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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第一章

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第36話「忍び寄る邪悪」




「先輩、お久しぶりです」


 軍本部の執務室で事務仕事に勤しむワイアットのもとへフェデリコがやってくる。片手にはおしゃれな店名の書かれた箱を持っていた。


「奥様にお土産です。娘さんが産まれたのに大したお祝いも出来ず」


「お前はそんな柄じゃないだろう、フェデリコ。他の奴らは元気にしているか。特にアデルハイトはどうだね。あれから発作は?」


 フェデリコは残念そうに微笑みながら首を横に振った。


「出ていませんよ。少しは痛い目にも遭ってほしいものですが」


「なぜそうも仲が良いのかは知らないが、勘弁してやれ」


 箱を受け取る。中身はマカロンだと言われて確認はせず机の隅に寄せた。


「ところで何か用件があったんだろう?」


「ええ。実は半月ほど前、学園にエンリケ・デルベールが来たそうです」


「……ほお、珍しい。それがどうしたんだ、視察なら良い事では」


「ケイシー・シャーウィンが魔塔に引き抜かれたそうです」


「あの子が。あの五人の中では、とても魔塔に入れる腕はないだろうに」


 才能がないとは言わない。ただ大魔導師になれる確率は低い。ワイアットの評価も、ケイシーに対しては厳しいものだった。伸び悩むときがくる、と。そんな少年がどうやってエンリケに見いだされたのかが分からなかった。


「ま、なんにせよめでたい話だ。どれ、何か祝いの品でも贈らないと」


「先輩。あなたを信じてひとつ御願いがあるのですが」


「……? 腐れ縁の頼みだ、聞いてやってもいい」


「ではアデルハイトについては誰にも話さないでいただきたい」


 書類に署名する手がぴたりと止まった。


「アデルハイトに何か問題でもあるのか」


「理由は言えません。ですが彼女の事が知れて困る事があります」


「ふむ。もし私が知る理由なのだとしたら問うまい」


 席を立ち、フェデリコの肩をポンポンと軽く叩く。


「私の生徒の事だ、何があっても話さないよ。心配するな。これから第二魔導隊の指揮官殿と会食の予定があるから今日は帰りなさい」


 何か意味があるのだろう忠告を胸に留めて執務室をあとにする。


「(アデルハイトか……。そういえば彼女のプロフィールについては詳しい事は調べても分からなかったな。オリオール孤児院の出身というだけで、他には何も。もしかすると父親の事もあって、公になったら困る事があるのかもしれん)」


 虐待を受けていたのを知っているだけあって、我が子の事のように心配だった。もしかしたら夜もああして魘されたりしていないだろうか。他の教師に対しても同様に怯える事があれば、何か手を差し伸べてはやれないか。最初はそんな事も考えたりしたが、フェデリコが仲が良いので安心して任せていたところもある。その本人から口外しないでくれと言われて、口を滑らすわけにはいかない。


「フリーマン殿、こちらにいましたか」


「うむ。これから指揮官殿と食事の予定だが、どうした?」


「それが執務室に呼ぶように言われまして」


「わかった、そうしよう。ご苦労だった、仕事に戻ってくれたまえ」


 部下に声を掛けられて行き先を変える。珍しい事もあるものだと上司の待つ執務室へ向かい、扉の前に立ってノックしようと手を構えたところで固まった。


「(……なんだ? 妙な感じだ。叩いてはいけないような……)」


 不穏な気配。長年の経験が、彼に危険を予測させる。しかし、問題はそこが自身の領域(テリトリー)であった事。そこに小さな油断を生んだ。


「失礼します。執務室に来るよう言われてきたのですが……」


 部屋の扉を開けて一歩入った瞬間、ぞわっとする。執務室の立派な椅子が背を向けていて、くるりと回って見えたのは違う人物だった。


「お久しぶりですね、ワイアットさん。御元気でしたか?」


「……エンリケ。指揮官殿はどこに」


「理由あって席を外してもらいました。二人で話がしたくて」


「そんなに私と君は仲が良かったかね」


「ははは、互いに腕が近い者同士ではありませんか」


 机に肘を突いて手を組み、ニコニコとエンリケが微笑んだ。


「実は少し前、あなたの担当した生徒の方から魔塔へお誘いした子がいたんですが、他にも有能な子を何人か見掛けましてね。ぜひ話が聞きたいと」


「それなら別の日でも良かったはずだ。わざわざ今日の必要が?」


 奇妙な雰囲気に警戒して杖を取り出すか迷う最中、エンリケが言った。


「アデルハイト・ヴィセンテ。彼女について何か知りませんか」


 この事かと直感する。理由は分からないが、フェデリコはエンリケからアデルハイトを守ろうとしていたのだ。わざわざ頼みに来るほどなのだから、よほど何か大きな問題があるのだと理解して鋭い表情を作った。


「悪いがよく知らないな。少し生意気な割には大した腕のない子だったよ。アデルハイトのどこが気に入ったのか聞いても?」


「……そうですか。いえ、他の子と比べて魔力が見えなかったもので」


 席を立ち、エンリケは書類を一枚手に取った。


「アデルハイト・ヴァイセンベルク。こちらの名前に聞き覚えは?」


「あの軍部にいた中級魔導師か。階級も大した事がなかったはずだが」


「ええ。ですが腕は一流でした。なにせ────私の師だったもので」


 一瞬、驚きの表情をワイアットが浮かべた。アイツが、と合点のいった瞬間の気配をエンリケは見逃さない。可能性の線が繋がった。たとえかつての師と違う魔力の性質だったとしても。


「……ねえ、ワイアットさん。僕は誰かに嘘を吐かれるのは嫌いなんです。そんなとき、どうすると思います?」


「何を言っているか分からんが、そこから動かん事だ」


 素早く手の中に杖を召喚し、強く握りしめた。かつてない殺気。人々の知るエンリケ・デルベールとは違う恐ろしく冷たい気配に身構える。


「あなたは僕の次に優れた魔導師だ。認めましょう。でも、そうであるだけで何の価値もない。此処で戦うのは、得策ではないと思いますが?」


「だとしてもだ。お前が狙う相手が私の知るアデルハイトなら、生徒に手出しをさせるわけにはいかん。たとえここで暴れようともな」


 向けられた敵意にエンリケが肩を竦めた。


「僕はここで暴れたくはないんです。関係ない人まで巻き込んでしまうのは不本意だ。ですから────大人しく死んでください、ワイアットさん」

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