山頂の景色ー1分で読める1分小説ー
「なんだ。ぜんぜんたいしたことないな」
山頂で、若い男は舌打ちをした。
この山頂の景色は世界一美しい。そう言われて来たのだが、とんだ期待はずれだった。
隣で老人が景色を眺めていた。そして心の奥底から感嘆の声を漏らした。
「なんて美しい眺めなんだ……」
「はっ? どこがですか?」
老人が男の足元をチラッと見た。
「君はロープウェイを使ったのかね」
男の靴は泥ひとつなく、綺麗なままだった。
「ええ。足で登ってくるなんて面倒で時間のかかることしませんよ」
ふもとから山頂まで登れば三日はかかるが、ロープウェイならば数十分ほどだ。
老人がぼそぼそと話し始めた。
「私は若い頃からこの景色を見ることが夢だった。だが家業が食堂で、休みもなく働いていた。登山をする余裕はなかった。
食堂を廃業することになり、この歳になってようやく時間ができた。長年の夢を叶えられる。妻と娘が靴と杖をプレゼントしてくれた。
出発する前、なじみのお客さん達が送迎会をしてくれた。泣いている人もいた。私の若い頃からの夢を知っている人だ。
ふもとから一歩一歩味わうように歩いた。途中登山客と出会い、様々な人生の話をした。素晴らしい体験だった。そしてようやく、この景色を見ることができた」
老人が男を見た。その瞳は、哀れみの色でゆれていた。
「君の見る景色と私の見る景色は違う。君はもう二度と、世界一美しいこの景色を見ることはできない。
それ以上の不幸を私は知らないよ」