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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第50話「心の問答」

 黒い魔力を纏い、武器は一切使わず、己の身ひとつで戦う。メルカルトの超再生能力と鎧をまとう能力の応用で、阿修羅の怒涛の攻めを受け流し、僅かな傷が付けば再生し、小さな隙を狙って致命傷を狙う。


 だが、届かない。いや、むしろ阿修羅の攻撃が届いた。切っ先が肩を刺し、押し込まれて斬られた。幸いにも咄嗟に下がった事で浅く、再生は早い。


「よう戦いおるのう。それほどに覚悟が決まっておるという事か」


 阿修羅が光となって消え、場所は帝都へ移り変わる。収束する光の中からネヴァンが雷霆剣ゼウスを携えて姿を現した。


「その覚悟も泡沫の夢のようだ。自分に言い聞かせながら戦うのが趣味か、ローマン・ガルガリン。私たちを斃さねば止まらぬと」


「立ち止まる道はない。邪魔立てをするのであれば殺すまでだ」


 そう、分かっている。自分の本当の願いは何か。


『ね、ねえ、ローマン。いつか、いつかね。もし本当に私がし、死んだらさ……。いや、考えたくもないんだけど、そこはそれ。逃れられない運命の糸的な。でも私、後悔しないよ。この体が朽ちても、人間は愛すべき生き物だから』


 魔族ともなれば、姿形はそっくりで、使う言語も同じになる。それはあくまで、最も効率的であるから、そうなっただけだ。決して同類とみなせるほど人間は崇高な生物ではない。対等などと唱える親友の姿は、少し滑稽だった。


 いや、だが。それでも人間の文化や技術は魔族になく、その一点のみにおいては実に先を進んでいると言ってもいい。魔族は互いに喰らい合い、奪い合って生きる。ただそれだけだ。醜い獣と言われれば、否定はできなかった。


 変わるべきだ。人間は家畜でいればいい。魔族は高等種として君臨すればいい。最初からそうであっなたら、ヴィンセンティアだって死ななかった。ペットとして飼えば、リリオラが絶望に落とされる事はなく、人間を愛そうとはしなかった。


『可哀想なリリオラ。大切な家族を、愛した人間をエースバルトに殺されたの。くだらないって。で、でもね。エースバルトも後悔してたのよ。どうしても抑えられない本能。龍種の中で初めて怒りを持って生まれてしまった』


 エースバルトは最初から人間が嫌いだった。だがそれを無意味に殺すほど野蛮ではない。誇りに生きる龍種だからこそ、わざわざ弱者を相手してまで手に掛けるような真似はしない。龍種の運命とも呼べる感情の本質に囚われ、ましてそれが怒りであったがために、リリオラとは決裂してしまった。


 絶望に打ちひしがれたリリオラは人間界でアデルハイトに出会い、やはりまた人間の虜になってしまった。最初から彼らが家畜でさえいれば────。


「本当は羨ましかったのではないか。この世界が」


「……何だと? この私が、君たちの世界が羨ましいと?」


「貴公は同胞を愛し、慈しむ心を持っている。魔族らしからぬ心だ」


「それがどうしたというのだ。生物であれば誰もが抱く感情だ」


「いいや。残念ながら人間でも持たぬ者はいる。魔族であればなおさらに」


 逆手に持たれた雷霆剣ゼウスから神々しくも荒々しい雷が放たれる。ローマンが咄嗟に避けようとすると、瞬間、最初の位置に戻されて雷撃を受けた。


「があああぁぁああぁっ────────ッ!?」


 体が焼け焦げる。自慢の整った髪も、今は形が崩れた。時間を止められ、元の位置まで戻されて躱した事をなかった事にされたと気付き、強く睨んだ。


「どうしてそうまで戦い続ける。どうして私たちを憎み続ける。今の貴公はまるで欲しかったものが手に入らず不満を訴える子供のようだな」


 ローマンはネヴァンの言葉に不快感を覚えながら、ペッと血の塊を吐く。心底嫌悪でもするかのような敵意の宿った目で。


「私の最もたる同胞が死んだ理由は君たちだからだ。それでも私は譲歩した。人間がいる世界でも構わない。同胞が愛したのなら、せめて生きる事くらいは許してやろうと。それだけの事ではないか。従えば生かしてやる、とな!」


 手を振り翳して重力で押さえつけようとすると、ネヴァンがコインを空に投げた。空中には黒い渦が現れ、周囲の魔力を吸い込んで消滅する。


「やはり幼稚な感想だな。なぜ本心を隠す必要がある?」


 風に吹かれて消えるようにネヴァンが光となって消えると、また王都の姿が戻ってくる。眼前にはリリオラが鎌を肩に担いで立っていた。


「そうやって口を開けばいつだってヴィンスの話ばかりする。どれだけ愛していたかが分かるわ、ローマン。でもあんたのそれは、ただの独りよがり」


「……リリオラ。君は分かるはずだ。大切なものを奪われる苦しみが」


 何より大切にしていた人間が殺された日から、どれほど塞ぎ込んでいたか。立ち直るまで寄り添ったローマンにしてみれば、互いに理解ある者同士だ。


 だがリリオラは首を横に振って、悲しそうな目を向けた。


「だからあんたは人間が羨ましかったんでしょ。ただでさえ魔族は奪い合う生き物。誰にも奪われないはずだったヴィンスが、メルカルトの解けない呪いを受けて現れたときからずっと、平和に生きられたら(・・・・・・・・・)って願ってた。違う?」


 人間は言葉を交わす。感情をぶつけ合う。ときには争っても、いつかは穏やかな波がやってくる。魔族はどうだ。常に命を奪われる可能性に脅かされながら何百年と生き永らえ、それでもまだ奪われる。本能がそうさせる。強くあろうとする。命が惜しいくせに命を奪い、命の尊さを知ろうとしない。


 知性なき魔物を見下すくせに、自分たちはそれと変わらない事をする。心底から不快だった。そんなものは獣同然。言葉を話すだけでしかない、と。


『いつかは魔界も変わるときが来るヨ。人間と仲良くなったらさ、私たちも色んな事をして、色んな事を見て、笑い合いながら生きる日がくる。そう信じたいの。だからローマン、あなたもいつか分かってくれたら、う、嬉しいな、なんて』


 きっとそれがいいんだろう、とは思った。人間の世界は美しく、感じた事もないもので溢れていた。そんな世界でヴィンセンティアの隣に立てればどれほど良いか。だが人間は魔族を迎合する事はない。逆もまた然り。魔族は人間を受け入れたりはしない。同等の立場など夢のまた夢だ。


「私とて……魔族とはいえ長く生きて、その価値観は大きく変化した。生きたいと願ったとも。我が同胞と共に……人間であったなら幸せになれたのかと考えもした。だが、人間にはなれない。私に人間は愛せない……!」


 ローマンの拳がリリオラの眼前で止まった。震えた拳がゆっくり降ろされ、ローマンはがっくりと項垂れて膝を突く。


「失ったものをどう取り返せばいい。どうすれば、この胸の中にある呪いが解ける。私の失ったものは戻らないというのに、君たちを愛した者は君たちの多くに知られる事もなく死んでいき、君たちはこれからも変わらず生きる。それが憎いと言わんとしてなんとする。あの娘の祈った世界を、あの娘が見れなくてどうする?」


 全てを奪ったきっかけともいえるメルカルトとエースバルトは始末した。復讐は済んだというのに、胸の中に開いた穴はまるで塞がれなかった。人間のせいだと、誰かのせいだと、叫ばなければ気が済まなかった。


「だからオレたちは戦ったんだよ。ヴィンセンティアが守ろうとした世界のために。なのにお前と来たら、失くしたもんの意志も見えないほど耄碌したのか」


 背後を振り返り、ミトラを見上げる。怒りと悲しみの混じった表情だった。そしてまた彼女も消え、再びアデルハイトがローマンの前に立った。


「それで結局、お前はどうしたいんだ。ヴィンセンティアに会いたいのか?」


「……会えんとも。彼女は既に死亡した。メルカルトを取り込み、その記憶までも得た以上、彼女の死は紛れもない事実だと悟った」


 幻影と話しても意味はない。会う事はもうないだろう。────それはあくまで、ローマンの感覚でしかない。アデルハイトはまったく違った。


「私に賭けてみないか、ローマン。私との約束を守れるのであれば、必ずヴィンセンティアに会わせてやる。悪い話ではないだろう?」

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