第70話「私が勝者だ」
最初と同じく両手で剣を高く構える。だが、今度は両腕をゆっくり広げていった。剣がふたつになり、腕はそのまま腰の位置まで下ろされていく。────途中、腕が四本になった。マガツノツルギもまた、四振りに増えている。
「馬鹿な、なんだその姿は……?」
「わちき特有のものさね。驚くのも無理はないじゃろうが」
くっくっ、と自身でも馬鹿げた姿ではあるがと笑いを堪えながら、腕を交差させて刀身を背後に振り抜くよう構え、腰を緩やかに低い位置に置いた。
それぞれが黒と紫紺の輝きを持つ魔力に満ちていく。
「森羅万象切り裂いて、六天統べし惨禍の刃。魔王が太刀の一振りにて。────《天魔零式・禍津神惨禍之太刀》。見事超えてみせよ、アデルハイト」
四振りのマガツノツルギが放つ妖力の斬撃は参式の比ではない。大結界が破壊力に震え、ひび割れ、今にも外の世界にまで影響を与えておかしくない衝撃を以てアデルハイトを襲う。触れれば消滅。触れなくとも命を落として然るべき威力。まさに爆心地の中にいると言ってもいい。
流石の威力にはディアミドも焦燥に呑まれて「アデル、避けろ!」と大声で叫んだが、爆裂音の中にあっては声など到底届かない。
しかし届いたとしても、アデルハイトに動く気はなかった。
「気配が見えるよ、ディアミド。私まで失うのではないかと怖ろしいのが伝わってくる。だが、案ずる事はない。今だけは私が勝者だ」
既に分析は済んでいる。ディアミドに言われてあえて後ろに下がったのも、確実に阿修羅を倒すための時間が欲しかった。聖槍の扱い方。魔力の流れ。魔力と妖力に大きな違いはない。吸収して魔力同様に自身の力に組み込めるのも理解した。戦神とも呼べる六天魔阿修羅という存在を前にして、冷静に勝利を確信する。
「聖槍展開。天衣無縫、不殺の信念────《光輝極めし覇者の聖槍》」
聖槍が突撃槍の形態に戻り、アデルハイトの賢者の石と共鳴して黄金の輝きは数倍にも増して強くなる。直線に放たれた輝きがぶつかって、重なり合った妖力の斬撃は吸収され、威力を失って貫かれると風船が破裂するかのように散る。阿修羅の本気を打ち破り、光輝は届いた。
「────く……クハハハハ! 美しすぎるわいのう、コイツは!」
直撃と同時に光輝の柱が空へ昇り、大結界をも破って呑み込んだ。やがて世界は元の場所へ立ち戻り、勝利を信じて待っていた人々の前に現れたのは、倒れた阿修羅の前に立つ────ちんちくりんなアデルハイトだった。
「……ん? あれ、おい、ディアミド!」
「おう。前よりちんまくなっちまったな?」
「聖槍は魔力を吸い取って自分のものに出来るんじゃないのか」
「そりゃ何回も使えねぇさ。聖槍サマも体力の限界なんだ」
光になって散った聖槍がディアミドの体に消えていく。
「レガリアは主人を選ぶんだよ。お前の魔力じゃ、コイツの形がある限りは自在に扱えても、繋がった俺の魔力が完全になくなっちまったらコイツは存在も消滅しかねない。だから全部頂いたってわけだ」
「待って、それは聞いてない。私の魔力くらい返せよ」
さらにもう二歳は若返ったような小さな体に、両手で顔を覆ってシクシク泣いた。勝ったはずなのに負けた気分だった。
「もうやだ、これ以上若返りたくない……」
「あっはっは! 贅沢な願いだなぁ、オイ!」
「馬鹿にしやがって、いつか仕返ししてやるからな」
二人が笑い合う姿を見ながら、よろっと起きあがった阿修羅がけらけら笑う。「子供ってのはどっちにも似るんじゃなあ」と愉快に膝をバシバシと叩いた。
周囲はまだ阿修羅を警戒していて、今に何か起きるのではないかと睨む。その視線にディアミドが手をひらひら振った。
「安心しろ、もうコイツも俺たちも戦う余力は残っちゃいねぇよ。だが、外も安全とは言えねぇ。ローズマリー、本校舎に誘導してやってくれ」
「わかりましたわ。……あの、もう本当に大丈夫なのですよね?」
不安がる様子に深く頷いて返す。
「問題ねぇさ。何か起きたとしても、この阿修羅は多分俺たちの味方になる」
「負けたからには仕方ねえのう。わちきはそも、誰も手に掛けてはおらん」
「勝ったら殺す気だったくせしやがって都合のいい奴……」
状況は悪くない。阿修羅から吸収した妖力は殆ど魔力としては吸収できなかったが、もし何か起きても鎮圧は問題ないだろうと判断する。カイラもシェリアとエドワードの治療を済ませ、ローズマリーと共に避難させた。
「あのっ、お母さんはどうなったんですか?」
「知るかよ。だがアイツは簡単に負ける奴じゃねぇ、今頃は────あぁ、ほら。来たみたいだぜ。形が残ってるって事は勝ったんだな」
敷地の外から左舷、右舷が跳んでくる。肩に担がれたアンニッキはまだ意識を取り戻していないが、五体満足で連れて来られた以上は、二人との決着がついたのは明白。生きているのなら勝者はアンニッキだと確信できた。
「姐様~。すみません、アタシら負けちまったっす」
「うぅ、コイツ強かったよぉ。ウチら、奥の手も使ったのにぃ」
泣きそうな二人を見て、阿修羅は立ちあがると頭をぽんと撫でた。
「気にするな、わちきも負けた。それより腹に穴が開いておるようじゃが」
「問題ねっす。妖力は結構使っちまったっすけど、回復してきてるっす」
「ほとんど塞がったんだよ、最初もっとヤバかったんですけどね」
「そうか、よかった。ではぬしらに新しい仕事を与えておかねばな」
こほんと咳払いして、優しく微笑む。
「ここにいる者共の手伝いをせよ。そのアンニッキとやらも安全な場所まで運んでやるように。わちきはもう少し、こやつらと話をしておかねば」
「わかりましたぁ、お任せください!」
「それくらいなら全然元気っす!」
元気よくアンニッキを運んでいく姿を微笑ましく見つめるも、アデルハイトやディアミドからするとなんとなく奇妙な光景だった。
「さて、ぬしらはアレはどうするんじゃ?」
「ん。ああ、ジルベルトがいたな」
近くの椅子に腰かけて、勝負が決するのを待っていたジルベルトは鎧も脱いで、戦闘態勢を解いて待っていた。敗者は敗者らしく。少なくとも戦いの矜持は守るのが自分なりの騎士道だと考えているのだ。
「……センセよ、ずるいぜ。大英雄のお友達がいるんなら紹介してくれりゃ良かったのに。そうすりゃ俺だって外道には進まなかった」
「それは自分の問題だろう。……それで、お前はどうしたい?」
しばらく待っている間にジルベルトはいくらか回復した。逃げようと思えば逃げられるだろうが、彼がそうする事はない。ただジッと座ったまま。
「死刑でもなんでも受けてやる。奪った命は数知れず、なんならここで殺したって────」
遠くできらりと何かが光った。気付いたのは阿修羅だけだ。
「危ねぇ、アデルハイト!」
咄嗟に突き飛ばしてアデルハイトを退けて立った阿修羅の背中に三本の鉄の槍が突き刺さる。突然の光景に誰も声が出ない。
「おや、アデルハイトを狙ったんですが……ま、いいでしょう。厄介なのが一人減りましたから。────お久しぶりです、我が師よ」
悠々と歩いてきた男がローブを脱ぎ捨てて、素顔を晒す。赤い髪に貼り付けたような笑顔が特徴的で、しかし瞳は決して笑っていない。
「ご苦労、ジルベルト。君のおかげで良いタイミングを狙えました。……さ、後始末をしてさっさと帰る事にしましょう。人の目がないうちにね」




