第52話「栄光の先」
輝きは広がっていく。どこまでも、どこまでも。アデルハイトは、その瞬間、最後の僅かな時間の中で、もうひとりの自分と会った。
「やあ。上手くやったようで何よりだ」
「そりゃどうも。……お前の事、なんて呼べばいいんだ?」
「うーん、そうだな。私とお前ではややこしいから、マーリンとでも」
「ハハ。最古の大賢者の名前か。じゃあマーリンと呼ぼう」
朱い瞳のアデルハイト。悩んで付けた名前をマーリンとして、それが少し誇らしげで、嬉しそうだった。
「ふふ。まあ私の事はいいんだ、アデルハイト。どうやら、お前のおかげで私たちも、この魂の循環から解放されるときが来た。ようやく賢者の石として現世に留められ続けた魂も還る場所を得る事になるだろう」
「……あの杖は砕けて消えるという事か。残念だ、もう会えないんだな」
姿を持って、きちんと面と向かって話をするのも初めてだったのに、お別れはすぐ目の前。あまりにもあっさりとしていて寂しがると、マーリンはくすっと笑って、ゆっくり首を横に振った。
「私たちにとっては嬉しい事だ。縛られ続けてきた場所から解放される。だが、それはひとえにお前がいてくれたからだよ。ありがとう。……しかし、お前も散々と辛い目に遭ってきたな。振り返れば遠く長い道のりだった」
両親と共に生きる事はなく、父親と信じてきた人に散々虐げられ、抜け出した先では育てた愛弟子に殺され────そして、数々の戦いを経て何度も膝を折りかけた。その度に仲間の声に奮い立ち、支えられて前に進んできた。
「そうだな。本当に面倒な事ばかりだったが……まあ、悪くはなかった。でもどうせなら、もっと気楽な出会い方をしたかったものだよ」
「ああ、とても分かるよ。結局、私は別の存在だが、お前でもあるから」
いつだって見守ってきた。いつだって出来るかぎりの力は貸してきた。とても耐えられない壊れかけの魔力の器を必死になって砕けないように押し留めてきた。できる事は少なかったが、それでも傍に居続けた。
「だから、アデルハイト。世界を巻き戻した先で、私はもっとお前に幸せになってほしい。この戦いは歴史に残らなくていい。ただあるべき者たちがあるべき形で、それぞれ生きていけるように、私がやろう」
ぽん、と肩を叩いて悟ったようにマーリンは微笑みかけて────。
「この能力はそもそもヴィンセンティアでなければ肉体に異常な負荷が掛かる。それはつまり、お前自身が犠牲になってしまう。だが、賢者の瞳という触媒を使えば、お前が犠牲になる事はない。ただし、その主導権は私になるが……」
うん、それも仕方ない、とマーリンは頷きながら言った。
「お前が死んでは意味がない。何より私たちは賢者の石としてこの世に留められたときから、還りたいと望んだ魂の結晶。此処で消え果て循環に戻るのであれば、それ以上に嬉しい事はない。また生まれ変われるんだから」
マーリンの背後に、多くの人々や動物たちが見える。数は数えられない。どこまでいるのかも分からない。ただ、それだけの命が賢者の石の中にあった。生き返る事も、完全に死ぬことも出来ず、ただ茫然と漂うだけだったものが、アデルハイトに拾われた事で彩りを得た。ひとりの人生を皆が追いかけた。
たったひとりの人間を、億を超える命が愛し、守り続けたのだ。もう自分たちの役目はここでおしまい。新しい物語を紡ぐのは、これからを生きる人々の役目。だからアデルハイトをぽん、と軽く押して、皆が優しく見送った。
「お、おい待て! まだ全然話が終わってな────」
「良い旅立ちを、アデルハイト。お前が望む世界が待っている」
巻き戻っていく時間の渦の中。きらきらと輝く星々の中へ送り出した後、マーリンもやっと、そこで少し寂しいな、と感情を顔に浮かべた。
それでも。終わりは終わり。いつまでもひとりの人間に縛られ続け、後悔しながら世界に留まり続けるのなら、自分たちも叶えたい願いはある。いつか生まれ変わって幸せに。次はこの世に留まらないように。あるいは、二度と生まれ変わらず、空から彼らの物語を見守り続けていたいと。
「さあ、諸君。我々も行こう」
ひとり、またひとりと時間の渦の中へ駆けて行く。やっと解放される。やっと自由になれる。やっと前へ進んでいける。何もかも止まっていたものが、たった一人の少女との出会いから動き、ついに夢は叶った。祈りは届いた。もし神がいるのだとしたら、今の状況をどう見ているのだろうか。おめでとうと手を叩くだろうか。意外にもやったなと唸るだろうか。いずれにせよ────。
「今回は我々の勝利だ。喜ぼう。艱難辛苦を乗り越えて、ここまで辿り着いた事は奇跡でもあり、運命でもある。────願わくば、これからはずっと平穏な祈りが、神々に届きますように」
最後の一人となり、時を巻き戻す力が働く時間も、そろそろ終わり。マーリンはそっとポケットの中に入っていた硬貨を高く放り投げた。
「それでは私も、いつか生まれ変わるときまで、ごきげんよう」




