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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第42話「形勢逆転」

 魔眼は喰らえば手に入る。かつてないほど強力な魔眼を手に入れる好機と見れば、これを逃す手はない。ヴィンセンティアの時を巻き戻す力は得た。だがそれだけでは足りない。時間の巻き戻しに干渉されたアデルハイトには特殊な処置が施されている。あり得ざる魔力の器への干渉。破壊せず、時を巻き戻し、その際に自身の能力を眠らせるといった離れ技。もし自分の能力が奪われても、時間に関する能力の干渉を防ぐトラップ。単純に巻き戻すだけでは意味がない。


 アデルハイトだけは殺さなくてはならないのだ。何があっても。


「防戦一方だな、アデルハイト! 君ほどの強さがあっても、それは決して僕に敵うものではない! 観念して首を差し出せ!」


 メルカルトの最も得意とする能力は呪いだ。あらゆるものを朽ちさせる。あらゆるものを異空間に縛り付ける。あらゆるものを蝕み殺す。だが、その能力自体は決して強力なものではなかった。魔性解放をしてなお、アデルハイトという絶大な魔力の所有者が傍にいるだけで、機能不全に陥った。


 あらかじめ呪いを付与するための魔力の凝縮結晶があれば話は別だ。だが、それは八鬼姫を封じ込めるのに用いるしかなく、たかが一年で複数も作れるほど便利なものでもない。だから、戦うしかない。倒すしかない。


「お前になど負けてはいられないんだ。私には守りたい者が大勢いる!」


「その守りたい者とやらも何人死なせたか言ってみろ!」


「ああ、だが、それは後でなんとでもする。だがお前はここで────」


 大剣の一撃を受け流して、トリムルティの杖の宝玉を鎧に打ち当てる。


「倒さねばならない!」


 空へ昇る雷光。全身を裂かれる痛み。強くなったとはいえ、アデルハイトは別格中の別格。ヴィンセンティアを取り込んでようやく戦える相手。さしものメルカルトでも正面からの戦いはあまり得意ではなく、反撃は重く響いた。


「く……おお……! 人間如きがなぜここまで強さを持てる!? なぜそこまで必死になれる!? 空を見てみろ、まだ魔族たちは押し寄せるぞ。千体は確実だ。そのどれもが魔将候補として生かし、僕の血肉を与えて強化した者たちだ。これで王都も、何もかも滅ぶ。君は指を咥えて見ているしかないのに!」


 間合いを取って、大剣を構え直す。感情を揺らす事のないアデルハイトを前に、メルカルトは冷静さが保てなかった。理解ができなかった。人間とは感情に支配された醜い生物に過ぎない。なぜ、それが、どれほどの言葉を以てしても、どれほどの力を以てしても、まるで揺さぶる事ができないのか。


「確かに私は、お前の相手で精一杯だ。リリオラがいてくれて初めて戦えてると言ってもいい。だが、それで構わない。どれだけの強い魔族共が押し寄せるかは知らんが────仲間を信じられないほど愚かじゃない」


 流石にアデルハイトでも肩で息をする。魔力も段々と減ってきた。驚くべきはリリオラだ。エースバルトと戦った以降の彼女は炎帝剣アティトランを振るい、優雅で烈火の如き戦いぶりを見せた。


 それでも限界が近い。むしろ今まで持っている事の方が不思議なほどメルカルトとまともに戦えた。後少しで勝利が見えてきた。


「まったく厄介な子たちだな。僕の計画なら、もっと手早く終わらせるつもりだったんだが……仕方ない。《エンプレス・ディアボロス》!」


 大剣を空に投げると、ぐるんと大きく回転して切っ先が大地を向く。瘴気を纏い、悍ましさと悪寒を与え、まっすぐ大地に突き刺さった。


「まずい、アデルハイト! アラナを守って!」


「えっ!? わ、わかった!」


 保護したアラナをアデルハイトは結界を張って守る。同時にリリオラが前に立った。結界の外で、なんの加護もなしに。


「誇りよ、高らかに謳え。怒りよ、燃え尽きるほど叫べ。主たるリリオラ・カマシュトリが命じる。我が咆哮となりて敵を討て!」


 両手にしっかり握った炎帝剣アティトランが煌々と輝き、灼熱を抱く。大剣から噴出した黒い煙に向かって、リリオラは全力で剣を振り下ろした。


「────《アティトラン・イスクル》!」


 灼熱の炎と呪いの黒煙がぶつかり合う。炎が、煙が、互いを喰らい合う蛇のようにうねり、捻じれ、やがて込められた魔力同士が誘引して爆発を引き起こす。周囲は一瞬にして視界を奪うほどの土煙に覆われ、アデルハイトもアラナも緊張の面持ちで見つめる。ゆっくりと視界が晴れた先で、リリオラが膝を突いていた。


「ごほっ、ごほっ……。こんなのあんまりでしょ、エースバルト」


 剣がぼろぼろと崩れていく。リリオラの前にはメルカルトが立っていた。大剣はなく、その代わりに別の黒い剣を携えて。


「手こずらせてくれたな、リリオラ。僕の……ごほっ……鎧が砕けるとは思わなかった。エースバルトめ、君の潜在能力まで、引き出すとはな……!」


 メルカルトの甲冑は全身に亀裂が入って、紫の魔力が煙のように立ちのぼっては消滅する。予想外の反撃に大きな痛手を受けていた。しかし勝者はメルカルトだ。リリオラは既に両腕が塵となって消滅し、立ちあがる余力もない。


「リリオラ……!」


 助けようとアデルハイトが行こうとして気付く。動けば、今度はアラナを狙うつもりだ。もう魔眼がどうこうと言っていられる状態ではなかった。


「賢明な判断だな、アデルハイト。いくら君でも、今の消耗した状態ではどちらかを守るので精一杯のはずだ。どちらの命を取るか、冷静に判断すればいい。だが、僕は遠慮なく片方の命を奪わせてもらおう。さあどうする?」


 剣をリリオラの首にあてがった、その直後────。


「だからこそ、こんなときのために英雄ってのがいるんですよお」


 素早く飛び込んできた何者かに気を取られ、鋭い拳が顔面を直撃すると同時に人質(リリオラ)を奪われた。吹っ飛んだメルカルトは即座に体勢を整え、目の前にいる二人組の乱入者を見た。


「おいおい、ボクらの出番に美味しいところを残してくれるなんて最高じゃないか、レディ・アデル! 誘われて来た甲斐はあったかな?」


「だめですよお、シャーリン。調子に乗ってたら私たちまでやられちゃいますう。獲物は死ぬまで警戒するのがお約束でしょう?」


 アデルハイトは安堵する。応援に駆けつけてきたのはアデルハイトと遜色ない実力者であるオフェリアとシャーリンだ。いっそうメルカルトを追い詰められる最高の好機に駆けつけてくれた二人に感謝を抱いた。


「すまない、助かった。……これで形勢逆転か」


 メルカルトが立ちあがると、肩を竦めて鼻で笑った。


「形勢逆転? 確かにリリオラの一撃は重かった。だが、それで簡単に戦況を君たちに寄せるほど弱っちゃいない。勝負はまだまだ────」


 背後に気配を感じて振り返った瞬間、大きな拳に殴られる。地面が広範囲にわたって割れるほどの破壊力に、メルカルトも一瞬、意識が飛びそうになった。


「よくも……よくも、わちきの可愛い右舷を……!」


 殺意。敵愾心。感じる鼓動は怒りに溢れ、まさしく鬼の形相をした阿修羅が、握った拳から血をぽたぽたと垂らす。


「てめえのような外道には遺言も要らぬ! 此処で死に果てろ!」

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