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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第一章

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第35話「万全な備えを」

 心強い言葉に安堵する。アンニッキ・エテラヴオリは確かに狂人な側面も持つが、基本的に不興を買わない限りは普通の人間と同等に優しさも持っている。アデルハイトが信頼を置くのも、それが大きな理由だ。


「さあさ、近くに良いお店を見つけてる。学園内のカフェだと侮っていたけど、そのへんで買うよりもずっと拘っていて気に入ったんだ」


 アデルハイトの手を引く姿は母親を想起させる。顔もよく覚えていないのにその姿が重なって、心の中をかき乱していた感情が蕩けていった。


「どれがいい? 私はこっちの黄色い奴にしよう」


「私は普通の奴で。このボールのは?」


「カラフルだねえ。可愛いからこれも買っていこう」


「財布、大丈夫なのか」


「問題ないとも。こう見えて結構稼いでるから」


 長方形の箱が三つ。アデルハイトにひとつ持たせて歩く自然な流れに、きっとカイラにもそうしてきたのだろうと微笑ましくなった。


「ところでアンニッキ。聞き忘れていたんだが、お前死に掛けたと言っていたよな。十年以上前だとしても、神秘の魔女であるお前が誰にやられる事があったんだ」


 アンニッキが空を見上げながら思い出す。


「あぁ、それね。私もよく分からない奴だった。頭に二本の角が生えてて、肌の色が綺麗な奴の両隣に、青いのと赤いのがいた。風変わりな民族衣装を着てて、そんな姿をしておいて自分達は魔族じゃないって言うんだぜ。びっくりだよ」


 手も足も出ないとはまさに此の事かと思うほど完膚なきまでに叩きのめされ、挙句の果てには命も取らず『弱すぎて殺す気にもならねえ』とまで言われた。それが生まれて初めてのプライドをズタズタにされた瞬間だった。


「強い奴だったなぁ。ソイツが領域魔法みたいなものを使っていたのも覚えてる。私の領域魔法も、それを見てさらに改良を重ねたんだよ」


「お前が他人から学ぶとは珍しい。領域魔法みたいなものとは?」


 思い出してもハッキリ分からない。アンニッキは自身がアデルハイト以上に魔法の知識は持っていて巧みに操れるという自負があったし、そのうえで神秘の魔女の名を否定しなかった。だが、相手のそれは初めてみる力だった。


「あれは魔法と言うより能力だ。生まれ持った力。他の力を使うのに、一切の干渉がないというか。おかげで私の領域魔法はさらに魔力の削減を行いながらも強度を増す方法が見つかって、今は感謝してるほどだ」


 また会えるなら会ってみたいと言うが、どこの誰かも分からない。少なくとも大陸全土を長く生きて来て、一度も見た事がない存在だった。


「あれも血の臭いが酷い連中だった。エンリケ以上に」


「……そんなのがいるとは思いたくないが」


「だねえ。話も通じるだけに懐柔できたら心強いだろうけど」


「敵に回したくはないな。ま、それきり現れてないんだろ?」


「うん。視察がどうとか言ってたのは覚えてる」


 寮の前まで来て、門を足で開けようとして格子に足を掛ける。


「だけど目下、私たちが考慮すべきはエンリケを含む四英雄。おそらく大騎士ジルベルトも、聖女エステファニアも以前より力をつけているはずだ。例のキャンディスだっけ。アイツは田舎に引き籠ってるらしいけど油断はできない」


 暗殺者キャンディス・メイベル。アデルハイトが拾うまでは大怪盗とさえ言われた人間だ。罪人でありながら英雄でもある。自身の領地に引き籠って出てこなくなったのが最愛の兄の死である事は、多くの人々が知る話だ。


「賢者の石は死者をも蘇らせるほどの力を発揮するとも言うからね。バレたら敵に回るかもしれない。ケイシーを連れて行った理由は分からないが、何か計画があっての事だと思う。ここも安全じゃなくなるかもね」


「嫌だな。私は結構気に入ってるんだが、この学園生活」


 二ヶ月を過ぎて、やっと周りの素顔というものが見えてきた。シェリアは気が強く、不安定な過去を抱えながらも前向きに努力している。ローズマリーは天真爛漫で家柄を振りかざす事のない正義感の強い少女だ。エドワードはさぼり癖があり、本気で大魔導師になろうとは考えていないが、かといって興味がないふうでもなく才能は他の追随を許さない。


 他の寮生たちもうわさ話は大好きだが、遊びにばかり興じている事もなく、大体耳にする話題は魔法についてばかりだ。誰も彼もが魔導師の卵としてすくすく育っている。なんとも微笑ましく温まる場所。アデルハイトにとってのオアシスだ。それを汚されたり、壊されたりするのは想像するだけでも気分が悪い。


「だったら守り通さなくちゃね。でも正直言って、この国も危ういと思うよ。大陸制覇したのも随分昔の話で、今は北の大帝国と南の砂漠に暮らす民が虎視眈々と制覇の機会を狙ってるとも言うし、情勢は怪しいものさ」


 寮生たちが玄関で待っているのを見てアンニッキはドーナツの詰まった箱を高く掲げて手を軽く振った。


「エンリケやエステファニアが彼らと手を組んでいないとも限らないし、私たちは最大限の警戒をしながら彼らの襲撃に備えよう。それが最善だ」

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