第5話「胸に刺さる後悔」
相変わらず頼もしい男だ、と頷いて返した。数少ないアデルハイトの本当の姿を知る者のひとりであり、常に献身的に尽くす優しさは他の誰にも代えがたい信頼感を与えてくれるものだ。安心して送り出して、ユリシスが派遣してくれるメイドを待つ事にして、しっかり戸締りをする。
ひとりぽつんと過ごす間、得た情報を整理してみる。
「(……私は間違いなく、一度は死んだのだろう)」
夢ではなかった。背中を向けた瞬間に受けた奇襲。油断していた。大切にしてきた弟子がそんな事はするまいと気を許した結果だ。殺気に気付いて振り返った瞬間には腹に風穴を開けられ、頭部に打撃を受け、腕を折られた。
脅迫には応えなかった。弟子たちが如何なる願いを持っていたとしても、目的のためなら容赦なく過ちを犯せると言うのなら、どうあれそこに正義はない。許していいはずがないのだ。
それにアデルハイトにはある程度の願いに対する予想があった。特に大魔導師エンリケは厄介だ。知る限りでは最も勤勉で魔法に対する情熱が誰よりもあったが、その思考はかなり歪とも言えた。
『僕の夢は魔法使いの極致。つまりは全知全能の魔法使いになる事です。あらゆる魔法を網羅し、全てを得るためには全然時間が足りませんけどね』
そのときは立派なものだと思った。賢者の石でもあればな、とふいに馬鹿げた話をするつもりで言ったのが、そもそもの間違いだった。とはいえ起きてしまった事をやり直す事はできない。できる事があるとしたら────。
「……エンリケだけは、この手で殺すしかない。だが今は絶対に無理だな」
体は以前よりも幼いながら健康的。魔力も全盛期であった二十九歳時と比べて、さらに増えている気さえする。制御にも問題ない。理由こそ分からないが『かなり調子が良い』と自信を持って言えるレベルだった。
なのに出力がいくらか落ちている。魔力は有り余っているし不調もないのに、吐き出せる魔力は以前より少ない。原因がハッキリするまでは弟子たちの誰か一人でも相手にするのは難しい。まずは味方を増やす。それから万全な状態の魔力放出を可能に戻さなくてはならない。
当面の目標は公爵家の身分を得て魔法学園を卒業する。多少派手に目立ったところで、監視が付いても躱す方法はいくらでも考える時間はあるし、五年後に十三歳になってアデルハイト・ヴァイセンベルクが現れたとは誰も思わない。
名前が同じなだけの他人の空似。緻密に計画を練っての実行。考えるべくもなくエンリケは家ごと焼き尽くしたはずだし、なによりエステファニアによって頭部は完全に破壊された。迫ってくる棘付きの鉄球を思い返して身震いする。
「(やだやだ。自分の頭が潰される瞬間なんて思い出したくもない)」
はあ、と溜息を吐いてテーブルに突っ伏す。このまま『アデルハイト・ヴィセンテ』として生きていくのも、きっと悪くはないだろう。しかしそれは許されない。自分には責任がある。世に送り出してしまった、これから怪物になるであろう者たちを野放しにしてはいけない。そう遠くない未来で必ず賢者の石の製造方法に辿り着く。それでは手遅れだ。大陸の人々の命など、彼らには軽いのだから。
「……なんでこうなっちゃったんだろう」
ただ普通に暮らしたかっただけ。手塩にかけて育てた可愛い弟子たちに裏切られて命を落とすとは、今でも信じたくない出来事だ。
うんざりする。積み上げてきたものは全て無駄だったのかと疑いたくなるほどに悲しくなった。これが大賢者に至った者の末路なのか、と。
『君は優しいよ、アデル。それは正しい事だ。だけど正しい事だからといって、常に希望のある場所へ君を導くわけじゃない』
いつだったかアンニッキにそう言われていたのを思い出したアデルハイトは、嫌な気分になったと深いため息を吐く。色々と考え事をしているうちに、そのまま目を瞑ってすうすうと寝息を立て始めた。
訳の分からない出来事に頭を使ったせいか、疲労に圧し潰されていた。目を覚ましたのはそれから数時間して外が暗くなった頃。扉を小さく叩く音に起こされたときだ。ユリシスの送ったメイドが着替えを持ってやってきた。
「アデルハイト様、私です。エリンです」
あまり目立たないようにするためか、声は小さい。眠たい目を擦り、玄関の鍵を開けて外に立っている見慣れたメイドの姿を確認する。
「やあ、エリン。寒かっただろう、中に入ってくれ」
迎え入れられたエリンが、アデルハイトをじろじろ見ながらトランクをテーブルに置いて、留め具を外しながら────。
「いやはや、たくさん服を用意してきた甲斐がありますね……」
背筋がひやりとする。獲物を狙う獣の目だった。
「公爵様から十三歳くらいの可愛い娘になってたとお聞きしまして色々と持ってきたんですが、いかがでしょう。こちらのロリータファッションとか」
頬を緩ませてにじり寄ってくるエリンの頭を引っ叩く。
「置いて帰れ。適当に着やすい奴だけ出すから」
「そんなご無体な! せめて一着でも着替えませんか! 目の前で!」
「いやだ! 私にそんな趣味はない!」
わかったら失せろとでも言わんばかりにトランクの中から無地のワンピースを取り出して「こういうのでいいんだよ」と呆れつつ、着替え始める。明らかにエリンがアデルハイトを着せ替え人形にする意図で持ち込んだ可愛い系のファッションセンスにはうんざりさせられた。
「残念です……。それにしても随分若返られましたね」
エリン・ジャーニーは公爵家の若いメイドで、アデルハイトの事情を知る数少ない友人だ。傷だらけの体を見て、悲しそうな表情を浮かべた。
「小さい体だと酷いものだろ。割れた瓶で掻かれたときが、まあ中々に痛かったよ。中身が少し前まで入ってたから、傷にアルコールが沁みた」
「聞くだけでも胸が潰れそうです。本当によく生きてらっしゃいました」
優しい言葉にアデルハイトはニカッと笑って────。
「ああ、流石だろう。おかげで元気いっぱいさ」