィー二です」
リリヤの話に出てくる連中と名前が一致する。激しい怒りがぶり返してくるのを、ルートヴィヒは必死に抑えていた。
「要件を聞こう」
「リリヤを返して貰えないか」
「は?」
この男は、一体何を言っているんだ。
「リリヤは僕の妻になる予定だったんだ! それを一度実家に返した隙に、お前が奪い取った!」
話が滅茶苦茶過ぎる。リリヤの言っていることと全くかみ合っていないが、リリヤの語る内容の方が正しいだろう。でなければリリヤの両親もルートヴィヒの元に嫁がせたりしないし、あんな悪評も立っていないはずだからだ。
では何故、こいつらはここに来た?
ルートヴィヒは鋭くエンリコを睨みつけた。
「俺が何も知らないとでも思っているのか? お前たちが我が妻に働いた罪は万死に値する」
エンリコは怯んだが、退散する気配はない。ルートヴィヒは一旦怒りを押し殺し、情報を集めることにした。
「お前ら、何故今更リリヤを取り戻そうとしている?」
「それは……」
「ああ嘘はつくなよ。これまでのことはリリヤから話に聞いている。俺が聞きたいのはリリヤが去った後、何があったのかだ」
エンリコは観念したように話し始めた。
リリヤを屋敷から追い出した後、少しの間は何もなかった。しかししばらくすると、不可解な現象が多発するようになった。
今までの比ではない数と激しさだった。
四六時中、どこかで何かが起こっているような有様で、飛んで来た物に当たって重傷を負う使用人も居る程だった。
エンリコと、彼の父であるウーゴは、慌てて遺族への賠償を進めた。けれど、賠償金を払い終わっても、霊現象は収まるどころか強まった。
使用人もほとんどが去ってしまった。どうしようも無くなって、今はホテル暮らしをしているのだが、そこでも同じような現象が起こる始末。
イルダは実家に避難していたのだが、そこでも霊現象が起こって実家から追い出された。
どうしようもなくなって、ドーリア一行はホテルを転々としながら暮らしているという。
エンリコは父親に、リリヤへ行った仕打ちを打ち明けると、激しく激怒され
「早く連れ戻せ」と怒鳴られた。
それから彼はリリヤの実家を訪れ、ようやく居場所を掴んだというわけだった。
「今更戻ってこいとは、何とも都合の良い話だな」
ルートヴィヒは鼻で笑ってみせた。
「うるさい! 早くリリヤを寄越せ!」
ルートヴィヒは思わずエンリコの頭を掴んだ。
「は、離せ!」
「知っているかもしれないが、俺は灰燼の魔法使いと呼ばれている」
「何だ、脅しか? 僕を殺したら大変なことになるぞ!」
「そうか。で、その殺人の証明は誰がするんだ」
エンリコは目を見開いた。ようやく自分の置かれた立場に気付いたようだ。この山奥の城に、エンリコの味方は誰も居ない。助けも来ない。
ここで殺されても、骨も残らず灰になる。そうなれば、ただ山奥で行方不明になった扱いを受けるだけだ。
エンリコの全身から滝のように汗が吹き出していた。
「す、すまない。悪かったから、謝るから」
「今更謝られても遅い」
「いいや謝らせてくれ! リリヤに直接謝罪がしたいんだ!」
自分の立場を分かった途端、エンリコは急に卑屈な態度を取るようになった。一瞬でも彼女がこいつの家で暮らしたのかと思うと虫唾が走る。
ルートヴィヒはエンリコの頭に炎魔法の熱を込めた。
「熱い! 熱い! 止めてくれ!」
「安心しろ。……火あぶりでは、処刑される者は足から徐々に火にあぶられ、死んでいく。だが俺は頭を先に燃やしてやろうとしているんだ。そうすれば幾らか早く死ねる。どうだ、人道的だろう?」
ルートヴィヒはにこにこと笑いながら、ゆっくり言った。
「悪かった! もう近付かない! もう来ないから許してくださいお願いします!」
エンリコは半狂乱になって叫ぶ。
ルートヴィヒはエンリコの頭から手を離した。皮膚はあまり火傷していないようだが、つやつやだった彼の髪の毛がチリチリになっていた。
「もう二度と彼女をお前に会わせるつもりはない。失せろ」
ルートヴィヒは背を向けた。
「だ、だが……!」
「二度は言わない。次は炎を持って応える」
二人の足音が慌てて遠ざかっていくのを、ルートヴィヒは背中越しに聞いていた。
*****
エンリコ様がお城に来たと聞いたとき、私の心はざわつきました。ドーリア侯爵家で過ごした日々の出来事が、一瞬でフラッシュバックしました。
またあそこに戻ることになるのだろうか。また虐げられて、孤独でみじめな人生を送ることになるのだろうかと。
けれどそれは杞憂でした。
ルートヴィヒ様はテラスに戻って来ると、
「あいつらにはお灸をすえておいた。もう来ないと言っていたから心配いらないよ」
と優しく微笑んでくださいました。
その笑顔に、どれだけ救われたか分かりません。そして心から、結婚出来ることを幸せに思いました。この人なら大丈夫だと安心しました。
結婚式が終わって数か月が経ちます。
ドーリア家がアテインダー(※お家取り潰しに近い言葉)を受けたらしいと、メイドのイザベラさんが話していました。
噂なので本当かどうか、私には確かめようもありません。
けれど、今は関係の無いことだと思います。
今日はルートヴィヒ様と町に来ています。古い町並みに新しい建物も建って、色のアクセントが効いていて、すごく綺麗です。
「領主様、こんにちは」
「奥様今日も綺麗ですね」
領民の方々は笑顔で挨拶してくれます。こんな私にも優しくしてくれます。
私は何だか、光の中に居るような気持ちです。
お城の中も、お庭も、人も町も、全てが輝いて見えます。
これまでの人生では気付かなかったけれど、世界に闇があるということは、こんなに光に満ちた場所もあるんだと、今更気付いたような気分です。
そして、それをくれたのは、他の誰でもない、ルートヴィヒ様でした。
闇の中を歩く私を、その温かい炎で、優しく照らしてくれた人。
私は、勇気を出して、ルートヴィヒ様の手を握ってみました。するとルートヴィヒ様は、大きな手で、優しく握り返してくれました。
彼は私の顔を穏やかな表情で見つめています。
私も、精いっぱいの笑顔をルートヴィヒ様に返します。
「えへ、へへへ」
初めて会った時よりも、私は少しだけ、ほんの少しだけ、自然に笑えるようになったでしょうか。
おわり