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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第43話「鏖殺の時」

 次々と戦力が集まってくる状況はメルカルトにとって最も望まない状況だ。アデルハイトを早々に仕留めようとしたが、想像以上の抵抗に手こずってしまったのが原因だとは分かっている。いや、しかし、それよりも驚いた事があった。


「(エースバルトめ。リリオラをああまで強くするとはね)」


 メルカルトの体が塵と化し、風に吹かれるように空を揺らいで離れると、ある程度の距離を取ったところで再び形を取り戻す。


「どこまでも僕の邪魔をしてくれる……。奥の手はまだ隠しておきたかったんだが、仕方ないな。これ以上待つのは時間の無駄だ」


 細い剣を片手に空へ掲げる。周囲を黒い渦が竜巻のように昇り、強い風が吹き荒れ始めた。阿修羅も、アデルハイトでさえも絶句する。奥底にあった魔力の泉が溢れたかの如く、メルカルトに膨大な魔力が満ちていく。


「なんじゃあ、ありゃあ……」


 明らかに別の存在。今のメルカルトは彼女らにとって、まるで八鬼姫と対峙しているかのような威圧感を覚えた。下半身は巨大な蜘蛛を形作り、メルカルトは黒い甲冑のまま両腕が大剣の如く変質する。不気味で、禍々しく、取り込んだヴィンセンティアの形態を得ているのがひと目でわかった。


「こんな事をすればさほど身が持たないとは分かっているが、君たちは想像よりも遥かに成長した。戦える者、戦えない者。いずれにせよ消さねばならない。ミトラに会うまでのとっておきのつもりだったが致し方ない」


 ふと、全員の視界からメルカルトの姿が消える。それは瞬間的で、目で追った先で遅れて映したときには、シャーリンがアデルハイトを庇って槍を盾の代わりに前へ出た光景があった。


「んぎぎぎぎ……っ! 馬鹿力にも程がある、さっさと逃げろレディ!」


「す、すまん、反応が遅れた!」


 アデルハイトが飛び退くとシャーリンも威力を流して躱し、槍を捨てて離れようとする。だが、メルカルトは目聡くその隙を逃さない。


「どこへ行く、黒い騎士の娘。まずは君にしよう」


 突き出された両腕の切っ先がシャーリンの鎧を捉える。魔力を加えられた頑強な鎧は布きれの如く貫かれたが、間一髪で割って入ったオフェリアに救われる。


「あっぶな……! 助かった、オフェリア!」


「行ってる場合ですか、あれ追ってきてますよ!?」


 移動速度が異常に早い。さながら小さな蜘蛛がそのまま巨大化したかと思うほど俊敏で、軽々と地を蹴って飛び上がり、頭上から大剣の腕が叩きつけられる。急いで躱したものの、蜘蛛の体は重量を感じさせない速度でシャーリンを追う。


「逃がすものか。君たちは一匹ずつ喰らってやる」


 あと一歩。振られた大剣を紅い十字の魔力盾が防ぐ。アデルハイトの《聖なる守護の盾ラウンド・オブ・エヴァラック》だ。二撃と叩き込まれれば割れたが、シャーリンがいったん距離を取れる程度には逃げられた。


「────《天魔参式・禍津神惨禍之太刀》!」


 頭上からの巨大な妖力の斬撃がメルカルトを直撃する。少しはダメージを与えられたかのように見えたが、その破壊力が襲ったのは大地のみ。肝心の相手は、ほぼ掠り傷しか与えられておらず、空中にいる阿修羅に狙いを定めた。


「邪魔だ、鬼の娘。君如きの剣で僕を傷つけられると思うな」


「させるかっつーの!」


 遠くから投げられた戦斧がメルカルトの片腕に当たって食い込んだ。さらに駆けつけたヴェロニカが、命中すると腕を掲げた。


「ざまあみやがれ! アタシは壊す事にゃ長けてんだ!」


「ナイスですう、ヴェロニカ!」


 刺さった斧をメルカルトはじっと見つめる。やがて腐食し、砂のように崩れて消える。肝心な腕の傷も、瞬く間に塞がっていった。


「あり……? あんま効いてないっぽいな?」


「全然ナイスじゃないですねえ……」


 どうやったら殺せるのか、と疑問に感じるほど今のメルカルトは異常性を宿す。しかし、その一方で肉体は内部でズタズタになっている。全身をめぐる魔力回路は焼き切れて、それでもなお蹂躙しつくすために何度も何度もヴィンセンティアの巻き戻す能力によって元の状態を取り戻す事の繰り返しだ。


 いつかは枯渇する。だがまだ先の話。獲物を狩り尽くすときに無傷であればそれでいい。メルカルトも覚悟を決めたうえでの戦い。絶対に負けられない。そのためなら手段など選んではいられなかった。


「君たち人間は、あるいは人間に迎合した魔族は、僕にとって邪魔な存在だ。僕の理想からかけ離れた存在だ。であれば選択肢は鏖殺(おうさつ)のみ。誰ひとりとて逃がすわけにはいかないんだよ────《ケイオス・アトラク=ナクア》!」


 黒い極太の糸が腹の先から噴き出され、アデルハイトたちを狙う。咄嗟に躱そうとしたが、糸はメルカルトの意思によって動き、それぞれを追尾する。


「────アティトラン!」


 しばらくの休憩を挟んだリリオラは両腕を再生させ、再び炎帝剣アティトランを手にして灼熱で糸を焼き払おうとするが、僅かな妨害も出来ずあっさり突破され、撤退を余儀なくされる。そして真っ先に捕まったのがヴェロニカだった。


「ぬああ!? なんだこりゃ、動けねえ!」


 必至にもがけばもがくほど体は糸に絡まって身動きがとれなくなっていく。その隙にもメルカルトはゆったりと歩み、アデルハイトたちが遠距離攻撃を仕掛けても、びくともせずに進み続けた。


「────予定とは違ったが、まずは一匹目」


 剣を腹に突き刺される。痛みはない。その代わり、全身から力が抜けていく。漆黒に侵食されていく感覚だけが分かった。ヴェロニカはやがて取り込まれ、完全にその場から姿を消してしまった。


「さあ、次の獲物は誰にしようか」

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