第51話「左舷と右舷」
ローブで顔を隠していても分かる肌の色。赤い肌と青い肌。立っているだけで全身がびりびりと衝撃を受けたような威圧感に包まれた。
「あれが……。あまりに桁外れだ、あの気配は」
「そうさ。だから下がってろ。今のお前で敵う相手じゃねぇ」
警戒してアデルハイトの前に立つ。命を賭して守る覚悟だ。しかし、サゲンとウゲンと名乗る鬼人からは、まるで敵意や戦意を感じなかった。
そのうち、傍に二人を置く最も気配の小さな何者かがフードを脱いだ。
「なんだ、意外とあっさり結界が開くもんだな。頑丈だと聞いてたのに」
ニヤニヤと笑って素顔を晒したのはケイシー・シャーウィンだった。以前に比べて顔つきが悪辣に変わっており、雰囲気もどろどろと黒いものだ。見せびらかすように察知できる魔力も、本来とは大きく逸脱した大魔導師クラスのもので、並の魔導師では手も足も出ないほどの力を手にしていた。
だが結界を壊したのは彼ではない。隣にいた赤い肌の鬼人がぽつりと言った。
「アタシらにとっちゃ薄い壁っす」
「感謝してほしいなあ、手伝ってあげたのにィ」
青い肌の鬼人に頭をガシガシと撫でられると、ケイシーは強く叩いて払いのけ、ちっと大げさに舌打ちをして睨んだ。
「鬱陶しい。エンリケさんに言われて来ただけのくせに!」
「てめえで壊せたような言い分っすね。嫌な奴」
睨み返されてケイシーは小さくびくっと跳ねた。
「そこまでにして、左舷。どうやらちょうど獲物の前に来たみたいだし」
「本当だ。裏切り者のディアミドがいるっす」
サゲンとウゲン。二人の視線が絶対強者を捉える。
「おい。俺の手伝いに来たのに勝手な真似はするなよ。まずはアデルハイトだ、あいつから殺さないと俺の苛立ちが収まりそうにない」
ディアミドの背後に見つけたアデルハイトを見てニンマリと歪に笑う。数日掛けてさらに力を蓄えてからやってきたケイシーには勝利への確信があった。
「おい、こら! 何者だ、どうやって侵入した!?」
一人の魔導師が息巻いて近付いていく。クリフトンだ。結界を壊してきた侵入者に詰め寄って、生徒たちが狙われないように自ら囮になろうとした。
「ちっ、うるせえなあ。おたくみたいな雑魚に用はないんだよ」
手を構えた瞬間、魔法陣もなく火球が飛んだ。直撃すれば大爆発を起こす炎の上位魔法。実力の差に加えて油断をしていたのもあってクリフトンは対応が間に合わなかったが、割って入るように地面から現れた氷の壁が火球を相殺する。
「おっと。随分と血気盛んなお子様だ、ケイシーくん」
「これはこれはアンニッキ先生。まあ待ってろ、アデルハイトの後に、おたくも殺してやるよ。以前までの俺とは違うってところを見せてやる」
挑発を受けたアンニッキは、じろじろと横の二人と見比べた。
「……君、よくその程度で言えたね?」
「なんだと!?」
「ああ、馬鹿にしたわけじゃなく。アデルハイトにも程遠いなって」
「っ……! よくも言ってくれたな……!」
挑発で返されて標的をアンニッキにあっさり変えてしまう。アデルハイトが目配せするも、アンニッキは首を横に振った。なぜケイシーが現れたのか、考えるべくもなくエンリケの差し金だと気付いていた。
「(今ここでアデルハイトを戦わせるわけにはいかない。彼女の実力が不透明なうちはエンリケも余計な行動は起こせないし、私が────)」
目の前に巨大な金棒が迫って、アンニッキは咄嗟に氷像の身代わりと入れ替わって躱す。自身を象ったものが粉々に砕けるのを見て顔が引き攣った。
「冗談じゃない。私を肉団子にでもするつもりか?」
「あんたみたいなバケモノに邪魔はさせないっす。この左舷紅梅の名に懸けて、アシュラの姐様のために、あんたらの相手はアタシらがするっす」
フードが脱げて、右角の折れた赤い肌の鬼人が名乗る。紺碧の瞳にアンニッキを映して、先ほどまでは秘めていた戦意を強く宿していた。
「これは困った。……どうしようか、アデハルイト!」
遠くで見守っていたアデルハイトが首を横に振った。
「構わないよ、私がケイシーの相手をしよう。ただし鬼人なる者たちについては、ひとつ私から頼みたい事があるのだが構わないかな?」
青い肌の鬼人、ウゲンが金棒を地面に突き立てて頷く。
「おうともさ。聞ける事なら聞いてあげるよ」
「では決闘で私が勝てば大人しく帰ってもらえるだろうか」
何を馬鹿なとケイシーが横で肩を竦める一方で、青い肌の鬼人はニコッと笑って当たり前だと言わんばかりに強く親指を立てる。
「もち! 戦いに来たわけじゃないんだよ、ウチら。てことで右舷蒼姫の名に懸けて、その提案を受けてあげちゃおう!」
腹立たしそうにケイシーが口をぱくぱくさせて怒るも、右舷に笑顔のまま睨まれてはどうしようもない。殺そうと思えばケイシーなど殺せるし、邪魔をさせないし邪魔をしないと誓っていてもあまりしつこいと潰して帰るつもりだ。
「うむ、ありがとう。誇り高い鬼人の戦士に敬意を。────そして、ケイシー・シャーウィン。お前には少し灸を据えてやらねばなるまい」




