第4話「ヴィセンテ家の養女」
魔法使いとしての頂点はアデルハイトだ。しかし、だからといって世界最強の存在ではない。自身も『まあ負けはしないと思うけど、かといって勝てる気もしない』と考えるほどの傑物を何人か知っている。
「そんな連中がいるなら、なんで魔界の門を閉じるのに手を貸してくれなかったんだ。大勢の命が奪われたっていうのに」
「言ったろ、世俗に興味がない。だから心変わりさせる必要がある」
どこかに紙とペンがなかったかと引き出しを漁って鉛筆を握り、床に積んであった資料の裏面にガリガリと書き殴っていく。
「まず最初にアンニッキ・エテラヴオリという女を訪ねろ。北の大地にある小さな村で暮らしてる。地図を描いたから、手土産に高い酒を持っていけ」
「わかった。……だが、なんで高い酒を?」
うん、とひとつ頷いてアデルハイトは答えた。
「とんでもない酒好きでね。寒い土地だから体を温めるという理由もあるみたいだが、基本的には飲みたいだけだ。酒さえあれば話を聞いてくれる」
そんな英雄候補がいてたまるか、と思いながらもユリシスは半信半疑だったが、受け取った。困った事にアデルハイトが嘘を吐いた事はないからだ。
「まったく、そんな奴が英雄より強いなんて思いたくないな」
「ハハ、同感だよ。だが彼女は本当に凄いんだ」
無邪気な微笑みなど滅多に浮かべない。そんなアデルハイトが心から信頼を置くのだろう、アンニッキという女性がユリシスは少し羨ましく思う。
「それで、お前はこれからどうするんだ。言っておくが俺も頻繁には会えない。このまま貧民窟で隠れて暮らすにも、その若さじゃ目立ちすぎるだろ」
「う、む……。それもそうだ。どうしたらいいかな」
十三歳の若さで誰の教えもなく魔法を使えるなど常識では考えられない。ましてや貧民窟で過ごす人間ともなれば、なおさら魔力さえ操れないのが普通だ。小さな体では本領発揮も出来ない以上、安全とはいえない貧民窟を拠点にするには無謀が過ぎる。かといって他に場所を買えるほど金も持っていない。
腕を組んで、うんうん唸って眉間にしわを寄せた。
「なんだ、まさか行くところがないのか?」
「だって森に買った家まで爆破されたんだろう。金もないんだぞ」
「……まあ、うん。じゃあ俺の屋敷はどうかな」
「どうやって。このみすぼらしい娘ひとり連れて行くと?」
「いや、身分を偽造しよう。その方がお前も動きやすいはずだ」
都合から言って、本名のアデルハイト・ヴァイセンベルクを名乗るわけにはいかない。あからさまに『自分はここです』と敵を叫んで呼ぶも同義だ。ならば、それ以外の名前を用意してしまえばいい。ユリシスにはそれが出来た。
「俺の支援する孤児院に協力を仰いで、お前を養女として迎える。髪の色も違うのに染めて、これからはアデルハイト・ヴィセンテと名乗るんだ」
名案すぎる名案、とばかりにアデルハイトも手をぱちぱち叩いて喜ぶ。
「おお。実に公爵らしい、なんという職権乱用」
「褒めるのか貶すのか、どっちかにしてもらえる?」
「何か悪い事言ってしまったのか……。とにかく、助かるよ」
「まあ、いいよ。そんなに気にしてないし、本題があるんだ」
養女に迎えるまではいい。その後が問題だった。
「お前には魔法学園に通ってもらう事になる」
「ああ、あの魔法使いの養成所……うん、なんで?」
「天才でも念のために学園には通ってもらわないとな」
魔法は便利であると同時に人の命を奪う事もある危険なものだ。そのため十三歳から十五歳になった才能ある子供は必ず魔法学園に通って魔法の基礎を学ぶ義務が生まれる。いかに才能があれど、器として未熟な子供たちが高い魔力を保有していた場合、扱いきれずに暴走あるいは無意識に攻撃してしまう事がある。
アデルハイトが子供の頃に家を飛び出して魔法で金を稼ぐといった行為に出られたのも、彼女の天賦の才という奇跡があったからに他ならない。
「残念だけど公爵家が身柄を預かるうえで、お前が『天才だから大丈夫』なんて判定は出せない。高い魔力を発現させるだけでも奇跡みたいなものなんだ、公爵家の名誉のためにも、そこは諦めてもらえると助かる」
魔法学園などで何を学ぶ事があるものかと拒否される事を前提に、まずは軽い交渉からとでも思ったユリシスだったが、意外にも返事は快いものだった。
「なるほど、ただでさえ身分偽造するんだから、あまり派手に公爵家の権力を振りかざすわけにもいかないんだな。だったら問題ない。むしろ嬉しいくらいだよ、昔は学園に通う金もなくてちょっと憧れてたんだ」
「悪い、嫌な事思い出させてしまったかもしれない」
あまりに寂しげな表情を浮かべるもので、心から申し訳なくなった。
「いやいや、気にしないでくれ。とはいえ身分を偽造するまでに時間が掛かるんだろう。ここで数日くらい待っていればいいのかな?」
「そうしてもらう事になる。メイドに着替えと食料も用意させよう」
話が済んだら、ユリシスは窓から外の様子を窺う。
「楽しみに待ってろ。必ず良い知らせを持って来る」