第43話「殺させやしねぇよ」
アシュラと名乗った女の殺気が強まる。何がそうさせるのか、跪きそうなほどの恐ろしさを感じた。それでもキャンディスは影の中に潜った。
「(わかってる。アタシでは勝てない。でも逃げるのも無理。結界の外に出ようとする間に、このバケモノに殺される。だったら────!)」
立っていたアシュラの足下から四方に影が伸び、同時に黒い影となって分身した四人のキャンディスがナイフを握りしめて飛び出す。
「アタシの刃はあらゆるものを絶対に切り裂く! たとえどれだけの身体強化を施したとしても防ぎようなんてない!」
「そうかい、じゃあ喰らわなきゃええんじゃろう」
速さでは負けないはずだと自負があった。だが、そうだ。気付くべきだった。初撃を受けたとき、そもそもアシュラに動きが見えなかった。キャンディスは自分でさえ敵の行動が捉えられなかった事実の前に、その圧倒的な強さに囚われた。ほんの僅かな警戒心を持っていれば違ったかもしれない。しかし残念ながら手遅れだった。
腕を組んで立っているだけのアシュラが、ニヤリと笑う。
「────喝ッ!」
あと一歩といったところで、たったひと言強く叩きつけるような大声ひとつで周囲が衝撃波に呑み込まれていく。建物が耐え切れずにバラバラになり、舗装された石の道が剥がれた。無論、影のキャンディスも千切れ飛ぶように消え、本体も全身を襲う衝撃に耐え切れず飛んで転がり、血反吐を吐く。
「……ぐ、が……あ……! 何が、起きて……!」
からんころんと履物が音を立てて寄ってくる。アシュラが倒れるキャンディスを見下ろした。
「終わりじゃ、小娘。何か辞世の句でも聞いてやろう」
ぴくりとも動けないキャンディスの頭を叩き潰そうと袖を肩までまくり上げ、拳を握りしめる。衝撃波によって死に掛けていて、言葉を発する事ができない。それならば楽に死なせてやろうとして────。
「待ちな。俺のダチを勝手に殺させたりしねぇよ」
割って入ったディミアドが振り下ろされた拳を片手で支えて止めた。
「……! てめえ、わちきの邪魔をしやがったな……!」
「動くなよ、アシュラ。ここで暴れんのは互いに不本意だろ。大陸の技術を欲しがって取引しにきたんじゃねえのかい?」
青筋を立ててディアミドに強い殺気を放っても彼はぴくりとも動じない。むしろ逆上するアシュラを説得してみせ、怒りはすうっと鳴りを潜めた。
「ちっ、興醒めだわいのう。好きにせえ、獲物はくれてやる」
「ありがとよ。そのうち本気で遣り合おうぜ」
「クハハ! なんとも男前な奴よ! 言うたな、その約束守れよ!」
強者との戦いが待っていると分かれば機嫌もあっさり直った。もう戦う気はなく、アシュラはさっさと飛び跳ねて、一息に魔塔へ戻っていった。
「嬢ちゃん、大丈夫か。死ぬほど体が痛ぇだろうな。……おう、アンニッキに感謝するしかねぇ。アイツの魔力が守ってたのか」
からから笑って、アンニッキが得意げな顔をするのを思い浮かべる。懐かしい旧友の顔が見たくなったとキャンディスを肩に担ぐ。
「お待ちください、ディアミド殿。それは叛逆者なれば、この町のルールで裁かれなくてはなりません。エンリケ様の命を狙った以上────」
「黙ってろ。俺に指図してんのか?」
集まってきた大魔導師たちが揃いも揃って恐怖に顔を青くして強く言えない。ディアミドが雑務をするのも雇われている間の『暇つぶし』でしかなく、これまで喧嘩を売った数人が殺されないまでも死ぬかもしれないほど痛めつけられたのを目の当たりにしている。大魔導師の称号がただの飾りに思える歴然の差を見せられては、ある程度までは言葉を掛けても、拒絶されると怖くて仕方がなかった。
「勝手に逃がされては困りますね、ディアミドさん」
「よう、エンリケ。コイツを此処に捨てろって?」
「渡せば悪いようにはしません。彼女も十分、痛い目に遭った」
張り付いた笑顔が気に入らない、とディアミドは目を細める。
「ハッ。どうも勘違いしてるみてぇだが、俺は雇われてやっただけだ。方針と合わないんじゃ手を貸す理由はねぇよ。嘘が嫌いな割には、平気な顔をして嘘をつきやがるときた。俺のダチ公だ、連れて行くさ」
背を向けて歩き出すディアミドにエンリケが杖を向けた。
「止まらなければ撃ちます」
「撃てよ。本気で殺せると思ってんならな」
「……仕方ありませんね。どこへ行くかだけ聞いても?」
「答えたら面白くねぇだろ? 自分で探してみな」
フッ、と風に吹かれた蝋燭の灯もかくやの勢いで姿が消える。エンリケが秘かに掛けようとした魔力探知も軽く弾かれた。ディアミドに小細工は通用しない。なんとか行先を探りたかったが、それはできなかった。
「(見当はつくけれど、ようやく賢者の石の製造方法に辿り着いたばかりだ。あまり事を荒立てて全てを水の泡には出来ない。アデルハイトから仕掛けてくるのも不可能だ。こちらには難攻不落の怪物アシュラがいるんだから、落ち着いて研究を進めればいい。まだまだ時間は十分にある)」




