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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第44話「暗中飛躍」

 ヴェロニカが吸収された。そのうえ、またしてもメルカルトの強さは跳ね上がっている。このまま戦えば不利になっていくだけだ。けれども突破できるだけの破壊力を誰も持っていない。


「どうするんですかあ……あれ……。今から逃げても……」


「ボクらが逃げ切れる相手かよ。しかも他国の人間とはいえ見捨てて?」


「それを言われると胸が痛みますねえ」


 再びメルカルトが動き出すと、アデルハイトが前に出た。


「今のコイツは誰の手にも負えん! 私がなんとかしてみる!」


 活動限界の近いメルカルトなら時間を稼げばどうにかなるかもしれない。アデルハイトは即座に、領域魔法《霧の夢(ミスト)》を発動する。呼び止める声も無視して周囲に霧を立ち込めさせ、自らの領域にメルカルトを引きずり込む。


「(問題ない。これは私自身が接触の意思を示さない限り不可視の存在となる。誰も傷つかず戦いを終わらせる手段だが────)」


 自身の幻影だけを見せ続ける幻惑の魔法。アデルハイトは一縷の望みに賭けた。メルカルトがいくら強くなろうとも、身に宿す膨大な魔力が減りつつあるのは本体が弱まっているからだと見抜いていた。少しでも時間稼ぎをして、自分以外の誰かが倒せればいいと願い、領域魔法を使った。


「この程度で今の僕が留められると思うか。いや、むしろ願ったりと言うべきか。君を喰らいさえすれば、このずたぼろの体もきっと良くなる……!」


 狙いは正確に本体へ向けられた。今のメルカルトの魔力には幻惑など通じるはずもなく、居場所をあっさりと見破られて腕を振って襲い掛かった。


「くそっ、だめか……! だがここからは出さない!」


 間一髪で躱したものの、ばっさりと長い髪が切られて落ちる。


「無様な姿だな、アデルハイト」


「むしろすっきりしたくらいさ。やはり戦うには邪魔らしい」


 杖をぐるんと大きく回すと、その姿は黒いサーベルに変わった。


「お前は此処で食い止める。何が何でも。……神秘たる雷。威厳に満ちし光輝。肯定、これは裁きである。────《落ちろ、神たる雷霆よゼウス・オブ・レガリア》!」


 ネヴァンとの戦い以後、『必要となるときがくる』と渡された覇者の武具(レガリア)。雷鳴が轟き叫び、メルカルトを撃った。


「ぬぐ……ううぅ……ぐあぁっ!?」


 再生力を誇る強靭な肉体も弱っている。それを守るのが黒い甲冑だったが、雷霆剣ゼウスは貫通力に優れた雷撃。その防御能力さえも潜り抜ける。


「おの、れ、アデルハイトォ……! やはり君は邪魔な存在だ!」


「お前も変わらん! 此処でお前だけは必ず殺す、何があっても!」


 領域魔法を維持しながら激しく剣を打ち合った。想像以上の抵抗にメルカルトも同様が隠せず、攻め方は粗雑で乱暴だ。アデルハイトはそれをいなし続け、雷撃で攻めたが、徐々に威力は落ちていく。どちらも一手が及ばない。


 そのうち、先に傷を負い始めたのがアデルハイトだ。強靭な肉体は傷つきながらも巻き戻しによる再生を繰り返している。消耗は激しいが、身体を動かすという点において障害の減るメルカルトに戦況は傾く。


「ははは! どうした、さっきの勢いが落ちてるじゃないか!」


 死ね、死ねと何度も呪詛の如く繰り返すメルカルトの大剣は重たくアデルハイトに圧し掛かる。領域魔法も限界を迎え、ガラスに罅が入るように割れ始めた。時間にしておよそ十分の戦いも、二人にとっては一時間以上に感じた。


「終わりだ、アデルハイト! 君の戦いも此処までだ────!!」


 領域が砕け、薄曇りの空が回帰する。疲れ切っていたアデルハイトは下がろうとして足をもつれさせ、バランスを崩す。


「やばっ……!」


 突き出された大剣が胸を貫こうとする。瞬間、ぎりぎりで留まった。転んだアデルハイトの首下まで突き出された腕の切っ先は届かない。阿修羅やオフェリア、シャーリンに、リリオラ。次いで後から合流したのだろうシェリアにディアミドまでもが一斉に割って入り武器を向け、僅かな前進を止めたのだ。


「随分と大暴れしてくれたのう。じゃが、それもここまで」


「これ以上は俺たちが見逃さねえよ」


「諦めなよ、メルカルト。アタシたちの仲間はもう殺させない」


 厄介。鬱陶しい。目障り。こんな弱者たちの集まりに臆する瞬間が僅かでも来るとは思わなかった。メルカルトは飛び退いて、アデルハイトを仕留めるのを諦める。ここまで来て簡単には終われない。


「許さない……。君たちのような劣等種風情が、よくも僕に楯突いてくれたな……。こうなれば何もかも灰にするまでだ。計画は先延ばしになるが構わない! この町全てを消滅させて────」


 突然、巨大な重力に抑え込まれて地面に叩き伏せられる。体が持ち上がらず、押しつぶされそうな圧迫感に息が詰まった。


「ぐああああっ……! こ、この能力はまさか……!」


 戦況が煮詰まってきた、と紳士風の男が髪を櫛で梳きながら悠々と歩いて戦場にやってくる。目つきの悪い癖のある顔つきが、いつもよりも穏やかで、しかし冷徹さを宿していた。


「ローマン、貴様……ずっと隠れて……!? なぜ敵に回る!?」


「目的は近くとも君の味方をすると言った覚えはないが」


 リリオラが剣でローマンを指す。


「皆、アイツは裏切り者なの、アタシも殺そうとしたんだから! 早く止めないと、アイツはきっとメルカルトを取り込むつもり────」


 軽くふわっと手を小さく掲げ、ぱちんと指を鳴らすと広範囲の重力が増す。既に戦闘で疲弊しているアデルハイトたちに制限を掛けるのは容易かった。


「ここまでご苦労。諸君の努力は認めよう。だが、ここまでにしようではないか。互いに無益な争いを起こすよりも効率的な取引だ。君たちは下等種、我々は高等種。ただ立場を明確にして、共存をすればいい。────そうだろう?」

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