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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第一章

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第27話「今日の事は内緒に」

 中折れ帽を高く投げ、それが雪の上にすとんと乗ったのを合図に、アデルハイトとアンニッキは動き出す。その瞬間を目で追うのが、他の者にはやっとの光景。アンニッキが得意とする水のエーテルを用いた氷結系の魔法によって雪の中から突き出す氷柱を、アデルハイトはぎりぎりを狙って最小限の動きで躱しながら迫っていく。冷静で、瞬きもしない。恐怖などは微塵もない。


「あっは! 流石はアデル!」


「やめろ、その笑顔。狂気じみてるんだよ、お前」


 至近距離、アデルハイトの突き出した掌から放たれる強烈な爆炎。しかし、そこにアンニッキはいない。模った氷がバラバラに砕け散っただけだ。


「(本体は───上空か。相変わらず速すぎて追うのも一苦労だな)」


 垂直落下してくるアンニッキの蹴りは躱すだけでは凌ぐ事はできない。両手を空に向けると青白い魔力が円形に広がり、中央に赤い十字が刻まれた。


「詠唱無しでは防げそうにないか……!」


 空から降ってきた蹴りが盾に直撃して容易くひび割れていく。しかし十分に威力は落とせた。時間稼ぎに多分に魔力を放出してから、アデルハイトは飛び跳ねた瞬間に風の魔法で勢いをつけて逃げた。


 盾は散り散りに、蹴りの衝撃ひとつで広範囲にわたって爆音と共に雪が舞い上がって視界を遮った。エドワードとローズマリーが魔力壁を貼っていなければ、今頃は全員が雪の中に吹き飛ばされたに違いない。その状況の中、ゆっくり視界が晴れてきたときにシェリアが指をさして言った。


「見て、勝負がついたのかも!」


 晴れた雪原の真ん中で、碧い宝玉を掴む捻じれた杖の石突が、拳を突き出すアンニッキの首に触れてそれ以上近づけないように睨む。危うく刺さる所だったとアンニッキが苦笑いを浮かべた。


「それは卑怯じゃないかな、アデルちゃん?」


「引っ張り出さなきゃ私が死んでただろ」


「否定しない。君の考えは正しいだろうね、興が乗りすぎた」


「どうする、あいつらは決着がついたと思ってるみたいだが?」


「まさか。面白いのはここからじゃないか!」


 生徒たちを納得させるには十分すぎるほどの光景を目に焼き付けさせた。間違いなく。しかし、アンニッキに火が点いてしまった。元より戦う事を好む狂気じみた性格だ。自身より強き者を求め、死をも快楽と考える女。かつては『死にたがりのアンニッキ』とも呼ばれた存在。アデルハイトも全力で応えた。


「まったくふざけてる! 少しは丸くなったと思ってたのに!」


「アハハハ! 丸くなったさ、今の今まで誰も殺してないんだから!」


 一瞬の油断も許されない。雪原という領域はアンニッキ・エテラヴオリにのみ許された、本来は存在し得ない『氷の属性を持ったエーテル』を用いる事で放出する魔力を極限まで削ぎ落して威力を高められる世界。突き出された拳が当たれば瞬く間に氷ついて砕けてしまう。薙ぐような蹴りは冷気を瞬時に刃に変え、直撃せずとも十分に危険だ。挙句の果てには領域の全てがアンニッキの魔力で賄われているため、どこにいても巨大な氷柱が足下から突き出して来るといった、戦うには最悪の場所だった。


「ああ、もう! 妙な事になってきたな!」


「どうしたんだい。トリムルティの杖を使わないと死ぬぞ、アデル!」


「私だって理由あって魔法学園にいるんだから察しろ!」


 いくつもの氷柱を躱し、破壊し、何度か頬を掠めるなど怪我もあったが、最小限の痛手に済ませて凌ぐ。アデルハイトでなければ、多くの場合、既に串刺しになって死んでいてもおかしくない。


「はあ、まったく……。あとでなんと説明してやるべきか」


 本来のアデルハイトは魔道具に頼らない。トリムルティの杖はあくまで補助具。弟子に魔力制御を学ばせるために愛用してきたものだ。とはいえ、特級品で簡単に手に入る代物ではない。精霊王の涙とも言われる宝玉が使われていて、扱える人間は世界に数人とも言われるほど才能に寄った道具だ。


「風よ、吼えろ。────《エアロドライブ》」


 アデルハイトが片手に杖をぐるんと回転させながらアンニッキに向けると、宝玉が白緑(びゃくろく)に輝いて旋風を放った。雪や氷柱の破片を巻き込んでの強烈な一撃を、アンニッキは躱そうとしない。


「(ん。何だよアデル。出力が落ちてるとは聞いてたけどこれは酷いな)」


 立ち尽くすアンニッキの虫でも払うような所作ひとつで旋風は弾かれて消え、瓦礫が風に乗って飛散する。場がしん、と静まり返り、風にのってひらひら舞った中折れ帽がアンニッキの手元に落ちてきた。


「ここまでにしよう。興覚めだ、ここまで弱くなってるなんて」


「……仕方ないだろう。私とて想定外の事態だ」


「ま、いいさ。君でなくとも楽しませてくれる奴は他にもいる」


 視線が一瞬だけカイラを捉える。アンニッキは中折れ帽の雪を払って被り直し、結界を解く。いつもの温かな空気が雪崩れ込んでくるようだった。


「さて諸君。今のは見なかった事にしてほしい。でなければ────たとえ透明になって姿を隠したとしても、私は君たちを見つけ出して殺す」


 冗談には聞こえない。否、冗談ではない。アンニッキは本気だ。


「そりゃいいけどよ。聞かせてくれよ、あんた本当に大魔導師か?」


「世間的にはね。とはいえ世間様の評価というものは大事じゃないかい」


 エドワードの前に立ち、僅かに見あげて────。


「強いから大魔導師。そんなものがまかり通ったら退屈な世の中になるだろうねえ。得られる機会が少ないからこそ、私にとっては娯楽なのさ。生きるも死ぬも。……だけど君たちは違う。目指す意味をよく考えなさい、エドワードくん」


 そう言ってニンマリ微笑んでコートの裾を翻す。


「カイラ、お腹が減った。寮の厨房はどこだい、ミートボールを作ろう。他の子もどうだね、私の手料理は中々に美味しいのさ。ぜひ振舞わせてほしい」


 さっきとは打って変わって優しい母親のような顔つきに、皆がホッとしてついていく。和気あいあいとした空気をよそにアデルハイトは立ち尽くす。


 杖をぽいっと軽く放り投げると、光に包まれて塵となって消えていく。


「なあ、アデルハイト。あんたって何者なんだ。いくら加減されても、さっきのと渡り合うなんて普通の人間ができる事じゃねえだろ?」


 隠そうとすればするほど上手くいかない。エドワードに尋ねられて、アデルハイトは少しだけ考えてから、横目にくすっと笑って────。


「いつか分かる時が来る。それまで待っていてくれ」

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