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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第39話「種を超えて」

 地上に降りると、墜落したのは王都の外。被害は出ておらず、目の前には気を失ったエースバルトと寄り添うリリオラだけ。死に絶えた魔物や鬼人たちの激しい闘争の跡が広がる光景に、ローマンは目を細めた。


「実に下らない戦争だ。多くの命を無駄にして何の意味があるのか。君もそうは思わないかね、リリオラ?」


「……なんでこんな事したの。エースバルトは負けを認めたのに」


 納得のいかないリリオラが尋ねると、ローマンは首を小さく傾げた。


「何故? 生かしておく意味がないからだが?」


 さも当たり前の事を聞く意味が理解できず、不思議そうにする。


「人間の死は資源の死だ。我々は人間を殺すべきではない。力関係が明確である必要はあるが、彼らなくしてこの世界の均衡は保たれない。しかし残念ながらエースバルトはその機構から逸脱した存在だ。まさか龍種について知らないのか」


「知るわけないでしょ。戦って、負けて、それで終わりでしょ!?」


 目に涙を浮かべながら怒鳴ったリリオラにローマンが冷めた瞳を向けた。


「龍種には本質が存在する。その者の生きる動機だ。かつての龍の精神にある本質は慈しみでありや悲しみ。だがエースバルトは違う。それの本質は怒りだ。己への怒り、弱者への怒り、あらゆる不満がそれを凶暴にさせる」


 手を翳して魔力を籠める。重力波で今度こそ圧し潰そうとした。


「我々では手に負えない。今より力をつければ、必ず危険分子となる。たとえ自我を持つとしても所詮、我々は魔族でしかないのだ。本質に抗えない龍種の運命に刃向かう手段はただひとつ、死ぬ事だけだ。そこを退きなさい」


 間違ってはいない。ローマンの言い分も魔族としての考え方なら、そうなって必然だ。それでもリリオラは自分が人間を愛せたように、敗北を認められる誇り高い龍の男を信じた。信じたかった。だから────。


「退かない。アタシはここを退かない!」


 大鎌を片手に持ち、戦う意志を示す。エースバルトも仲間だ、と。


「……分かっているのか。ヴィンセンティアがいたからこそ君は生きているに過ぎない。私は彼女のために、戦っているだけだというのに」


「いいえ、それはあの子の願いなんかじゃない。魔界も、人間も、全部を愛そうとした子の祈りを捻じ曲げるあんたなんて大っ嫌い!」


 エースバルトを殺させてなるものかと飛び掛かり、大鎌を薙ぐ。ローマンはそれを指でつまむように止めてみせた。


「やめたまえ。今の君では到底敵わない。万全であったとしてもな」


「それでもここで諦めたら、アタシは誰にも見向きされない、本当に弱い魔族に戻るだけの事! だったら命懸けでも最後まで抗ってみせ────」


 顔に大きな手のひらが叩きつけられ、地面に押し倒された。満身創痍の状態でローマンの相手になどなるはずもなく、リリオラは必死になってじたばたとするだけだ。捕食者に捕まった哀れな生物のように。


「何度も言わせるな。二度は待った。三度目はない。これ以上はたとえヴィンセンティアが望もうとも敵と認めるぞ。大人しくしていたまえ」


 仕方のない犠牲は払うべきだというローマンの手にがぶりと咬みつく。思わず手を離したローマンが、呆れて物も言えないとリリオラを睨む。


「……君がメルカルトの手に落ちる事のないようするのが約束だった。だが君が抵抗するのであれば、私も決断をせねばなるまい。かつての友人を切り捨て出ても、私は私なりのやり方で世界を担う」


 ふっ、と視界からローマンが消える。リリオラは狼狽して周囲を見渡すが捉えられず、背後に回り込まれ、胸を大きく太い腕が貫いた。


「あ……ぐ……ロー、マン……!」


「ほとほと愛想も尽き果てた。君には才能があるが、それゆえか異質が過ぎる。どうにもならないのであれば切り捨てる他あるまい」


 腕を引き抜き、血の海に倒れたリリオラを見下ろしながら、ズボンのポケットに入れていたハンカチで手の血を拭う。


「やれやれ……。まあ良い。空から落ちたときには放っておいても死ぬ命だった。わざわざトドメを刺す理由もない。せいぜい別れを惜しむといい」


 しばらくは王都で静観だな、とローマンが立ち去っていく。数分して、のそ、とエースバルトが体を起こす。外殻の隙間からは罅割れた体が流す血が溢れ、余命幾許もない状態で、腕一本で体を引きずって倒れたリリオラの傍に寄りそう。


「勝者よ。リリオラよ。俺は今、こんなに悲しい事はない。怒りではない感情を覚えるのは、これが初めてだと分かる。すまない。貴様のために俺は何をするでもなく、ただ倒れているしかできなかった」


 潤んだ瞳が瀧のように涙を流す。なぜ歴代の龍たちが涙を流すのか。今になってようやく知った。嫌いだったのではない。怒りを覚えたのも、ただリリオラが自分より優れた存在であった嫉妬からの情けないものだ。


 自分は歴代の龍皇とは違うと自信に満ち溢れて断言してきた事が、あまりにも情けなく見えた。羨ましかった。愛おしかった。心からの敬意があった。だから嫉妬してしまった。自分もそうありたかったと。なぜ、その力を誇らないのかと。


「愚かだった。俺は魔族であり、自我を持ちながらも鎖によって繋がれたままだった。今になって分かるよ、リリオラ。死に掛けて初めて、お前が守ろうとしたものは、ただ人間だからではなく、そこに感情があるからだと」


 守りたいものがあると信じられたからだと。守るべきものと愛せたからだと。ああ、美しい。お前は魔族という種を超えて、人間に近付いたのだ。本能ではなく理性で生きられた、最初の例。エースバルトはそれを失う事が悔しかった。


 リリオラの亡骸を抱きかかえ、守るように抱き締めて、何があっても消滅させまいと残り少ない自分の魔力で包み込む。


「今は眠れ。俺がお前を守ってやる。ああ、そうだ。俺の本質は怒りだ。メルカルト、ローマン、貴様らの想うようになどさせてたまるものか」

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