第8話「再出発の日」
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予定通り、三日が経った頃にユリシスは迎えにやってきた。身分の偽造も済ませて『アデルハイトは王都にあるオーリオル孤児院に拾われ、その後公爵家の養女となった』ふうに見せかけて、新しい名前を得た。
アデルハイト・ヴィセンテ。本人もそれなりに気に入った。
「お前の妻であったなら、こんな名前になるのかな?」
「もう少し立派な名前がつくと思うよ。どうだい、お前なら歓迎だ」
「いや、遠慮しておく。気に入ってはいるが」
すっぱり言われて、がっくりユリシスが項垂れる。
「なんでこう……なんでこう、お前は人の心が分からないかな」
「何を訳の分からない事を言っているんだか」
好意は中々伝わらないものだな、と肩を竦めさせられた。しかしアデルハイトは知っている。どれほど強く温かな好意を向けてくれているか。それでも避けるのは、やはり危険に晒してしまうかもしれないからだ。
「別にいいさ。ところで、せっかく今は二人きりなんだ。人払いも済ませてあるし、色々と具体的に聞きたい事がある」
「構わんよ。私に答えられる範囲になってしまうけど」
特注した肌にぴったりのサイズの制服を姿見の前でチェックする。男女ともにワイシャツに赤いネクタイ。男子はスラックスで女子はひざ下まで丈のあるスカートだ。鏡の前でスカートをつまんで持ち上げ、首を傾げて眉間にしわを寄せた。
「新しい英雄を立てるって計画なんだろ。特段と復讐したいわけじゃないみたいだが、結局は物理的に消す事になったりするのか?」
「うむ、十分な可能性はある。野放しにはしておけない」
鏡の前でネクタイの位置を調整しながら、淡々と答える。
「目的のためとあらば他者を殺す事も厭わない連中だ、英雄と称えるべき人間じゃない。そういうヤツが領地を持っていて、大陸をも制覇した国が手も出せない。ま、もちろん普通の人間で太刀打ちするのは難しいから仕方ないが……」
ベッドの上に放り出していた赤のローブを手に取って着る。ジッと見つめてから、気に入らないとばかりに口先を尖らせて、そっと脱ぐ。
「新入生は赤色しかないのか?」
「学年で分けてるそうだ。二年は青、三年は黒なんだとさ」
「ふうむ。今まで独学だったから……ううん、困った」
「そんなに気に入らないか、赤色は?」
「嫌いじゃないが、暗い色の方が好みだな」
ちょっと考えてからユリシスがぽんと手を叩く。
「校則変えるように言ってやろうか」
「そこまではしなくていいよ……」
気のいい笑顔で言われても、むしろアデルハイトには気が重い。さらっと公爵家の立場を私的に行使しようとするあたりが怖ろしくなった。
「にしても、私がこんな服を着て学園に通うなんて想像もしなかったよ。童心に帰って楽しんでみようかな」
「いいんじゃないか? 俺もたまには顔を出すよ。これでも剣術科の特別講師として、年に二回ほど招かれたりもするんだ」
アデルハイトが鍛えただけあって、いくら限界はあるといっても強さは並のものではない。若きヴィセンテ公爵として称えられるのは人柄だけでなく、その実力あってこそ。公爵家で会うリスクが高くとも、学園内であれば情報の共有もしやすく疑われにくい。互いの危機回避にも都合が良い。
「ふふ、年甲斐もなく緊張する。しばらくはお前とも会えなくなるな」
魔法学園は全寮制だ。広大な敷地の中で集団生活を行うのはアデルハイトの人生において初めての経験になる。楽しみもあり、不安もあり。子供の時分はこうであるべきだったと苦い想いもありつつ、好奇心が勝っていた。
「寂しくなるよ、アデルハイト。五年も待ったのに」
「その分、これからは会うのが楽しみだろう?」
「違いない。そろそろ送迎の馬車も来てるはずだから行こうか」
いよいよ出発の時だ。部屋を出て見慣れた長い廊下を歩くだけのはずなのに、いつもより新鮮な空気を感じられた。窓の外に見える立派な箱馬車を見つけると、思わず顔がニヤけ面を晒しそうになる。
「派手な馬車だから嫌かと思ったが、そうでもなさそうだな?」
「む……。うん、嫌じゃないよ。それに公爵家の見栄もあるだろう」
「はは、お気遣いどうも。まさしくその通りではある」
公爵家の人間としての品格。まだ迎えられたばかりのアデルハイトが堅苦しく振舞う必要はないが『ヴィセンテ公爵が養女をどう扱っているのか?』と周囲に知らしめておくのも大切な事だった。
楽しくユリシスと話す時間もおしまい。数分も経たないうちに馬車の前までやってきて、御者が乗り込めるように扉を開いて待っていた。
永遠に会えないわけではなくとも、しばらくの別れは惜しいものだ。固い握手を交わして、互いに友人を想う優しい笑みを浮かべる。
「いよいよだな、アデルハイト」
「ああ。また会おう、ユリシス。会えないときは手紙も出すから」
「楽しみにしてる。じゃあな、学園でも友達作れよ」
「もちろんだ。お前にも紹介できる自慢の友達を作ってくる」
いつまでも御者を待たせるわけにはいかない。アデルハイトが馬車に乗り込むと、扉はゆっくり閉められる。窓越しに小さくユリシスへ手を振った。