第69話「拮抗勝負」
美しき姿に、大賢者らしい気高さを感じる。ローブを脱ぎ捨て、シャツのリボンも解いてボタンをひとつ外して着崩す。気合の入りように阿修羅は喜ぶ。これがエルハルトたちの娘。最強の大賢者の本来の姿かと体が震えた。
「う……うぅ、良い……。エルハルトの面影をよく残しておるというのに、その強さは歴然の差ではないか。しかし、それ以上に驚かされるのう」
朱色に輝いた瞳を見て目を細める。
「数え切れぬほどの命の気配。ぬしの体はどうなっておるのだ?」
「見ただけで気付くか。流石にそこいらの魔導師とは違うな」
隠したところで意味はない。アデルハイトは堂々と打ち明けた。
「私の体は賢者の石と融合している。いわばそのものというわけだ。つまり、お前の欲しがった物はここにある。最初から」
「ふふふ、やはりそうであったか。これは愉快じゃ、実に欲しい!」
マガツノツルギを片手に構えて、阿修羅が優しく微笑む。
「そう言いたいところではあるのじゃが、人間は宝物庫には入れられぬ。ゆえに賭けをせぬか。どちらにも得のある賭けになろう」
「……うん、いいとも。言ってみたまえ、聞いてやる」
提案が呑まれると阿修羅はまた嬉しそうな顔で頷いた。
「わちきが勝てば、ぬしを我が国へ連れて帰り養女として育てよう。なあに、賢者の石があればぬしをそのまま不老不死にして共に永遠を享受するのも悪くない。鬼人とは元より、寿命もないに等しいのでな」
聖槍を手に眺めながら、アデルハイトは適当に話す。
「まあ、構わんよ。私にとっては勝っても負けても大した損はない。穏やかな生活をするのが夢だから……。ただ、監視は苦手だな」
「ぬしが勝てば、わちきらの妖術についての書物を送ろう」
アデルハイトの手がピタッと止まった。
妖術の事はよく知らない。魔法と似て非なる技術だが、知っておいて損はない。興味のそそられる話に目が期待を宿す。
「実に良い提案だ。では本気でやらねばなるまい。────まあ、今の私ならばすぐに決着はつくだろう。かかってこい」
全盛期である死ぬ前のアデルハイトよりも、今の方が遥かに強い。聖槍から得た魔力が賢者の石と共鳴してさらなる力を与えていた。あまりにも強大。人間には過ぎた力だと分かるほどの魔力をアデルハイトは軽々と制御して、阿修羅にまるで気取らせない。ディアミドは戦いが始まると分かると「頑張れよ」とアデルハイトではなく阿修羅の背中を叩いて応援して離れていく。
「……ハハハッ、わちきは生まれて一度も負けた事がないゆえ」
「なら私が最初になる。期待通りの戦いを────」
話の途中で、先手を打って阿修羅が襲い掛かる。巨躯とは思えぬ高速移動に加え、マガツノツルギに素早く魔力を乗せた参式を簡易的にした技だが、決して威力は低くない。振り抜いたが、空を切った。
「話は最後まで聞いてほしいものだが?」
「そいつはすまねえ、どうも自制ができなくてのう!」
距離を取ったアデルハイトは手にした聖槍をディアミドがそうしたように細く頑丈な型へと変化させる。阿修羅のマガツノツルギに真正面から挑み、完璧に操って激しい打ち合いを演じた。
「ぬははは! 常人ならとっくに死んでおるぞ!」
「常人じゃないからな。だが熱が入りすぎるのは良くない」
斬ったと思った瞬間、アデルハイトの体が煙のようにふわっと消えた。気配は頭上へ移り、高く空から聖槍を構えている姿が目に入った。
「────ハッ、来い! わちきがその威力をみてやろう!」
聖槍を纏う魔力を見て、世界の広さを知った。阿修羅にとって戦いとは日常であり、そして自分より強い者は存在しないとさえ思っていた。
実際、見た事がない。どれほどの傑物であっても阿修羅の前に倒れなかった者はいない。愛するエルハルトでさえ、天魔参式を生き残るので精一杯だった。否、そこを生き残る事すら本来は不可能なのだ。
いつかは超える人間も生まれるだろう。エルハルトはその種子だ。育てればきっと大きく育つと信じていたのに先立たれてしまった。だがアデルハイトに希望を見出した。きっと、これが待ち望んだ瞬間だと。
『姐様の夢とか願いってなんすか。アタシらにも教えて下さいよ』
ふと、昔の事を思い出す。願いとはなんぞや。夢とはなんぞや。改めて考えた事もなかったので、阿修羅はそのときにやっと考えてみた。
「(おう、そうであったのう。わちきの願いは────わちきが負ける事。八百長などではない。真に打ち負かす者を見てみたいという願いじゃった)」
聖槍を剣で受け止める。まだ序の口、この程度なら返せると踏んだ瞬間、聖槍をさらにアデルハイトが踏みつけて威力を増す。大地が割れて阿修羅も流石に驚いたものの気合を入れて、地に足をめり込ませながら踏ん張った。
「ぬぐぅ……!! なんという小娘か……!」
このままでは確実に負けると判断して聖槍の一撃を流した。咄嗟に距離を取り、激突の衝撃によって周囲を土煙が満たす。視界は悪い。お得意の気配感知も、アデルハイトには通用しない。どこから攻めて来るかが分からない。
「(盲目になった気分じゃ。奴め、どこから攻めて来る。背後か、それとも右か、あるいは左────違う。あれは小細工などして戦う者ではない)」
ニヤリとする。千年以上を生きてきた経験が、アデルハイトという人間の真を見抜く。片手に突き出した剣は確かに標的を捉えた。
槍の穂先が胸に触れるか否かで止まる。同時に阿修羅も動かない。土煙が晴れていくと、互いに見つめ合って不敵な笑みを浮かべた。
「やりおるのう、あと一歩踏み込んでおれば串刺しだったものを」
「お互い様だ。よく私が堂々と正面から来ると思ったな?」
「ぬしはエルハルトと性格がよう似ておる。卑怯は嫌いじゃろ」
「お前もそういう奴で良かったよ」
武器をぶつけあって高い音を響かせ、再び距離を取った。
「うむうむ、良いのう……。今のぬしには参式も通用すまい。なればここから先はとっておき。左舷も右舷も知らぬ、わちきの本気の姿を見せよう」




