最終章─エピローグ─『大賢者の物語④』
言葉が出てこない。どう迎えていいかも分からない。そこには確かに、自らを葬り、そして自らの手で葬った最愛の弟子の姿があった。自身が使えるあらゆる魔法を与え、賢者の道へ至らせた男。エンリケ・デルベールが。
「すみません、こんな現れ方をしてしまって。今はなんと言って謝れば良いのかわかりませんが。ひとまず、このように帰還致しました。約束ですから」
最期を看取ったときに、アデルハイトは確かに言った。
『おやすみ、エンリケ。……生まれ変わったら、また会おう』
次に会うときはもっと良い関係で。そう望んでいたから。
「……そうか、お前も記憶が。だが、どうして此処へ? 確か、もう魔塔は完成していて、とても忙しいと風の噂で聞いていたが」
「そこはそれ、今の僕には権力というものがありますから」
にっこり笑ったが、やはり本質的な腹黒さは残っているようだった。
「最初は会わせる顔もないと思って魔塔に閉じこもっていたんです。きっと悪い夢でも見ていたんだと。でも、とある大陸から渡ってきた魔法使いと、その御仲間から偶然あなたの話題が出て、全部が現実だったと」
「……そのとある大陸からきた奴って、セレスタンたちの事か?」
エンリケはにこやかに頷いて返し、続けて────。
「今年から魔法学園で新たに講師を何人かお迎えしようと働きかけがあって、せっかくなら異文化のある別の大陸から来て頂く話になったそうで」
基礎学科にはセレスタンとジョエルの師弟コンビが。剣術科にはシャーリンが招かれた。聞けば、そのジョエルのメイドという事でオフェリアもいる。全員、配達員であったヴェロニカが偶然話を聞いて提案してみたところ快諾があったからだと言って、エンリケも新しい風が入るのは良い事だと話す。
世話になっておきながら随分と疎遠だった仲間の話を聞いて、アデルハイトも嬉しそうに耳を傾けた。そのうち学園内で会う機会もある、と今から楽しみになった。むしろ今から会いに行きたいくらいに。
「そう言えば僕たちの間では、学園の卒業生はジルベルトとエステファニアだけなんですよね。元々お二人共、名家の出身ですから」
「おお、そうだったな。ジルベルト、案内はしたのか」
ジルベルトはわざとらしく肩を竦めて首を横に振った。
「まだだよ。それにこの後は稽古だろ。それが終わってからでいいんじゃねえのか。どうせ俺たちも、しばらくは此処が拠点になるしな」
「ですね。我が師も稽古を受けられるので?」
まさか、大賢者アデルハイトが自分の弟子から稽古を受けるという事があるのか。そんな疑問をエンリケが投げると、アデルハイトはフフッと声を出す。
「本当は皆とそうしたいんだが、今日は買い物の予定があるんだ。これが終わったら迎えに来てくれてるはずだから、そっちが優先かな」
予定があると聞くとエンリケも思い出したとばかりにぽんと手を叩く。
「あぁ、そういえばもういらっしゃってましたよ。正門の所。フェデリコさんに捕まっておろおろしてたので、行って差し上げてはどうです」
「おまっ……そういう事は先に言え! 急いで行ってくる!」
アデルハイトは急いでヘルメス寮を出る。門を潜ろうとする前に、振り返って見送ってくれた二人に手を振ってから走った。正門へ向かう途中、あまりに急ぎすぎて人にぶつかりそうになる。
「おわっ、すまない!」
「ああ、気を付けたまえよ。怪我をされたら困るからね」
「……? アンニッキか?」
「はは、久しぶり。長く北部に居たからねえ。これからお出かけかい?」
「ちょっと野暮用があってな」
「じゃあ行っといで。積もる話は、また酒でも飲みながら」
帽子を手に掴んで持ち上げて軽く挨拶をすると、アンニッキは愛しのカイラに会いに行くぞ、と鼻歌交じりに立ち去っていく。
「なんだよ。あいつも指導員だったのか。まったく、どいつもこいつも私には何も言ってくれないんだから……」
呆れた連中だ、と思っても愛さずにはいられない。
「おい、アデル! こっちだ、こっち!」
「ディアミ……ごほん。お父さん!」
まだ少し照れくさい呼び方。それはディアミドも同じで、命懸けの戦いで背中を預け合った親友のような関係から、正しく親子になったのはまだ慣れない。
「ああ、よかった。きてくださったんですね。まったく……だから行ったでしょう、エンリケさんが呼びに行ったので待っててくださいと」
「悪かったよ、フェデリコ……。そう怒んなって、土産やるから」
相変わらずフェデリコは自分の仕事が嫌いだったし、そのくせ忙しい日々を送っている。かつてはアデルハイトの部下で、今はディアミドの部下だ。
「まあまあ、あなた。いいじゃない、そう怒らなくても」
「お前がそう言うなら俺は別に構いやしねえけどよ」
ディアミドの隣には女性が立っている。腰まで延びた美しい金髪に青藍の煌めきを持った瞳。穏やかさの溢れる顔立ちだが、アデルハイトによく似ていた。いや、もっと正しく言えばアデルハイトが似ているのだ。
「さ、アデル。一緒に手でも繋いで買い物に行きましょ!」
「……うん、行こう。────お母さん」
時が巻き戻り、ずっと、ずっと願っていた穏やかな日々を手に入れた。大切な家族と、大切な仲間と、波風のない穏やかな日々の中で暮らす時間を。
「ねえ、アデル。お母さん、またあの話が聞きたいな」
「前にした、夢の話?」
「そう。言ってたでしょ。怖いけど楽しい冒険の夢の話。好きなの」
「いいよ。……始まりは本当に小さな出来事からだったんだ」
────もう二度と見る事のない夢。何にも代えがたい大切な夢。どこまでも愉快な冒険を駆け抜けた、ひとりの大賢者の物語。




