第39話「謝罪」
睨まれて背筋がぞくりとする。とても聞けたものではない。黙って歩けという遠回しな意思表示には過剰なまでの冷たい雰囲気には息を呑んだ。
「好奇心は猫を殺すとも言うだろう。私の詮索はしない方がいい」
「……そうする。でも、あなたがすごく強いのは分かったわ」
「だろうね。そういう話も含めてアデルハイトがしてくれるはずさ」
人目も気にせず学園を堂々と歩き、ヘルメス寮の前までやってくる。閉ざされた門は鍵が開いていて、アンニッキは簡単に足を引っかけて開けた。
「ささ、入りたまえ。状況は思ったより悪い方向へ進んでいるみたいだ。ここからは隠し事などしている余裕もない」
稽古場で特訓に励んでいたシェリアとローズマリーが、アンニッキたちを見てぎょっとする。最初はそこに英雄キャンディスがいる事に目を奪われたが、そのすぐ後に気絶しているワイアットを見て絶句した。
「アンニッキ。戻ってきたのか」
ちょうどローブの襟を正しながら稽古場に向かおうとする途中のアデルハイトが、寮の玄関から顔をのぞかせた。
「やあ、アデル。お土産持ってきたよ」
「……何があった?」
「詳しい事はホールで話そう。皆を集めたまえ」
「わかった、そうしよう」
状況が変わってしまったと認識するまでに数秒も要らない。アデルハイトは内心、寂しくてならなかった。まだたったの数か月ではないか、と。
ホールに仲間たちを集めて気を失ったままのワイアットの様子を見る。既にアンニッキによる治療が済んでいるので、アデルハイトが手を施す必要はない。安静にさえしていればそのうち元気に目を覚ますだろうと判断できた。
「ねえ、お母さん。何があったの、ワイアットさんに……」
「刺されたんだ。そこの英雄様にね」
驚きの視線が集まる中、キャンディスは自分の腕をぎゅっと掴んで視線を逸らす。これは当然の報いなのだと受け入れ、不穏な空気を耐えた。
だが、それ以上に耐えがたく辛いのがアデルハイトの目だった。
「キャンディス。少し痩せたか、可哀想に」
かけられた言葉に驚いてキャンディスが目を見開いた。アデルハイトを殺した張本人。なぜ生きているのかはどうでもよかった。襲った、裏切ったという事実が楔となってずっと胸の中に突き刺さっていたのに、あっさりと崩れた。
「なんで怒らないの……?」
「怒らないさ。ワイアットを助けたんだろう」
ワイアットがなぜ刺されたのに生きているのか。死ぬように見せかけなければならなかった。アデルハイトなら助けられると知っていたからだ。
「どうせ気付かれるとは思っていた。ユリシスのおかげで、少しだけ楽しい時間が過ごせたよ。それよりも知りたい。なぜ、お前が私たちの前に?」
「……それは、その……。御師匠様に謝りたかったから……」
アデルハイトがくすっと笑った。まだ自分を師匠と呼ぶのか、と。
「アタシはお師匠様が大好きだった。それは嘘じゃない。でも不意討ちを仕掛けたのは、お兄ちゃんの事があって、それで……」
「いいよ、知ってる。お前の兄の病は重かったから」
どうしても賢者の石が必要だった。不老不死になれるほどの力を秘めた石の力が僅かでもあれば、兄の病を治せるのだと信じて。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいな。先ほどから事情が見えてきませんわ。時間が許すのなら、まずはわたくしたちに説明をして頂いてはもらえません?」
ローズマリーの言葉も尤もだ。ひとまずワイアットを空いている部屋のベッドに寝かせる事にして運んでから、それぞれが話を聞く態勢に入った。
話すべきだと分かっていても、言うのは簡単な事ではない。彼らを騙していたような後ろめたい感覚に、アデルハイトは申し訳なくなった。
「まず最初に言っておく。私は五年前に殺されたアデルハイト・ヴァイセンベルクという元軍人だ。そして────エンリケたち英雄の師でもあった」
本当かどうかはキャンディスの反応を見れば分かる。静かに頷くだけの姿には誰もが驚いた。只者ではないと思っていても、そこまでとは考えが及んだ事はない。もしかすると大魔導師が気まぐれに潜り込んだのでは程度だった。
「だが五年前、私はエンリケを始めとする弟子たちに殺された。だが、偶然にも五年の時を経て生き返った。……この十三歳の頃の肉体で」
自分でも話していて不思議な気分だった。アデルハイト自身でさえ信じられなかった。これが現実だとはとても思えなかった。だが、紛れもなく存在している。五年の時間を飛び越えて。
「私はいずれエンリケたちと決着をつけるつもりだった。奴らが英雄の座を欲しいままにしていいはずがない。アンニッキは、そのための戦力の一人だ」
嬉しそうにアンニッキが中折れ帽を指先で持ちあげてニヤッとする。
「なあ、待てよ。あんたの話が全部本当だとして……じゃあなんでメイベルさんは此処にいるんだ? 殺した奴らのひとりって事だろ?」
エドワードの疑問は誰もが抱えている。アデルハイトも小さく頷いた。
「それは本人に説明してもらわなくては分からん。だが、事情があったはずだ。私が死んでから何があった、キャンディス」
本題がやってくると決心がついて震えの止まったキャンディスは、はっきりと告げた。罪悪感に圧し潰されそうになりながら。
「お兄ちゃんが死んだ。私のせいで。あなたを殺さなければ助かったのに」




