第14話「皇帝ネヴァン」
ナベリウス帝国の現皇帝。名をネヴァン・ウァスファ・フィン・ナベリウス十四世。数百年以上前からナベリウス皇帝の好戦的な性格は代々引き継がれるものとなったが、ネヴァンだけは価値観がずれていた。
皇帝の座を手に入れたネヴァンは歴代ナベリウス皇帝の中で唯一の女皇帝である。即位したのも五年ほど前で、それも実の父親である先代皇帝と護衛にあたっていた皇室近衛団と呼ばれる精鋭たちをたったひとりで殺害しての事だった。
臣民が望んだわけではなかったが、ネヴァンの行動は革命として好意的に受け止められ、それまで民を蔑ろにしてきた皇帝たちとは違うと信じていた。実際、人々の生活は豊かになった。仕事を与えられ、動けぬ者には配給が与えられるようになった。────ただし罪を犯せば、その大小に関わらず処刑される。それが新たな帝国の形である。待ち望んだ新たな帝国はある種の平和とも言えたが、実のところこれまで以上の恐怖を屋根に暮らしているのとそう変わらなかった。
それがアンニッキの目の当たりにした帝国の姿であり、ここは住むべき世界ではないと断じる理由だ。ナベリウスとは冷酷な公平さを持った世界だった。
「私も、あの帝国の在り方は吐き気がする。公平が過ぎるせいで、たとえそれが幼い子供であったとしても平気で首を刎ねるからだ。……でも正せるほどの力が私にはなかった。皇帝ネヴァンは本当に危険な奴なんだよ」
アンニッキの知る強者たちは誰もが等しく『輝ける意志』を抱いている。ディアミド・ウルフは『絶対の不殺』を。アデルハイト・ヴァイセンベルクならば『光ある未来』を。六天魔阿修羅ならば『純粋なる強さ』を。
だが残念な事にネヴァンにはそれがない。大陸制覇を目指すのも『暇だから』という理由だけだ。ゆえに帝国の公平さは理不尽で成り立ち、女皇帝が望むと望まざるとに関わらず、多くの人々の命が奪われた。
止めたかった。止めるべきだと思った。相手が本物の狂気でなければ。
「私が帝国周辺から離れて聖都で過ごしていたのはね、皇帝ネヴァンの追撃を逃れるためだ。エステファニア、つまりは聖女という巨大な壁が帝国に立ちはだかっている以上、簡単にはこちら側に侵入できまいと断じたからだ。……ネヴァンの持つ覇者の武具はひとつじゃない。正面から戦ってはいけないんだよ、あれは」
思い出しても背筋の凍る相手だった。帝国にいた友人が、たまさか酒飲みと言い争いになった事で『周囲に迷惑をかけた』という理由で処刑される事になり、アンニッキが助けようと乱入した際に現れたのが皇帝ネヴァン、その人だ。
『アンニッキ……。過去の皇帝の遺した文献で見た事がある名だ。死にたがりのアンニッキ、顔は覚えておこう。いずれその首は私が頂くとしよう』
その場はやり過ごしたものの、戦っていればどうなったか分からない。もし勝てたとしても、自分が生きて帝国を出ていく姿の想像もつかなかった。
「ま、そう簡単に戦場には出てこないだろうから、今回の件はエステファニアに任せていても大丈夫じゃないかな? 二個中級魔導大隊を派遣したんなら」
「……私としては不安だよ。やっと平和に過ごせると思っていたんだがね」
酒を呑みながら、ふと弱気な事を口にする。エンリケの件が片付いて、ようやく落ち着いたと思った矢先の話なのだから当然ではあったが。
「うむ、わちきも安心すべきではないような気がするのう」
腕を組み、う~んと眉間にしわを寄せて阿修羅が言った。
「なぜ今になって動き出したか、わちきにはよう見えとる。いや、少し考えれば至る答えではあるが、国と国の争いを前提に置くのが間違っておるじゃろう」
「というと、君はナベリウス帝国の動きをどう見てるんだい?」
ただの大陸制覇が目的であれば、警戒すべきはナベリウス帝国軍だろう。しかし阿修羅の懸念は皇帝であるネヴァンにあった。アンニッキの話す通り感情が希薄で暇潰しに大陸制覇を目指すのならば、これまで小競り合いだけをして中途半端な戦い方はしなかったはずだ、と。
「アンニッキよ、その皇帝ネヴァンとやらの性格を戦ってどう感じた?」
「ん、そうだね……。まず何事にも興味がなさそうだった。戦う事にも、そもそも自分が敷いた法律にさえ。だけど私と戦うときには興味を示していたような」
グラスに残ったウイスキーを飲み干してグラスをだんっ、と強く置いて阿修羅は「やはりそうであるか」と予想が的中した事に最悪の結果を導きだす。
言うべきか、言わないべきか。少し悩んでから────。
「エンリケの遺した厄災といったところかの。アデルハイト、ぬしが殺されたのが五年前。そしてエンリケが賢者の石の研究を始めて、わちきに取引を持ち掛けてきたのも五年前の話じゃ。……となりゃあ、結論は考えるべくもなくひとつよ」
想像はしたくない。だが想定はしておくべき事。微かにぼやけて見えるだけの希望に縋るより、目の前に聳える危機的状況を受け入れて策を練る。それが最善。それが最重要。耳にしたくなくても、心して聞いておかねばならない話。
「────ネヴァンの狙いは賢者の石の製造方法じゃ」




