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第6話「愛情では叶わない」

 無邪気に見えても、積み重ねてきた虐待の爪痕は生易しいものではない。時には死を覚悟する怪我を負った事もある。それでもいつだって父親はアデルハイトを傷つけた後に、決まってこう言うのだ。


『ここまでするつもりはなかった、許してくれ』


 もちろん、その度に治療師のもとへ連れて行って傷を癒してもらえたが、大金を支払えるほど裕福ではないどころか、どちらかといえば貧しかった。だから傷はふさがっても、痕が残る事はいつもなので気にも留めなくなった。


 だがアデルハイトは耐えた。耐え続けた。そして、こっそりお金を貯め続けた。父親がいない隙に家と思い出を捨てて、遠い土地で宿を転々としながらも、独学にも関わらず十分すぎる魔法の才能があったので程々の収入を得た。


 十七歳になったアデルハイトが軍ならば給料も高いと聞いて、全財産に近い額で貧民窟に買った我が家(とりで)はどこよりも心地が良かった。暴力に怯えない夜を過ごして仕事が始まるまでの数日を眠る事に費やすほどに。


「思えば懐かしいよ。ここに家を買って三年もした頃には私も魔法使いとして完成されていたから、エンリケを弟子に取ったんだよな。純粋そうに見えたから……いや、実際に純粋なのかもしれないが」


 軍においても優れた実力の持ち主だったアデルハイトは、頑なに昇進を拒んだ。とにかく当時は目立つ事を嫌ったのだ。自分なら出来ると思う事も、他の誰かがやってくれるなら下がる事は多々あった。結果を残せるとしても残したくなかった。そうして名が知れ渡ったとき、自分の父親が現れるのではないか、と。


 暴力に訴えるのは容易い。だが抉られた心を、肉体に刻まれた記憶を忘れる事はできない。いくら力で勝てたとしても、壊れた精神(こころ)は元通りにはならない。


────だから育ててみる事にした。自分より優れた誰かを。


「……なかなか辛いな、裏切られるのは」


 まだ自分には届かない。それでも近くまではやってきた。どんなときも諦めず前に進み続けられる強い精神力を持た者たちだった。きっと彼らがこれからの世界を牽引する希望になるだろう、と心から信じたのに。 


「大丈夫ですよ、アデルハイト様。まだあなたは独りじゃないでしょう。公爵様も、私だって出来るかぎり支えていきますから」


「ふふ、優しいな。お前たちと友人である事を誇りに思うよ」


 ユリシスもエリンも、裏表なく信じて力を貸してくれているのは理解している。だからこそ落ち込んでもまだ立ちあがる気力があった。


「そういえば、どうして公爵様との訓練はやめてしまったのですか?」


 自身の後継者をつくると決めてから、アデルハイトはユリシスも候補に入れていた。だが、ある日から稽古をつけなくなった。


「寂しがってましたよ、公爵様」


「アイツには才能がない」


 きっぱりと言い切ったアデルハイトの表情は明るくなかった。


「決して使い物にならないという意味ではないよ。ただ、もう育て切った。そこいらの剣士だの騎士だのには負けないくらい魔法も剣術も上達してる。だが、それぞれにそれぞれの限界というものはあるんだ」


 公爵家の名に恥じないどころか、誇れるほどの腕はある。とはいえアデルハイトから言わせれば『そこまで』にしか過ぎない。彼が大騎士ジルベルト・ギュンターを超えられない理由は、たしかにあった。


「憧れは敬意とは違う。ジルベルトは世界最強の騎士を目指した。剣を、槍を、斧を、槌を……果てはそのあたりにあるただの棒きれですら、あれは聖剣のように振るうだろう。だが、それは心の奥底にある熱意あってこそ。たとえ悪道に堕ちようと、アイツの胸に秘めた熱は紛いものじゃない」


 間違ってはいない。間違っているとは思えない。ユリシスの願う『守れるような強さ』は、きっと誰もが願うものだ。しかし────。


「ユリシスは良い奴だよ。私の期待に何度も応えようとしてくれた。だけど、それは私の願いに届かない。アイツが守りたいのは世界ではなく私なんだから」


 情に厚く、誰よりも優しいユリシス。ヴィセンテ公爵家の名だたる歴代当主たちは皆が厳格で冷たく、誰にでも手を差し伸べる人間ではなかった。それゆえ怖ろしいと言われていたが、一方で高圧的な態度もなく、むしろ使用人たちは『恐ろしいが仕えるには値する人物』という高い評価があった。


 現当主のユリシスは彼ら歴代当主とは同じにならなかった。幼い頃から穏やかで、虫も殺せないような柔らかい表情を浮かべた。年相応になると女性に対して遊び人かと思う振る舞いを見せる事もあったが、靡いたりはしない。あくまで程よい関係を結ぶに留めていたので、浮いた噂も聞かなかった。


 物腰柔らかで心優しい公爵。それがユリシスだった。


「……知っています。公爵様はアデルハイト様を今も愛しておられます。ですが、どうしてそれが公爵様の中に熱意がない事に繋がるのでしょう?」


「愛情で命は救えない。そんなものは強くなる理由にならない」


 向けられる好意は嫌ではない。むしろ嬉しいくらいだ。しかし、それがユリシスを強くするわけではない。誰かの傍にいたいからと剣を振るだけでは強さには繋がらない。『必ず守り抜く』とは『誰よりも強い』という事なのだから。


 見えているものが違う。見えている世界が違う。ユリシスに持てる希望は、自分達が暮らす国を導く事。人柄で、言論で、武力で。あらゆる形で国を正しい方向へ導く力を持っているのがユリシスだ。


「さ、陰気な話はここまでにしよう。私も疲れたから眠り直したい。お前も今日は帰って休むといい。着替えと食料をありがとう」


「わかりました。公爵家にいらっしゃる日を心より楽しみにしています」

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