第61話「発気揚々」
あるいは雪原の女王。あるいは神秘の魔女。あるいは血に飢えた賢者。時代ごとにアンニッキは、その呼称が変わった。大陸制覇の大英雄ディアミドに並び称される歴史に残る伝説。敗北はただの一度きり。
「……右舷、アタシら本気でやらなきゃ死ぬっすよ!」
「分かってるってーの! ウチらで勝てなきゃ姐様しか勝てねーよ!」
焦り────ではない。死を目の前にして覚悟が決まっている。対する強者、命奪わんとする人類の怪物に武者震いするのは、鬼人としての性質か。
「武器がねえんならステゴロっす」
「姐様ほどじゃないけど、やりますか! 久々に!」
二人共が拳をかち合わせて不敵な笑みを浮かべる。ああ、こんなにも心が躍る戦いはいつぶりか。殺されてもいい、殺してもいい。主君に仕えてから抑えてきた衝動が一気に解き放たれた感覚が快感となって全身を駆け巡った。
「フッ……いいねえ、強い子は好きだよ。私も滾ってきた!」
たった三人。しかしまるで戦争の如く雪原は荒れる。視界が遮られたかと思えば晴れ、晴れたかと思えば遮られ。目視するのも難しいが、そんな事は彼女たちには関係ない。気配ひとつで姿をハッキリ捉えられた。
「なんてすばしっこい奴らだ……。こいつら、身体強化の魔法に似た何かを使ってるのか。私のノートを一瞬でも防ぐだなんて」
一瞬。僅かな時間。否、十分すぎる時間。受けたと思えば流すまでの判断は素早く的確だ。左舷、右舷ともにダメージは確かに負っているものの、全て軽傷に留めている。二人共がヒートアップして、むしろさらに強くなっている。
「左舷……ううん、紅ちゃん。アレ、そろそろ使わないと無理じゃない?」
「っすねぇ……。コイツを倒すにはそれしかなさそうっす」
「じゃ決まり。じゃあ、一気に決めちゃいましょー!」
揃って、足を大きく広げ、腰を深く落として姿勢低く。握った拳を下ろして、すうっと息を吸い込んでゆっくり吐いた。
「ウチから行くっす」
「おう。行ったれ、紅ちゃん!」
何を仕掛けてくるのかと身構えた。何があろうとも対応してみせると思った瞬間、異常を察する。左舷から放たれる気配が、あまりに巨大で重たく見えた。息を吸い込む間もなく、まっすぐ突っ込んできた左舷はまるで大地そのものが迫ってくるかのような圧を感じた。
「────っ!?」
自身の魔力の刃を信じて正面から切り裂こうとしたが、アンニッキの剣は皮膚から肉を切り裂いただけで骨までは届かず、痛みすら感じていないような左舷の変化のない、敵を見据えた表情にゾッとする。
同時に掌が全身を砕くかの衝撃を伴ってアンニッキの体へ打ち出された。かつてない重み。かつてない痛み。五臓六腑、あるいは血液の全てが口から吐き出されたのではないか。理解すら追い付かない。雪深い平原が、アンニッキの背後にまっすぐ道を開く。
吹っ飛ばされ、地面を強く一度跳ねた直後────今度は右舷が待っている。しっかり受け止めて、軽く飛び跳ねてから地面に思いきり叩きつけた。一瞬、意識が飛んだ。全身を強く打ち、地面は広く亀裂が入った。
「驚いたっすね。これで人の形保ってるんすか?」
「でもほら、意識飛んじゃってるから死んだのと一緒だよ」
ドヤ顔をキメる右舷に、左舷も気が緩む。
「そっすねぇ……。アレ……でも変っすね。だったらなんでこの領域が消えてないんすか? 術者が気を失ったんなら持続するはずが────」
突然、左舷と右舷の背後から尖った巨大な氷柱が腹を突きさす。気が緩んでいた瞬間。肉体を限界まで強化していた二人の油断が、アンニッキに隙を与えた。
「ぐっ……ちょっ、嘘でしょ……!?」
「死んだふりとかサイテーっすよ……!」
倒れていたアンニッキの口元がゆがんで、くっくっと声が漏れた。
「ここは戦場だ。気を緩めた方が悪いんだよ、お嬢さんたち」
貫いた氷柱が、二人の体を氷漬けにしていく。アンニッキの魔法は外側だけでなく貫いた氷柱から肉体の内側まで凍りつかせてしまう厄介な能力を秘めている。下手に動けば、凍った手足は砕けて落ちるだろう。
「やれやれ、なんてバケモノだ。腹に穴が開いてるってのに、ちょっと隙を見せたら今にも氷を砕いて私の首を獲るつもりなのが伝わってくるよ」
「当然っすね……。簡単に諦めるほどアタシらは弱くないっす」
最後まで戦おうとする気迫に、アンニッキはやはり笑った。
「いいね~、君たちの首を斬り落としてアシュラに見せつけてやりたいくらいだ。二十年前の怨みを晴らす良い機会になる。……だけど、そうすると厄介でね。アデルハイトとディアミドはそういうのが大嫌いでさ。負けを認めてもらえると助かるんだけど、如何かな? 私としても結構限界だしねえ」
話しながら、ゴボッと口から多量の血を吐く。いくらアンニッキでも左舷と右舷の全力の一撃は肉体の形を保つので精いっぱいで、内部への甚大な被害は免れない。手遅れになる前に殺して道連れにするか、引き分けにしてどちらも生き残るか。二択を迫ってみると、左舷と右舷は顔を見合わせてから────。
「……認めるっす。アタシらの負け。ま、悪い気はしないっす」
「あ~あ、これで生涯三度目の負けじゃん。サイアク。だけど最高!」
楽しそうに笑う二人を見てアンニッキも呆れながら愉快に思う。
「殺すのを楽しむ奴は五万と見てきたけど、こうまで清々しい奴初めてだ。君たちとは存外、良い友達になれそうな気がするよ」




