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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第48話「賢者の瞳は朱色に輝く」





 倒れて完全に意識のない阿修羅の傍へ駆け寄ったアデルハイトは、その傍に落ちているマガツノツルギに目をやったが、先に仲間を介抱しようとする。


「阿修羅。大丈夫か」


「……ばかやろ、身体が痛ぇから揺すんな」


 脇腹が裂かれて、出血は酷く、顔は青ざめている。体を起こすほどの余力さえない状態で呼吸もかなり浅い。だが強靭な体は死ぬ事を許さず、阿修羅はただ静かにジッとして、少しでも回復するのを待っていた。


「ったく、わちきとした事が、このザマだ。あれだけ八鬼姫に鍛えてもらっておきながら、その期待に応えられぬとは情けない」


 今にも死にそうだった。どれだけ大人しく待ってみても、回復するどころか寒気すらしてくる。阿修羅は自分が長くない事を悟っていた。


「悪ぃのう……。ぬしの母親も救えず、ぬしすらも救えぬでは……わちきはなんのために此処まで来たかわからぬで悔しくてたまらん……。じゃがのう、こればかりはどうやら、任せるしかないようじゃ」


 少し離れた場所に転がったマガツノツルギを指差す。


「持っていけ。不思議なもんじゃ。ずっと声が聞こえておった。ぬしを呼ぶ声が。あれはきっと、ぬしの助けになるのじゃろう」


「……阿修羅。全部終わったら、また皆で楽しく遊べるかな」


 アデルハイトの泣き顔に触れて、にこっと笑った。


「遊べるさ。いつまでも、いつまでも……後は頼む」


 頬を撫でた大きな手から力が抜ける。するりと離れて、地に倒れた。どれだけ経験しても、どれだけ覚悟をしても、どれだけ再会する事ができるかもしれなくても、別れとは悲しいものだ。アデルハイトはそれでも堪えた。目に浮かんだ涙を拭い、この想いだけは二度と折れたりはさせないと立ちあがった。


「行くよ、阿修羅。お前の剣、少し借りる」


 地に落ちたマガツノツルギを拾おうとして触れた瞬間、荒廃した王都の凄惨な姿が消え、見覚えのない広大な草原が広がった。晴れやかな空。伸びた草が風に揺れて擦れ合うと、心地よい香りが漂ってくる。


「……ここは、どこだ……? どこかに転移したのか?」


 ふと。離れた場所に誰かが立っていた。


「あ、やっと来たねえ。いやあ待ちくたびれて眠ってしまうかと」


「……アンニッキ?」


 綺麗な白銀の長い髪。優しさのある温かな蜂蜜色の瞳。整った中世的な顔立ちは、まさしくアンニッキと同じだ。だが、女性は首を横に振った。


「残念、不正解。それは私の姉だな。まずは自己紹介からしておこうか。────私はラハヤ・エテラヴオリ。アンニッキの妹で、覇者の武具を製造した張本人。どこかで名前くらいは聞いた事あるよね」


「ラハヤ……。ああ、アンニッキから直接聞いてる。生きてたのか?」


 悲しそうに、ラハヤはまた首を横に振る。


「死んでるさ。姉の手で殺されたのは事実で、私はそのときに人としての生を終えている。此処にいるのは、私が信頼する彼ら(・・・・・・)に託した幻影。残滓。未来への希望の種。死ぬ未来を知っていながらそれを変えず、でも私は君たちの運命を愛し、守りたかった。そのための最後の手段」


 ラハヤの周りには、覇者の武具が転がっている。アデルハイトが持っていたはずのコインもだ。思わずローブの内ポケットをまさぐった。


「……では、此処はお前の作った結界のようなものか」


「そうだ。そして此処はクロノスの力によって隔離された時間にある」


「クロノス……。彼らは意志を持つと聞いているが」


「うん、その通り。君は認められた。そして彼らも救いたいと願った」


地に転がっていた覇者の武具が浮き上がり、白銀の輝きを抱きながらラハヤの体の中へ吸い込まれるように消える。


「彼らは、今、もう一度だけ。君に力を貸したいと願っている。どれだけ荒み、悲しみ、痛み、苦しみ、それでも前に進もうと何度も立ち上がってきた君のために。これまで支えてきた主人たちを救うために」


 差し出された手をアデルハイトが握り返す。ラハヤは嬉しそうに微笑む。


「奇跡を起こせ、アデルハイト。そして君の大事なものを取り返せ。八鬼姫に礼を言っておいてくれ。……それと、姉さんにもひとつだけ」


「アンニッキに何を伝えればいいんだ?」


 少し考えるふりをして、最初から決まっていた事を照れくさく言った。


「愛してる。私の大事な姉さんに、よろしく」


「ああ。伝えるよ。ありがとう、ラハヤ」


 景色もラハヤも、何もかもが剥がれ落ちるように消え、どこまでもまっさらに広がった白い空間にアデルハイトは立った。静かで、何もない。風も草の擦れ合う音も錯覚のように消えてしまった。だが、何かの気配はあった。


 振り返ってみると、杖が宙に浮いていた。トリムルティの杖。アデルハイトが愛用する大切な杖だ。傷だらけで、自分のものだと分かるが、宝玉は朱色に輝いていて、いつもの美しい(あお)とは真逆だった。


「私はそれを賢者の瞳と呼んでいる」


 驚いて振り返った。見も知らぬ魔法使いが立っていた。


「お前は……私なのか……?」


 立っていたのはアデルハイト自身だった。


「そうだ。私はお前で、お前は私だ。此処までよく辿り着いたな。その青い瞳が映す未来を、やっと守り抜いてやれる。今までまともに礼の一つも言えなかった。私たちの命は、お前のためにあったというのに」


 アデルハイトは目の前にいるのが朱色の瞳をした自分だと気付き、同時に今の自分は青い瞳なのだと遠回しに指摘を受けて、目の前の自分が誰か理解する。杖を持った手が、掛けるべき言葉が、震えた。


「いつも……いつも、お前に頼ってばかりだったよ。礼を言うのはこちらの方だ。そのうえまだ、お前の力を借りたいと思っている」


 朱色の瞳をしたアデルハイトが、にこやかに頷いた。


「ああ。もちろん。最後まで戦い抜け、アデルハイト。最高の私であり、最高の友人よ。お前の往く道は独りじゃない。たとえどれほどの仲間を失ったとしても、私ならば取り戻してやれる。私ならば共に肩を並べてやれる。最期まで」


 目の前の幻影は。尊い無数の命は。アデルハイトの前から姿を消す。


『行け、相棒。十分駆け抜けてきた。久遠の杖と共に、賢者の瞳と共に、私が祝福の道を示そう。────今日からが、お前の新しい物語となる』


 世界は再び、荒廃した王都を取り戻す。見ていたのは幻覚ではない。もうひとつの世界。空間。大切なものを紡ぐために、ずっと其処にあった場所。手の中にある久遠の杖が掲げる賢者の瞳は朱色に輝く。


「あまり変わったようには見えんな、アデルハイト」


 襟を正してローマンがギッと睨む。アデルハイトは穏やかだった。


「ジョエルはどうなったんだ?」


「殺したとも。中々に手こずったが……」


「そうか。だから、お前が弱く見えるのか」


 ぴく、とローマンの眉間にしわが寄った。


「弱い? ハハ、中々に痛い冗談だ、胸に刺さる。しかし君こそ、なんの変化もないではないか。ただ杖の色が変わっただけかね。拍子抜けだ」


「どうかな。試せばわかる事だ」


 アデルハイトはローマンに向き直り、とん、と石突で地面を叩く。一瞬、強い風が吹き、それと同時に王都が元の美しい姿を取り戻す。


「────これは」


 驚かされた。メルカルトを取り込んだおかげで、それが幻影ではなく、世界そのものに上書きするかのような領域を形成したのだと直感する。


「究極領域魔法。────《デメテル・サンクチュアリ》。今ある世界そのものを守るための保護膜のようなものだ。この世界、この景観は私の愛した心象のひとつ。思う存分に暴れて構わん、お前には何も壊せはしない」


 堂々と立ち、アデルハイトはまっすぐ、力強い青藍の瞳で見つめた。


「さあ、決着といこうか。ローマン・ガルガリン」

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