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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第51話「新たな未来へ」

 信じられない言葉にローマンも目を丸くして驚く。そんな事が可能とは思えなかった。いや、そうであると願っても良いのか。


「二言はないのだろうな、アデルハイト」


「ああ。簡単な事だよ。────人間になる覚悟があるのなら」


 賢者の瞳が穏やかに輝く。アデルハイトは優しく微笑んだ。


「今の私には、それだけの力がある」


「……種すら変えるというのか、君は……」


「ああ。それはもう、完璧に」


 びり、と布を破くような音がして結界に亀裂が入る。隙間をさらに裂いて、もうすっかり慣れた魔力の気配を漂わせる友人の名をアデルハイトは呼んだ。


「八鬼姫。そっちも大変だったようだな」


「ふん、おかげで戻ってきた瞬間に最悪な光景を見ちまったぜ」


 しっかり状況を把握して八鬼姫がフッと笑む。


「やるじゃねえか。俺様も流石にここまでやるとは想像せなんだ。それに今の話は聞こえていた。────てめえ、時間を巻き戻すつもりじゃな?」


 思わずローマンが口を挟んだ。


「待て。時間を巻き戻すだと。私が知る限りでは人間には時間を巻き戻す魔法など存在しなかったはずだ。これまでの時間、私は多くの事を知識として蓄えてきた。ないものを、今、ここに創り出すというのか?」


 八鬼姫は早口になるローマンを見てけらけら笑い、煙管を咥える。


「ないものを作るのは難しい。そもそもから魔力の流れ、適した魔法陣を描き、記憶に入れて構築。そのときには寸分の狂いなく描かれなくちゃならねえ。だがなあ、ローマン。こいつにゃあ、それはもうとっておきが隠されてんのさ」


 説明してやれとあごで指示を出す八鬼姫に、アデルハイトは頷く。


「お前のやる事は最初から全部見抜かれていたのかもな、ローマン。私の強さを取り戻してくれたのは、誰でもないヴィンセンティアだったんだから」


 自分の胸に手を触れれば心臓の鼓動を感じる。魔力の器が満たされているのが分かる。以前はどこか物足りなく、疼くような感覚もときどき感じて悩んだ事もあったが、それも今はまったくない。ただ、それだけではなかった。


「時間を巻き戻すと同時にヴィンセンティアは私の魔力の器を治すために直接触れた。賢者の石という大きな力が無意識に作用してずっと阻んでいた壁を取り払うと同時に、アイツは私の体の中に、ある仕掛けを施していった。ヴィンセンティアの魔力。最後の力を振り絞って私の中に詰めた、たった一度の能力」


 時間を巻き戻す能力。新たな物語を見届けられない事は分かっている。それまで自分の体力が保たないと判断したヴィンセンティアは、ローマンが必ず敵に回ると信じた。敵意を抱くのではなく、彼らしい、面白いやり方で。そのときにはきっとメルカルトもエースバルトもいない。誰よりも強い魔族として皆の前に立ちはだかるのがローマン・ガルガリンという男のフェアなやり方。


 よくも知らない『紳士』とやらに憧れて、いつでも身だしなみを整えてレディを立てながら、常に中心に立って物事を俯瞰する。そんなローマンだからこそ、皆の前に立ちはだかり、そして敗れる事も分かっていた。


「この時間を巻き戻す能力は全てを救うための機会。ヴィンセンティアとラハヤの二人が、自分達の世界(未来)を守ろうとして創った機構(システム)。だが、それだけでは不完全だ。なにしろ膨大な魔力を必要とする。もし時間を巻き戻すだけならまた同じ事が繰り返される。それを覆すのに必要だったのがこれ(・・)だ」


 どん、と地面に立てた杖を見つめてローマンが尋ねた。


「賢者の、石……。膨大な魔力の結晶体を触媒に?」


「ああ。だが、これはそんな単純な言葉ひとつでは終わらない」


 朱色に輝く宝玉をまっすぐ見て、アデルハイトは告げた。


「賢者の瞳。膨大なあらゆる生命の結晶。加えて其処にヴィンセンティア、そして八鬼姫と共に創り上げた覇者の武具が融合した産物。あらゆる魔力を無尽蔵に生成する事の出来る魔導具だ。……一時的なものだろうが、今だけは、私の魔力は神の領域に踏み込んだとも言える。だから今一度尋ねよう。ヴィンセンティアの魂は必ず私が蘇らせよう。そして、お前も殺さない。だから────」


 差し伸べられた手は眩く見えた。神の領域に踏み込んだ、ああ、そうだろう。ローマンにとって彼女は紛れもない女神だと言えた。


「私たちと共に生きよう、ローマン。本来ならばやるべき行いではないのかもしれないが、私は私の理想とする世界を創る。これまでも、これからも、私は皆が自由だった世界を愛したい。それを守るためのひとつの処置として、お前には人間として生きてもらいたい。それがヴィンセンティアと会う条件だ」


 どうするべきか、と考えるべくもない。魔族というものは、およそ幸福というものを知らず、願いらしい願いも持たない。ただ死にたくない。死なないために数多の命を奪い喰らって強くなり、それでも永遠に気が休まる事はない。


 そんなものを知ったら死んでしまうから。


「……ヴィンセンティアが死んだ原因は人間だ。紛れもなく。君たちを愛しさえしなければ、きっと彼女は生きていた。……だが、そんな彼女を求めた私もまた、人間を愛していたのやもしれん」


 共に見た景色が忘れられない。共に見た営みが忘れられない。汗水を流し、ときには言い争っても、夜には酒を注いで笑い合い、一日の疲れを忘れて泥のように眠る人々が。肩を並べて共に歩んでいく人々の生き様が。些細な事に一喜一憂して、その生き方を謳歌する者たちが。


 羨ましかった。もちろん、後ろ暗い世界も目にしたが、それでも。


「構わないのか、この手を取っても。私は君の仲間に酷い事を」


「別に構わんさ。取り戻せるんだから。それに命のやり取りなら阿修羅たちともやった。リリオラも同じさ。なんだったらキャンディスとエステファニアには殺されてる。この私の寛大ぶりを嘗めないでもらいたいね」


 もっと過酷な環境にいながら、それでも殺された当時の事は思い出すと少しゾッとする。それでも、その後の事は楽しい思い出ばかりだ。辛く苦しいときでさえ、今では良い思い出になっているから。


「……フッ、まったく君という人間には驚かされる。初めて会ったときは私の勝ちだったが、今回は完敗だ。見事だ、アデルハイト」


「それはどうも。皆がいてくれたおかげで、私も此処に立てた」


 ついにローマンはアデルハイトの手を取って立ちあがった。彼女なら、彼女たちなら、きっと良い未来を見せてくれるだろう、と。


「では皆の魂を漂わせたままも悪いし、さっそく始めるとしようか」


 空にぱっと話した賢者の瞳が浮き、アデルハイトは目を瞑って両手を大きく広げた。賢者の瞳が強い輝きと共に生成した魔力を解き放っていく。


「星々の煌めき。輝ける太陽。夜を照らす月。荘厳なる大地は響き、豊かな風は駆け、大海は謳う。循環せよ、遡行せよ。明るき未来を照らす賢者の輝きよ。神の息吹と共に、我らが世界に豊穣を。────《ヴィンセンティア・アルカディア》」

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