第40話「許してはならない邪悪」
エースバルトの巨体が朽ちていく。黒い灰となって崩れていく。魔力を失い続けるという事は魔族にとって死を意味する。心臓が潰れようともそう簡単に死なない魔族が、自らの生命力そのものとも言える魔核から魔力を吐き出す行為は自殺と変わらない。未熟なリリオラの魔核は砕かれていたが、エースバルトが魔力を注げば崩壊は止まり、元の形に修復されていく。否、それ以上の形を得た。
傷付いた肉体が元通りになる。意識はまだ戻らないが、僅かな時間で目が覚めるだろうとエースバルトは落ち着いた様子で観察し、崩れていく中で、自分の意識さえも消えかかった頃────。
「託すぞ、俺の怒り。俺の誇り。貴様が継げ、そして打ち砕け。乗り越えろ。龍の力は常に貴様と共に在る。蝙蝠の女王よ、生きるがいい」
風と共にエースバルトは去った。百年以上も君臨した歴代最強の龍種。あらゆる者への怒りと敬意を抱き、戦いに生きた男は戦いに殉じる。自らが成し得なかったものを託して、自らが成し得ないはずの事を成す最期。
その希望は確かに届いた。リリオラは、直後に目を覚ました。
「……あ、れ……。アタシ、確かローマンに殺されて……」
ぺたぺたと体を触り、全て元通りになっているのに気付く。慌てて起き上がり、エースバルトの姿を探すがどこにも見当たらない。そして自分の体から感じる強い魔力の波動。これまでよりもさらに体が軽くなっている。
「エースバルト……。ごめん、アタシが守ってあげようとして、逆に守られたんだ。自分の命まで使って、こんな、あんたらしくもない事」
体が震える怒りがある。魂を揺さぶる誇りがある。今、自分の中にエースバルトは融けている。これが龍種の抱く本質の正体か、と肌で感じた。まるで感情を支配しようとする何かがうごめく感覚。だが、リリオラには関係ない。混ざったところで龍でない者に対しての影響が低いのか、感情は容易に制御出来た。
「行こう、エースバルト。あんたの力があればきっと勝てる」
手には大鎌ではなく、煌々と輝く紅い剣を握った。炎帝剣アティトラン、直感して分かった名。エースバルトが持つ本来の力を宿す刃である。
「……許さないわ、ローマン。メルカルトを出し抜くつもりなんでしょうけど、絶対にそうはさせない。未来は守る。アデルハイトたちと一緒に!」
大地を蹴った。速度はエースバルトを超え、機動力をそのままに空を駆け抜ける。王都へ入った瞬間、即座にアデルハイトを感じ取った。前よりも魔力感知の精度が高くなり、かつ正確に位置まで掴めるようになった。
「アデルハイト────!」
呼びかけると、走っていたアデルハイトが空を見上げた。
「リリオラ! 無事だったのか!」
「心配かけてごめん、エースバルトはなんとかしたわ。でもたぶん、そのときに通信機がどっか行っちゃったみたい」
戦いの最中、マグマが触れて溶けて消えたのかもしれない、とリリオラが申し訳なさそうにあたふたして謝ると、アデルハイトはホッとして肩を叩く。
「元気ならいいんだ。さあ行こう! 戦いはまだ終わってないんだ!」
「……待って。アデルハイト、何かあったの?」
無理をして笑っているふうに見えた。肉体的な疲れは見えないのに、何かを隠していると感じ取った。するとアデルハイトは足を止め、俯いてしまう。
「右舷が死んだそうだ」
「っ……あの青い子……死んだの!?」
「ああ。メルカルトと交戦したと」
「そんな……嘘……! じゃあメルカルトは……!」
「ミトラを探しているようだ。上手く隠れてくれてる」
最初からミトラを操る事が目的なのは見え透いている。だからあえて戦闘に加わるのは最小限に、気配は消しながら、魔力の痕跡を各所に残してもらい、メルカルトに見つかりにくい工夫を凝らすよう指示されていた。
実際は避難所として活用されている最重要防衛地点、王城の中だ。絶対に魔族の攻撃を通してはならない、と気配や熱さえ遮断する結界を八鬼姫が張った。つまり誰もいないようにしか魔族たちには感じられないのだ。
「よかった。じゃあ八鬼姫の結界は上手く機能してるのね?」
「らしい。さっき通信でそう聞いてる、今は無事だと」
「……待って。ちょっと待って、アタシたちも行きましょう!」
「ん? お、おい、手を引っ張るなって。どうしたんだ」
リリオラは酷く焦っていた。状況が変わったのだ。安全な場所はない。
「ローマンよ! エースバルトとアタシをいっしょに殺そうとしたの。でもエースバルトが守ってくれて、それで……ああもう! とにかく急ぐ!」
「わかった、待て。ポータルを開く。直通で────」
背後から爆発音と共に強い衝撃が走る。二人が振り返ると、土煙の中からメルカルトが姿を現す。片手には大剣を引きずり、きょろきょろとしながら。
「やあ、久しぶり。リリオラは元より、アデルハイト。君らと会えて嬉しいよ。どこを探してもミトラがいなくってねえ」
「……首が飛んでも答えるつもりはないが?」
強い口調で返されてもメルカルトは余裕を崩さない。
「答えてくれないならそろそろ遊んでも良い頃合いだ。さっき邪魔してきた人間は弱すぎて面白くもなかったし。……なんだっけな、ずっと誰かの名前を呼んでた。そう、アデリアだ。ずっとだよ、フフッ、変な奴らだったな」
耐えるにも限度がある。アデリアはワイアットとルシルの娘の名だ。背中がざわついた瞬間、緊急の通信が入った。
『こ、こちら……マチルダです。緊急通達……精鋭戦力のルシル・フリーマンとワイアット・フリーマン両名の死亡が確認されました……げ、現在アンニッキ様が蘇生措置を行って……ぐすっ……』
ああ、最悪の想定だ。正義感の強いワイアットとルシルが、メルカルトを前にして逃げ出すはずもない。交戦してしまった。傷ひとつ付けられずに敗れ、我が子の名を呼んだと聞けば、憎悪が沸々と胸の奥から湧きあがった。
「貴様……生きて帰れると思うなよ、メルカルト!」
「おっと、怖いね。確かに君ら相手だと本気じゃなきゃ厳しいな」
大剣を構え、メルカルトは穏やかに、詠唱する。
「魔性解放。紡ぎ手は此処に在り、遥かなる闇と共に世界は終末を辿る。さあ、全てを喰らい尽くそう────《バシレウス・ベルゼビュート》」




