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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第一章

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第33話「探り合い」



 学園生活が始まって、アンニッキが来てから二ヶ月が過ぎた。特におかしな出来事もなくユリシスからも無事に帰還したという手紙をもらった。アデルハイトが決闘に負けた噂は、もう誰も興味を失くしていた。


「すっかり暑い日が続くようになりましたわね。流石は六月ですわ」


「お前はなんで嬉しそうなんだ。他の連中は今にも死にそうだが」


 ひまわりもかくやの夏の歓迎ぶりを見せるローズマリーをよそに、指導員のアンニッキを筆頭としてヘルメス寮は地獄に落ちたかの如く稽古場で何もやる気がないといった空気に満ちていた。


「わたくしは夏が好きなんですの。この体をちりちりと焼く感覚……汗ばむ体……ああ、夏でしか味わえない、まさにこの季節の醍醐味!」


「そうか、私は冬の方が好きだな。この暑さは喉が渇いて仕方ない」


 うんざりする季節。眩しい陽射しに目はチカチカ、暑さに喉はカラカラ。体温の上昇によって感じる気だるさが、やる気を削いだ。


「この様子だと今日は模擬戦はないかもしれませんわね」


「ああ。ヘルメス寮の中にも稽古場があればいいんだが」


 おいそれと領域魔法を使うわけにもいかないアンニッキは、着古して伸びきったタンクトップとショートパンツというだらしない姿でベンチに寝そべっている。雨でも降らせてやろうとしたがローズマリーに必死になって止められてしまい、仕方なく指導を中断して休息を取っていた。


「アンニッキ、しっかりしろ。朝から酒なんて飲むからそんな事に」


「うるさい、あれは私の元気の源だ。大体なんで冷却してないんだよ、学園の敷地を。夏だぞ。夏なんだ

ぞ。私が死んでもいいって言うのか?」


 氷嚢を枕にぐったり。他の顔ぶれもそれぞれの手段で自分たちの体を冷ます。まったく何もしていないのはローズマリーだけだ。


「本校舎にでも行こう。あっちは来客があるから涼しいそうだ」


 それを聞いてアンニッキがガバッと起き上がった。


「早く言いたまえよ、アデル! さあ皆涼しい場所へ移動だ!」


 もう我慢などしていられないと全員が意気揚々と本校舎を目指す事に。ローズマリーが少しだけ残念そうにしているのをアデルハイトが宥めた。


 学園はどこも暑さにうんざりする生徒たちばかりだ。オアシスを求める旅人のように、誰も彼もがカフェやレストランに入り浸っていて空いている席さえ見受けられない。カイラは毎年の光景だと笑って言った。


 そうしてしばらく暑いのを我慢して辿り着いた本校舎は、驚くほど涼しかった。何故誰も来ていないのかと思うほど人もおらず、だらしない恰好のままやってきたアンニッキも堂々としたものだ。


「いやあ、涼しいじゃないか。私はずっと北の大地で暮らしてきたから暑いのは嫌だったんだよ。ところで本校舎って講義室と職員室以外に見る場所ってあるのかい? せっかくだから探索して行きたいんだけども」


 言われてみると、と全員が本校舎の事をよく知らない。とても広いわりには自分達の講義室以外に基本的に用がなく、歩き回った経験がなかった。


「というかね、お母さん。その恰好で本当にウロつく気?」


「なんと仰るウサギさん。これくらいの事で怒られたりするものかね」


「いや絶対怒られるよ。私たちまで怒られかねないんだけども」


「仕方ないなあ、擬装魔法でも使うさ。ほらこれでいつも通りだ」


 夏仕様としてコートはない。スラックスを吊ったサスペンダーを指で引っ張ってみせた。実際にはそう見えているだけの魔力による外見の補助でしかないモノだが取り繕うには十分だ。とても便利な事もあって日常生活では多くの人々によく使われ愛された魔法である。


「普段からしっかりした方がいいんじゃねえか、先生よ」


「エドワードくん、そういう痛いところを突くんじゃない。先生は悲しい」


 下らない話をして涼んでいると、廊下を誰かが歩いてくる音が聞こえてアンニッキとアデルハイト以外が姿勢を正す。


「アデルハイトさん、しっかりお立ちなさいな。ほら、端に寄って下さいまし。気を抜くのは人の目がない所でと相場が決まっていましてよ」


「そんなルール知らんが……。私は貴族でもないし」


 誰が来たのかと視線を向けた瞬間、アデルハイトが凍りつく。アンニッキは彼女の前にそれとなく移動して、隠すように立った。


「おや、これはどうも学園長。そちらの方は?」


「こんにちは、エテラヴオリさん。こちらは魔塔からいらしたエンリケ・デルベール様です。少し前に大魔導師から賢者の称号を受けた偉大な方なのですよ」


 穏やかな雰囲気に見えるが、素顔を知るアデルハイトとアンニッキは彼に対しての警戒を怠らない。


「そうですか。初めまして、私はアンニッキ・エテラヴオリと申します。お噂はかねがね。確か、魔塔主様ですよね? 四英雄の名は北まで響いております」


「ご丁寧にありがとうございます、エンリケ・デルベールと言います。魔塔主として日々、魔法の研究に努めております。どうぞよろしく」


 握手を交わした瞬間、アンニッキは自身の魔力を悟られないように隠蔽する。体内の魔力すらも自在に操れるのは並大抵の技術ではない。只者でない事はバレるとしても、その実力を隠し切られては物も言えず、エンリケはゾッとする。


「(この女の人……。普通じゃないな、何者だ? 僕相手に魔力を隠せるなんてワイアットくらいと思っていたけれど意外だ)」


「(おおっと、この小僧め。やはり私の実力を確かめようとしたな。だけれども私を相手に魔力探知なんて無駄無駄。百年後にまたおいで、坊ちゃん)」


 互いに笑顔ながら牽制のように握った手に力が籠った。


「素晴らしい腕前の方ですね、アンニッキさん」


「いえいえ、あなたには敵いませんとも」


「よろしければ、ぜひ今度魔塔に招待させて下さい」


「もちろん。手紙を頂ければ御伺いいたします」


 エンリケの興味はアンニッキの後ろに固まった生徒たちに向かった。


「良い子たちですね。実はこちらのケイシーくんを魔塔へお誘いに来たのですが、他の子たちも才能に溢れるようだ。将来が楽しみです」


 隠す様子もなく、自然に振舞うエンリケに疑う余地などない。今朝から姿の見えなかったケイシーが付き添っているのを見て、アンニッキは今にも舌打ちをして殴り殺したい気分をグッと呑み込む。


「そうかそうか、君は私の指導が気に入らなかったのだね」


「俺の才能に気付けないおたくから学ぶ事なんてないからな」


「……では悔いなく新たな場所で学び続けるといい」

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