第46話「希望が駆ける」
その強さは、彼らの想像を遥かに超えていた。ネヴァンの覇者の武具、『偽の栄光アルコーン』の影響によってローマン最大の能力とも言える重力は封殺された。にも関わらず、その身ひとつで次々に襲い来る攻撃の数々を淡々と避け続け、あまつさえ隙を見つけると攻めに転じた。
魔性解放を行ったミトラの爆炎の拳、リリオラの炎帝剣アティトランを同時に片手で弾き、背後から迫ったアデルハイトの《エアロドライブ》に、二人を投げ込んで縦の代わりにしてぶつけ、ディアミドとアンニッキの高速接近戦をも、後ろ手に組んだまま身軽に躱す。
「あまりにも遅すぎる。君たちはまずまず、いや、役立たずか」
鋭い拳と蹴りによって二人は吹っ飛ばされる。冷静で、重く、それでもまだかろうじて生きている。無数の鎖が飛び交ってギルダがローマンの腕を絡めとるが、逆に過量の魔力を流し込まれて、ギルダ本人が耐え切れずに鎖は崩壊する。
「馬鹿げてんじゃないですか、この魔族!」
「ボクら、助っ人で来たのに役にも立たないなぁ!」
突き出した槍は簡単に足で地面に叩き落とされ、オフェリアの拳は簡単に掴まれる。ギリギリと力が入れられ、手の骨に罅が入った。
「ぬあ……っ!? この、放しなさい……!」
「自分で放してみたまえ。出来るのであればだがね」
握り潰される、という寸前、影の中から気配を感じたローマンが手を引っ込めた。空へ向かって飛び出した黒いナイフ。さらに、背後に伸びた影から息を潜めてタイミングを見計らっていたキャンディスが飛び出した。
「なるほど。これは珍しいものを見せてくれたな、レディ」
いつの間にか眼前に振り向いていたローマンがキャンディスの頭を鷲掴みにして地面に叩きつけた。
「く……! このッ!」
なんでも切り裂く能力を前にローマンは一瞬だけ手を放して薙がれた刃を避け、再び顔に向かって手で思い切り突く。大地が割れ、揺れ動くほどの威力にキャンディスがぴくりとも動かなくなった。
「キャンディス! 退け、ローマン!」
アデルハイトが雷の弾丸を放つ。ローマンはそれを指でつまむように全て潰して、指を擦り合わせながら下らなそうに鼻を鳴らす。
「ひとり死んだくらいで喚くとはみっともない」
「貴様────」
目で追えない。体がついていかない。振られた拳はわざと手を抜いたものだ。杖で受けようとするが、その度に弾かれては殴られた。他の仲間が助けに入ろうとも、それさえ瞬く間に戦闘不能にまで陥れ、アデルハイトを嬲り殺すように殴り続ける。戦意が失われるまで、何度も何度も。
「やれやれ。どこまで殴れば君は折れるのかね……。他の連中もすっかり大人しくなったと言うのに。そうまでして共生を拒むと言うのか」
「……知るか……。拒むだの、拒まないだの……魔族のくせに」
わざと嘲笑する。それがローマンには最も効果的だった。いつも澄ました顔で淡々と臨む男の表情に、僅かな怒りが見て取れた。誇りを持った高等種が劣等種に鼻で笑われる事は、なによりも屈辱だと思っての挑発だ。
だが、思っていたのとは違う言葉がローマンから放たれた。
「ヴィンセンティアは、そんな君たちとも共生を願った。対等であるべきと。私はいい。大して君たちに感情など抱いていなかった。だが、彼女の心さえも踏み躙るような言葉はやはり見過ごせん。劣等種は所詮、劣等種であったか」
両膝を突いて、もはや動けないアデルハイトに向けて拳を構えた。
「踏み躙った、だと。お前もそう変わらんくせに、何を偉そうに」
吐き捨てるようにアデルハイトは言葉を続けた。
「友人と呼ぶあの女の望む共生の形を踏み躙って、何もかも壊そうとしているお前に、私をどうこう言う資格などあるものか」
「……死に際によく口の動く。よほど死にたいらしいな」
拳が迫り、赤い十字の盾が防ぐ。割って入ったシェリアの盾が粉々に割れたが、一撃はぎりぎり防いでみせた。
「カイラ先輩、お願いします!」
アデルハイトを助けに、カイラが治療魔導師としてやってきた。一年経って成長した姿は以前よりもさらにアンニッキに似た。
「アデルハイト! 私では頼りないかもしれないけど、少しでも治療を!」
「やめろ、運ぶな……! シェリアを置いていくつもりか!?」
「ごめんなさい、でも、この戦いでは犠牲に目を瞑らなければ勝てない!」
抱えて走り出したカイラに抵抗する余力もない。少しでもどこかに隠れて治療を施し、もう一度戦うチャンスを作ろうというのがシェリアとカイラでの計画。命を惜しいとは思わず、ただ大切な人々を救うために。
「無謀だ! はやく降ろせ、くそっ……! シェリア────!」
分かっていた。時間稼ぎになるはずもない。それでも一縷の望みに賭けた行動だった。だから、シェリアは振り返らなかった。その半身が吹き飛ぼうとも、今までのように泣きじゃくったり、アデルハイトという親友に縋らなかった。
最期の瞬間まで戦って、それでも抵抗できなかった事に悔しさを感じながら、決してあきらめない瞳をローマンに対して向けて散った。
「まったく、手を煩わせてくれる連中だな。どこへ逃げるのかね?」
カイラの前にローマンが立った。シェリアの決死の覚悟など無駄な時間だと嘲笑うかのように、堂々と。
「あ……う……! うわあああああ!」
カイラが走って横を抜けようとした瞬間、思い切り転んだ。つまずいたのではない。振り向いたとき、自分の足がない事に気付き、目の前に捨てるように転がしてしまったアデルハイトに必死に向かった。
「こ、こんな事で泣かない、こんな事で諦めるものか! 母さんなら戦ったはずだ。母さんなら狼狽えなかったはずだから……!」
「ふうむ……。弱いと言えども、しぶといものだな」
背後から首を掴んで、前へ進ませない。アデルハイトが上体を起こして睨みつけ、「その手を放せ!」と叫んだが、ローマンは目もくれず締め上げていく。カイラが必死にひゅうひゅうと息をしながら、もがき苦しみ、顔を青くする。
「アデルハイト。君はどんな人間よりも強い。これだけ多くの人間が命を惜しまず救おうとするほどに。おかげで冷静になれた。やはり君には生きてもらわねばなるまい。ただし、それは我々魔族が勝者であると示す象徴としてだ」
聞いた事もないほど大きい音がして、ごきりと骨が折れた。目の前で物言わぬ死体となったカイラを前に、アデルハイトは声も出ず、ただ絶望する。手を伸ばして、もう取り返しのつかない命に縋るように目を見開いて涙を流す。
「君のような人類最強の存在が絶望にひれ伏したとき、人々から希望は消えていく。抵抗する気力を奪っていく。君は死なず、消えず、永遠に失われた希望の象徴として生きてもらおうではないか」
ローマンが遠くへ手を翳す。狙いは王城だ。ぎゅっと拳を握れば重力波が王城一帯を形も残さずに圧砕する。アデルハイトには気力など残っておらず、ただ全てを破壊されていく事への絶望と、自らの弱さに対する失望でいっぱいだった。
大勢集めた仲間は皆がやられてしまった。守りたかった人々は形も残らなかった。何もかも奪われた。メルカルトという大敵さえ倒せば終わりと信じていた中で、最も狡猾に、凄惨に、何もかも浚われてしまった。
「諦めちゃ駄目だよ」
突然、背後から声がする。振り返ると、愛らしさのある少女。体は小さく、決して肉付きも良くない。なのになぜか安心させてくれる。其処に立っているだけで体を支えられている気がする。アデルハイトは少女の姿にある魔法使いを見た。
『さあ、立つ時間だ。私を感じられるのなら、声が聞こえるなら、その失望感を握り潰せ。これ以上の何も、その男に奪わせてはならん』
────ああ、そうだ。
アデルハイトの体に力が入っていく。
────守りたいではなく、守らねばならない。
指の先まで神経が通っていく。心が落ち着きを取り戻す。
────だって、私には、まだたくさん背負った者があるから。
仲間の死を悼むのは後でいい。まだ、平和と勝利を祈る人々がいるのなら、立ちあがるべきだ。立ちあがらねばならない。誰もが死も厭わず、未来のために戦ったのだから、自分が俯いている場合ではないと再認識する。
もう、絶望も恐怖も感じない。ゆっくりと、再び杖を構えた。
「そうだな。勝とう。────まだ、立ちあがれるんだから」




