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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第一章

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第38話「治療は済んだ」

 何を言っているのか理解できなかった。ワイアットを死の淵から引っ張り戻すには、とても並の魔導師では治せない。見ず知らずの実力もよく分からぬ者の治療に期待するべきか、僅かな時間でひどく悩んだ。


「どれどれ、刺し傷か。君の得物の傷口とぴったり合いそうだな」


「……っ!? なんでわかるの……!」


「まあ長年生きてると君では考えられない事もあるだろうね」


 大して話に付き合おうともせず、ワイアットの傷口に手を触れた。淡い光が包み込み、傷があったのかどうかさえ分からないほど綺麗に塞がっていく。同時に顔色も良くなり呼吸が安定する。


「さあ、もう大丈夫だ。あの失血と経過具合から見て、いくら完璧に治療しても二日は安静にしてもらった方が良い。話せる状態でもなさそうだ」


 細身に見えるのに気を失ったワイアットを簡単に抱えあげるので、キャンディスはなおさら目の前の女性が何者なのかと驚愕する。魔法使い、大魔導師としての格が違う。体の内を流れる魔力の気配はエンリケを大きく超えていた。


「名前はなんて言うんだね、ガール。私はアンニッキだ」


「……キャンディス・メイベル」


「おお、あの。君だけは実物を初めて見るけど小さくて可愛いねえ」


 喰われるのではないか。そんなぎらついた瞳をしたアンニッキに、キャンディスは借りてきた猫のように大人しく、身を縮こまらせていた。


「怖がらなくてもいい。君、あれだろ。領地に引き籠ってるってうわさ話は聞いてたけど、なんでまた王都をうろついてるんだい?」


「……アデルハイトに会ってから話す」


 おそるおそるの返答にアンニッキがくすくす笑った。


「いいって、気にしなくて。でも人目につかないところで様子を窺っていて正解だったね。君がワイアットを連れて歩いていたら嫌でも目立ったはずだ」


 そういえばと周囲を見渡す。自然と連なって歩いていたが、普通に大通りを歩いているのに、誰もアンニッキを見向きもしない。大の大人を抱きかかえていれば嫌でも視線が流れるはずなのにだ。


「ありがとう。あなたがいてくれなかったら……」


「血の臭いには敏感でね。しかし私の期待とは違ったかな」


 もしかしたら暴れる良い機会かもしれないと思って顔を出してみれば、戦うどころの雰囲気ではないようだったので少し残念な気分になった。そんな事を口にしたら後でアデルハイトに怒られそうだとおくびにも出さなかったが。


「ついてきたまえ。結界が邪魔で忍び込めなかったんだろう。私がいるから正門から堂々と入っても大丈夫だ。さっきフェデリコも帰ってきたし」


「フェデリコ……。アデルハイトの部下の名前ね」


 いつも傍にいて嫌そうな顔ばかり浮かべていた姿を思い出す。表情の割には、まるで長年の付き合いでもあるかのような関係を構築していたのが、なんとも印象に残っている。優秀な魔導師だと記憶があった。


「そうそう。おっ、いたいた。昼間はよく門の近くで来客がないか見てるんだよ。学園全体を管理する監督官は数人いるんだけど、中でも彼は訪問者を担当してる。こういうときが彼の出番だ」


 暇そうにあくびをしながら立っていたフェデリコが、差し入れのドーナツに手を伸ばそうとしてすぐ横に現れたアンニッキを見てビクッと体を跳ねさせた。


「なっ、ななな……!? 驚かさないでくださいよ、心臓に悪いなァ!」


「まあまあ、もっと驚く事あるから先に言っておくよ」


「で……え……!? フリーマンに何かあったのですか!?」


「今は黙って通してくれないか。アデルハイトに会わないと」


 隣にいる小さな少女。キャンディスを見て三度も目を白黒させる事態に。何か大きな事があったに違いないと入口の結界を解いて中に招き入れる。


「悪いね。ここから先は何も見なかった事にしてくれたまえ。アデルハイトに関わる重要な話だが、あまり深入りすると君まで狙われかねない」


「はあ、そうですか。しかし責任というものがありますので……」


 ドーナツの入った箱のふたを閉じて手に抱えながら。


「実は少し前にアデルハイトの事を口外しないよう頼んだばかりなのです。お見舞いくらいさせて頂きませんと、私の寝覚めが悪くなってしまいます」


「君は分かってないねえ……。ま、いいか。責任は自分でとりたまえよ」


 事情の通じたフェデリコは既にエンリケが注意深く観察している人間のひとりとアンニッキは考えている。もし深入りすれば死ぬかもしれないと、そこまで考えているのだろうかと呆れてしまった。


「さあ、アデルハイトに会いに行こう。きっと驚くはずさ」


 前を歩くアンニッキの後ろで、キャンディスがフェデリコに尋ねた。


「彼女は何者なの。あなたアデルハイトの部下でしょう?」


「わざわざ上官の交友関係まで知りませんよ」


「治療魔法を完璧に使いこなしてたわ。ただでさえ数が少ない分野なのに」


「すみません、他人のプライベートには踏み入らない主義ですので……」


 歩きながらアンニッキが二人の会話に振り返った。


「聞こえてるからね。知りたいなら教えてもいいけど後悔するなよ」

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